第12話 出立前夜
王都での最後の日は、拍子抜けするくらい淡々と進んだ。
荷造りは思っていたより少ない。
王都に未練がないせいだろう。
持っていくべきなのは衣服と最低限の私物、あとは書類だ。余計な飾り物はいらない。
「本当に、それだけで?」
荷を確認していた若い侍従が、少し驚いた顔で言った。
「足りなければ向こうで何とかする」
「ですが、北方は寒いと……」
「だから必要なものだけ持つ」
豪華な箱や見栄えのする調度を増やしたところで、馬車が重くなるだけだ。
侍従は困ったように頭を下げた。
王族らしくないと思ったのだろう。
でも、そこを直す気はなかった。
午前のうちに、形式的な挨拶をいくつか済ませる。
どれも短く、驚くほど軽い。
父王との最後の面会は、昨日の延長みたいなものだった。
「到着後、現地の状況を報告しろ」
「承知しました」
「以上だ」
本当に、それで終わりだ。
レオンは一礼して下がった。
親子の別れとしては薄すぎる。
だが王と王子のやり取りとしては、ある意味で筋が通っている。
情がないことに、今さら期待はしていない。
むしろ変に優しい方が困る。
次に顔を合わせたのはエドガーだった。
王宮の回廊で、向こうから従者を連れて歩いてくる。
「もう出るのか」
「はい」
「そうか」
彼は立ち止まり、相変わらず整った目でレオンを見た。
「北方では、王都ほど体裁が守ってくれない。結果だけが残る」
「覚えておく」
「それがいい」
やはり綺麗な言い方だ。
だが、そこに兄としての情はほとんどない。
成功しても失敗しても、まず結果。
その発想はたぶん、彼自身にも向けられているのだろう。
そう思うと少しだけ厄介だった。
この兄は、ただの悪意だけで動いていない。
本人なりの正しさで人を切り分けている。
「兄上は来られないのですね」
何となく言うと、エドガーはほんのわずかに眉を動かした。
「見送りが必要か?」
「いえ、別に」
「だろうな」
少しだけ口元を緩め、彼はそのまま通り過ぎた。
礼儀はある。
だが、それだけだ。
ガレスの方は、もう少し分かりやすかった。
馬車の最終確認をしている時、訓練場帰りらしい格好でふらりと現れる。
軽鎧の上から外套を引っかけ、汗も拭ききっていない。
「もう出るって聞いた」
「聞いた、って顔だな」
「実際そうだ」
ガレスは肩をすくめた。
「見送りって柄でもねえが、一応な」
本当に一応なのだろう。
でも来た。
それだけで、エドガーより少しだけ分かりやすい。
「北は面倒だぞ」
「みんな同じこと言うな」
「面倒だからだよ」
ガレスは鼻で笑った。
「でも、面倒な場所ほど、誤魔化しは利かねえ。そこは嫌いじゃないかもしれんぞ、お前」
思わぬ言葉だった。
レオンが黙ると、ガレスは少しだけ真面目な目になる。
「王都は口だけで回る。北は違う。運べないもんは届かねえし、足りないもんは死ぬ」
率直で、雑で、でも核心だけは外さない。
「兄上にしては、ずいぶんまともだ」
「喧嘩売ってんのか」
「少しだけ」
ガレスは一瞬ぽかんとして、それから小さく笑った。
「まあいい。生きて戻れ」
その言葉には、変な飾りがなかった。
気をつけろ、でもない。
勝て、でもない。
生きて戻れ。
武の側にいる人間の言葉だと思った。
「そっちも」
レオンが返すと、ガレスは片手を上げて去っていった。
見送りらしい見送りは、その二人で終わりだった。
王妃も、廷臣たちも、社交界の人間たちも、わざわざ第三王子の出立へ関心を向けたりはしない。
それでいい。
むしろ静かな方が助かる。
午後には馬車列の最終確認が済み、日が傾くころには王都の北門へ向かう準備が整った。
セリスが巻物を閉じる。
「護衛、荷、通行証、問題ありません」
「優秀だね、本当に」
「今さらですか」
「今さらだよ」
彼女はわずかに肩をすくめた。
褒められて嬉しそうにもしないが、流し方は少しだけ柔らかかった。
北門の手前で馬車が止まる。
石造りの城門。
見慣れたはずの王都の景色が、もう背後のものになりつつある。
レオンは一度だけ振り返った。
この場所で得たものは少ない。
情も、居場所も、期待も薄かった。
けれど、自分が何を嫌うのかははっきりした。
無理をすること。
抱え込みすぎること。
都合よく使われて潰れること。
前世では、それで終わった。
だから今度は違う。
「殿下」
セリスが横で呼ぶ。
「何」
「出発前に、何か決意表明でもなさいますか」
「しない」
即答すると、セリスがほんの少しだけ笑った気がした。
「結構です。そういう方が殿下らしい」
レオンは外套の襟を軽く上げた。
夕方の風は、もう王都の中でも少し冷たい。
「目立たず、無理せず、適当に生きる」
「適当、は少々語弊がありますが」
「分かってるよ」
本気で何もする気がないわけじゃない。
ただ、最初から全部背負うつもりもない。
現場を見て、必要なことだけ拾う。
できる範囲で立て直す。
潰れない線を守る。
それでいく。
今はそれで十分だ。
「では、参りましょう」
セリスが御者へ合図する。
車輪が動き出す。
王都の石畳が、ゆっくりと後ろへ流れていく。
北門をくぐる瞬間、レオンはもう一度だけ城壁を見上げた。
高く、整っていて、薄情な壁だと思った。
その向こうには、王宮の静かな軽視がある。
その外には、まだ知らない北方の現実がある。
どちらが面倒かは、たぶん比べるまでもない。
馬車が門を越え、王都の外気が一段冷たくなる。
本当に旅が始まったのだと、そこでようやく実感した。
遠くの空は薄く曇っていた。
北へ伸びる街道は長い。
そしてその先には、荒れた領地と、悪女と呼ばれた令嬢が待っている。
レオンは座席へ浅くもたれ、揺れ始めた馬車の中で小さく息を吐いた。
せっかく転生したのに、ずいぶん面倒な場所へ向かうことになった。
けれど――今度は、机に伏して終わるつもりはない。
その思いだけを、誰にも聞こえないところで確かめながら、彼は北への道へ身を預けた。




