第1話 俺、ただの現場作業員の残土回収係ですが、何か?
【ラーグ視点】
俺は三十七歳の建設作業員、ラーグってモンだ。
じっとりと額ににじむ汗を手の甲で拭い、使い慣れたスコップを土へ突き立てる。ザクッ、と湿った土を切る音。鼻をくすぐる土の匂い。時折、刃先が小石に当たってカンッと乾いた音を立てた。
悪くない。
やっぱり俺は、こういう仕事が性に合っているらしい。
実は俺には、前世の記憶がある。遠い異世界で、やっぱり建設業に携わっていた。そこには巨大な重機やらコンクリートやら、こっちでは見たこともない便利な道具が山ほどあった。
だが、どんな世界だろうと根っこは同じだ。
土を掘り、石を積み、人が暮らせる場所を造る。
それが俺の仕事だった。
そして今世の俺には、なぜか妙なスキルまで備わっている。この世界には、まれに生まれつき不思議な力を持つ人間がいるらしい。
俺が引き当てたのは――『残土』。
残土を無限に出し入れできる。
それだけだ。
一日に何回までとか、何キロまでとか、そんな制限はない。工事で出た土や砂利や岩を、いくらでも見えない空間へ放り込めるし、必要ならいつでも取り出せる。
便利っちゃ便利だ。
ただし、剣から炎が出たり、空を飛べたりするわけじゃない。
(まあ、現場じゃ役に立つからいいけどな)
ここは石造りの家々が並ぶ、カッセルという街だ。
前世の知識で言うなら、いわゆるヨーロッパ風のファンタジー世界ってヤツだろう。石畳の通りを馬車が行き交い、煙突から夕飯の煙が上がっている。夕暮れが近づき、街全体が赤みがかった光に包まれていた。
今日は街の中心部に建つ、大きな商店の工事現場へ来ていた。
店主が地下室を欲しがったため、朝から作業員総出で地面を掘っている。
当然、掘れば掘るほど土が出る。
現場の隅には俺の背丈より高い残土の山ができ、夕陽を浴びて長い影を落としていた。
「おーい、残土くん。いつものアレ、やっといてや」
「へいへい。親方、今日も大漁ですね」
仕事終わり、大柄で筋肉質な親方のダルが声をかけてきた。日に焼けた顔に白い歯を見せ、豪快に笑っている。
そう。
皆の仕事が終わった後に始まる、俺の最後の仕事。
残土の回収である。
「じゃ、片付けますよ」
土の山へ手をかざす。
スキル『残土』発動。
ズズズッ、と土砂が崩れた次の瞬間、山そのものが音もなく消えていく。
馬車なら何台必要になるか分からない量だ。それがわずか数秒で跡形もなくなり、下から平らな地面が現れた。
「相変わらず便利やなあ、それ」
「戦いには使えませんけどね」
「俺らは戦わんから、それでええねん」
違いない。
スコップを肩に担ぎ、俺は今日も一日よく働いたと息を吐いた。
その時だった。
プァアアアアアアン――ッ!
東の城門の方角から、空気を震わせる甲高い角笛が鳴り響いた。
俺の背中を冷たいものが走る。
モンスター警報だ。
(前世でも、嫌なアラート音が携帯から鳴ったもんだが……あれのモンスター襲来版ってわけか)
音色は違っても、聞いた瞬間に胃の奥がギュッと縮む感じは同じだった。
「逃げろ!」
「魔物だ!」
「門から離れろーっ!」
街のあちこちで悲鳴が上がった。
さっきまで穏やかだった通りが一瞬でひっくり返る。店の扉が閉まり、荷物が放り出され、石畳を駆ける無数の足音が響いた。
「ラーグ! 逃げるぞ!」
親方たちも走り出す。
「お、おう!」
俺も続こうとした。
――だが、遅かった。
ブワッ!
「うわっ!」
突然の突風に体をあおられた。
積み上げてあった足場板が木の葉みたいに宙を舞う。砂ぼこりが目に入り、俺は思わず腕で顔を覆った。
影が落ちる。
夕焼けが消えた。
恐る恐る空を見上げると――巨大な何かが、翼を広げて俺の真上を覆っていた。
(なんだよ……これ)
濃緑色の鱗。
家一軒ほどもありそうな胴体。
夕陽を遮る巨大な翼。
空飛ぶトカゲ――なんて言葉では到底片付けられない。
絵本で何度も見たことがある。
ドラゴンだ。
ズズゥンッ!
