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捨てられ第三王子は、信頼を取り戻したいだけなのに、崩壊寸前の辺境領と婚約破棄寸前の令嬢まで任されました  作者: 玖城イサ
第一章

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第46話 足りない名前

 

 夜が更けるほど、実務室の紙は増えた。


 減るはずの古い名簿は脇へ積まれ、

 代わりに新しい仮表が机を埋めていく。


 村名。

 家名。

 人数。

 働き手。

 子ども。

 高齢者。


 どれも当たり前の欄だ。

 だが、この領地ではそれを当たり前に持っていなかった。


 レオンは肩を回した。

 背中が重い。

 前世の月末作業を少し思い出す。

 違うのは、今書いている数字がそのまま冬の生死へつながることだった。


 フィアナは向かいで、別の村の頁を睨んでいた。

 灯りの色が薄灰の瞳へ落ちる。

 疲れているはずなのに、手は止まらない。


「少し休むか」

 とレオンが言う。


「まだ大丈夫です」


「その返し、危ないやつだぞ」


 フィアナはそこで初めて顔を上げた。

 ほんの少しだけ眉が動く。


「殿下こそ」


「俺は一応、自分で言ってるからな」

「無理はしないって」


「守れているようには見えません」


「半分くらいは守ってる」


 セリスが横から口を挟んだ。


「お二人とも、まったく信用できませんね」


「辛いな」


「事実ですので」


 彼女は淡々と湯気の立たないぬるい茶を置いた。

 ありがたいが、味は期待できないやつだと見ただけで分かる。


 それでもレオンは口をつけた。

 苦い。

 でも温度があるだけましだった。


 フィアナは別の名簿を開く。


「北道二村目、去年の冬の移動者一覧です」

「こちらは修道院への避難者」

「こちらは働き口を求めて領都へ出た者」

「……ですが、戻っていないはずの家がまだ村側名簿に残っています」


「二重か」


「はい」

「逆に、残った家が抜けている箇所もあります」


 レオンは新しい紙へ書き写す。


「税のためなら、多めに残す方が得だ」

「でも配るには邪魔だな」


「ええ」

 フィアナは低く答えた。

「税を取る紙と、生かす紙は違います」


 短い沈黙が落ちた。


 その言葉が、妙に残る。

 たぶんそれが、この章の芯だった。


 今までの領地は、取るための制度で持たされてきた。

 だが冬を越えるには、生かすための制度へ変えないといけない。


 レオンは一枚の頁を持ち上げた。


「この家、去年の秋に村で見た覚えがあるか?」


 フィアナは視線だけで紙を追う。


「……あります」

「母親と息子二人の家です」

「父親は出稼ぎ先で戻らず、そのまま記録から落ちかけていたはず」


「じゃあ残す」

「働き手ゼロ、子二人」


「はい」


 書き込むたびに、ただの数字だった欄へ輪郭がつく。

 それでもまだ粗い。

 顔までは見えない。

 でも、空欄よりずっといい。


 セリスが別の束を持ってきた。


「村長からの第一報です」


「早いな」


「字が書ける者を総動員したのでしょう」

「ただし、かなり荒いです」


 渡された紙には、急いで書いた家数と人数が並んでいた。

 汚い。

 読みづらい。

 でも、生きている数だった。


 レオンは目を走らせる。


「旧名簿より十二多い」


「抜けが多すぎますね」

 とセリスが言う。


 フィアナは紙を受け取り、すぐに読み替えた。


「いえ、増えただけではありません」

「こちらの村、春に隣村から身を寄せた家があったはずです」

「旧名簿にいない家が混ざっています」


「寄り合い世帯か」


「おそらく」

「食べるために一つ屋根へ集まったのでしょう」


 レオンは思わず息を吐いた。


 名簿の上では一戸。

 現実では三家族。

 そんな形が、たぶんいくらでもある。


 これでは、紙だけ見て配ったら足りるはずがない。


「殿下」

 とフィアナが言う。


「何」


「このままでは、旧名簿の修正では追いつきません」

「名簿を書き換えるのではなく、別物として立てた方がいい」


「新しい土台か」


「はい」

「仮でもいい」

「ですが“今の冬のための名簿”として切るべきです」


 レオンは頷いた。