そいつが俺の目の前へ降り立った。
地面が揺れる。石畳が砕け、土煙が一気に吹き上がった。衝撃が足の裏から腹まで突き抜ける。
「ひっ……」
黄色く濁った巨大な瞳が、ギョロリとこちらを向いた。
目が合った。
鼻先から白い煙が漏れる。
生暖かい風と一緒に、腐った卵みたいな鼻を突く臭いが漂ってきた。
ドラゴンが口を開く。
ずらりと並んだ牙。
一本一本が、俺の腕より太い。
(食われる)
そう思った瞬間、頭が真っ白になった。
「ひいいいいっ! ざっ、残土ぉぉぉぉーッ!」
スキルを発動した。
狙ったわけじゃない。
作戦なんてものもない。
ただ、怖かった。
目の前にいる圧倒的な化け物から自分を守ろうとして、俺は持っているものを全部ぶちまけた。
ズゴゴゴゴゴゴゴゴッ!
「なっ……!?」
土。
泥。
砂利。
岩。
これまで何年も工事現場で回収してきた、数え切れない量の残土。
それらが俺の目の前から凄まじい勢いで噴き出した。
「ギャオオオオオオオオン!?」
ドラゴンの咆哮が、土砂の濁流に飲み込まれる。
ドドドドドッ、と地面を揺らしながら残土が押し寄せ、巨大な体を真正面から埋めていく。
翼が消えた。
胴体が消えた。
首まで土に沈んだ。
ほんの数秒。
そこには、ドラゴンの頭だけが飛び出した巨大な土山が完成していた。
「…………」
俺は震える手を下ろした。
(え?)
ドラゴンが暴れる。
だが、動けない。
あまりにも大量の土に押さえ込まれ、翼を開くどころか前脚一本まともに動かせないらしい。
(ええええええええっ!?)
「そこの土使い! 足場は出せるか!?」
凛とした女の声が響いた。
振り返る。
銀色の鎧を身にまとった女剣士が、こちらへ駆けてきていた。長い金髪が夕風になびき、青い瞳がまっすぐドラゴンを見据えている。
「あっ、ああ! こんなのでよければ!」
考えるより先に手を動かした。
掘削現場で出るのは土だけじゃない。地面の下から大きな岩が出てくることもある。
俺は収納していた岩を次々と取り出し、土山の斜面へ階段状に並べていった。
「十分だ!」
女剣士が駆ける。
カンッ、カンッ、カンッ!
銀色のブーツが岩を蹴るたび、金属音が夕暮れの街へ響いた。
速い。
あっという間に土山を駆け上がり、身動きの取れないドラゴンの首元までたどり着く。
そして。
「はああああああああーっ! 『ウィングスラッシュ』!」
銀色の光が走った。
ズバァッ!
「ギャ――」
ドラゴンの声が途中で途切れた。
太い首が宙を舞う。
黒みがかった赤い血が噴き上がり、夕焼けの空へ散った。
ドスゥン。
巨大な頭が石畳へ転がった。
残された体がビクン、ビクンと何度か動き――やがて完全に静かになった。
「…………死んだ?」
どうやら、そのようだ。
そうなのだ。
この世界ではモンスターもとてつもなく強いが、人間だってそれなりに強い。
そういう理不尽で、力強い世界なのである。
数秒の静寂。
やがて家々の陰から、避難していた街の人々が恐る恐る顔を出した。
「倒した……?」
「ドラゴンを倒したぞ!」
次の瞬間。
「うおおおおおおおっ!」
「ドラゴンスレイヤーだ!」
「すげえ! あの女剣士、一撃で首を落としたぞ!」
「カッセル万歳!」
爆発するような歓声が街を包んだ。
俺はその場へへたり込み、スコップを杖代わりにして荒い息を吐いた。
「た、助かった……」
生きている。
それだけでもう十分だ。
あとはあの女剣士が英雄として祭り上げられて、俺は家へ帰って飯を食って寝ればいい。
いつも通りの日常へ戻るんだ。
ところが。
「いや、私は斬ったに過ぎない」
剣についた血を払い、鞘へ収めた女剣士が振り返った。
そして。
ビシッ!
まっすぐ俺を指さす。
「今回の一番の功績は、そこの土魔法使いだ!」
「…………へ?」
群衆の視線が一斉に俺へ集まった。
歓声がざわめきへ変わる。
「そういえば、最初にドラゴンを止めたのはあいつだぞ」
「あの土の量、なんなんだ?」
「すげえ魔法使いなんじゃないのか?」
「英雄だ!」
いやいやいや。
待ってくれ。
(えっ、お、俺?)
俺、ただの現場作業員の残土回収係ですが、何か?
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