「そうする」

「旧名簿は参照だけ」

「配給表は別で作る」


 セリスがすぐ紙題を書き換える。


「“冬期仮配給名簿”でよろしいですか」


「いい」

「あと村長確認欄もつけてくれ」


「承知しました」


 インクが紙へ走る音が、やけに静かに響く。


 しばらくして、フィアナの手が止まった。

 彼女は古い名簿と新しい報告を見比べている。


「どうした」


「……この家です」


 差された行には、短い家名しかなかった。

 旧名簿では一人。

 新報告では五人。


「そんなに違うか」


「冬前に姉家族が戻ったのでしょう」

「確か、嫁ぎ先の畑が駄目になった話がありました」


「覚えてるのか」


 フィアナは少しだけ黙った。

 それから、淡々と答える。


「覚えていないと、切る順番を間違えますから」


 その声は平らだった。

 自慢でもない。

 ただ当たり前のことを言う響きだった。


 レオンは手を止める。

 たぶん彼女は、ずっとそうやって領地を見てきたのだ。

 数字だけじゃなく、家の事情まで背負って。

 それでも王都では、冷たい令嬢で片づけられた。


「……助かる」

 とレオンは言った。


 フィアナがこちらを見る。


「はい?」


「君が覚えててくれて」

「紙だけなら、たぶん何人か削ってた」


 彼女はすぐには返事をしなかった。

 ただ、少しだけ肩の力が抜けた気がした。


「殿下も」

 と彼女は静かに言う。

「数字の癖を見てくださるので、助かっています」

「私は、数字の濁し方までは読み切れなかったので」


 それは褒め言葉というより、実務上の確認だった。

 でも、それで十分だった。


 共闘というのは、こういう形なのだろう。

 甘くはない。

 だが、互いの足りないところを埋めている。


 扉の外で足音が止まる。

 ドルクが戻ってきた。


「外、少し荒れてきました」


「どっちだ」

 とレオンが問う。


「領都外れです」

「荷の話が回ってる」

「村へ先に出したって知った奴もいる」


 セリスが顔を上げる。


「早いですね」


「荷車見りゃ分かる」

 とドルクは肩をすくめた。

「しかも今まで何も来なかった連中ほど、匂いに敏い」


 レオンは椅子の背に寄りかかった。


「暴れそうか」


「今すぐじゃない」

「でも、朝には文句を言いに来るのが出ます」


 フィアナが即座に言う。


「でしたら、先に説明の形を決めておきましょう」


「数字で切る」

 とレオンが答える。

「道が先に閉じる村、働き手が少ない村、配給抜けが深い村」

「その順番だ」


「それでも感情は残ります」

 フィアナは言う。

「ですから、数字だけではなく“今どこが先に死ぬか”を言葉にする必要があります」


 セリスが頷いた。


「紙を張り出しますか」


「簡易でいい」

 とレオンは言う。

「危険度と配分理由だけ」

「細かすぎると今は読まれない」


 ドルクが苦い顔をした。


「読まれなくても、怒鳴る奴は怒鳴りますよ」


「だろうな」

 レオンは正直に答える。

「だから、怒鳴られても崩れない形を先に作る」


 言いながら、自分でも面倒だと思う。

 でもこれを避けると、また声の大きい順になる。


 フィアナは新しい紙を一枚引いた。


「では、明朝の説明用に要点を整理します」

「村優先の理由、領都外れへの最低限配分、次回見直しの条件」

「三つに絞りましょう」


「頼む」


 夜はもう深い。

 暖炉の火も少し低くなってきた。


 それでも紙は進んだ。

 一村目。

 二村目。

 三村目。

 領都外れの区画。


 足りない。

 抜けている。

 重複している。


 名簿の穴は、領地の傷そのものだった。


 だが、白紙の方には少しずつ名前が増えていく。

 遅い。

 雑だ。

 それでも、昨日までの紙よりは生きていた。


 夜明け前、最後の報告書きが届いた。

 北道奥の村。

 旧名簿より十七多い。


 レオンはその数字を見て、もう驚かなかった。

 代わりに、空いていた欄へ静かに書き足す。


 足りなかったのは穀物だけじゃない。


 この領地には、最初から名前が足りていなかった。


 そして朝になれば、その不完全な名簿の上で、不公平だと怒る声を受けることになる。

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