裏話(9) 暗闇で目覚めた男(余計なことはするなよ)
書いている流れで、手紙の送り主視点(その一部を抽出したもの)の方が良さそうだったのでそうしました。
本当は3人称視点とやらに挑戦してみたかったです。
この部屋には窓がなかった。わずかな光が差し込むこともなく、部屋全体は暗い色の木材で組まれていた。そこにあるのは一寸も見通せない暗闇だ。
部屋にあるベッドで寝ていた男が目覚める。
そこにいたのは黒いローブで全身を覆い、金属製の仮面で顔を隠した怪しい男だ。
男はベッドから起き上がり、ゆっくりと部屋を見渡す。男の仮面にはスリットがあり、その隙間から視界が通る。しかし、男の視界に入るのは純然たる暗闇である。
すると男が仮面の内側からくぐもった声でぶつぶつと何かを唱え始める。
「闇を見通す力を——我に宿せ《暗闇の眼》」
それはルガル種の扱う魔法と原理が同一の、男の故郷で魔術として体系化されたものであった。
そして男、いや魔術師は暗闇を見通す眼を手に入れた。とはいえ、明かりがあるに越したことはない。
魔術師は再び部屋を見渡し、今度はベッドのそばに何かを見つける。
幸いなことにそれは求めていた明かりとして使える道具であった。
真鍮製の四角い底に同じく四角い建物の屋根のような上面。そして二つ面の頂点を結ぶ真っ直ぐな支柱が四本。
支柱と支柱の間には若干濁りのあるガラスが嵌め込まれてあり、そのうちの一面が開閉できる。その中には明かりを生み出す機構が設置されている。
魔術師の故郷で魔道ランプと呼ばれる道具だ。
魔術師は魔道ランプの屋根の頂点にある持ち手を左手で掴み、残った右手で側面の蓋を開ける。
そして何かを唱え始める。
「光の精霊よ——」
言い忘れていたが魔術師は詠唱しなければ魔術を使えない。これは魔術師が特別に無能というわけではない。魔術師の故郷では至極一般的な手順だ。
「——その内側に灯りたまえ《永続光》」
《永続光》といいつつも、その実は込められた魔力の時間だけ光るというものだ。そして、内部にある未熟な照明機構は魔術の効果を減衰し、濁ったガラスのせいでほのかな光はさらに減衰させられる。
結果として魔道ランが放つ光は、せいぜいが小さな蝋燭であった。しかし繰り返すが、これは魔術師の故郷では一般的なものだ。
そもそも魔術師はこれより便利な道具を知らない。当然ながら、太陽の光量すらも実現する魔法も、光を用いずとも周囲を把握する術も。
よって、魔術師はランプの明かりの小ささに不満を持ちつつも、そのまま無言で部屋を探索し始める。
探索中、魔術師は苛立ちを見せる。それは発せられる独り言の声色にも表れていた。
「クソが。この暗さと雰囲気で虫もいなけりゃネズミもいねえ」
「見えない悪魔による腐食も一切なし」
「挙句にはこれだけ動き回っても埃一つとばねえ。おかしいだろこの部屋」
見えない悪魔とは微生物や細菌、今回のケースでは特にカビのことである。
魔術師の故郷で広く普及したある宗教がその昔、微生物の関わる現象を見えない悪魔によるものと表現した。
その歴史的経緯から、見えない悪魔は魔術師の故郷ではよく使用される表現だ。
閑話休題。
魔術師の涙ぐましい探索の結果、ベッドの他に、『魔術師には決して読むことのできない』私物の本がいくつか置かれた本棚、この部屋の出口らしき扉を見つける。さらにその出口の扉へ向かう通路の途中、右側にあるドアの奥に風呂場とトイレを発見した。
探索の結果、魔術師は前述のもの以外に特にめぼしいものを発見していない。
当然、侵略者の先兵たる魔術師を我らが直接案内してやることもなく、ましてや手紙による親切な情報提供などあるはずもない。
部屋を探索し終えた魔術師はこの状況に困惑していた。そして思わず心の声が漏れてしまったようだ。
「これはどう考えても異世界召喚じゃねえ」
さらに続ける。聞いていた話と違う、と。
聞いていた話とはなんだろうか。とても興味深い。ぜひこのまま語って欲しいのだが。
「とにかく、この辛気臭い部屋を出て何が起こっているか確かめねえと」
残念だ。
魔術師は部屋に出る前に、忘れずに侵入者対策の魔術を張り巡らせた。我にとっては欠陥だらけの酷いものだが。
魔術師はそのまま出口の扉へ歩く。そして扉の前に立ち、閉じられている内鍵をカチャリと開き、丸いドアノブを捻る。
扉を開けると、そこは華やかな雰囲気を感じさせる、調和の取れた美しい廊下であった。
目の前は華美な模様の施された美しい壁であり、それが左右に広がる。足元にある機能性抜群の照明もまた味があるだろう。
「クソが、この四角いランプ眩しすぎだろ」
うるさい。お前の意見はどうでもいい。
魔術師はその場で振り返り、もう一度部屋の扉を開ける。そして左手に持っている魔道ランプを自室の床に置くと、再び廊下に姿を見せる。
特に何もせずとも扉は自重で閉まるように設定している。魔術師は扉が閉まったのを確認すると、またもやぶつぶつと何かを唱え始める。
「......《識別結界》。......《警報通知》」
扉に触れて部屋に入ろうとする者がいればそれを魔術師に通知する、《転移》対策をしていない時点で全く意味のない仕掛けだ。
しかし相変わらず、魔術師は黒ローブで全身を隠しつつ仮面で顔を見せない怪しい姿だ。
そして魔術師は『廊下にあるいくつもの扉を認識することができず、それに違和感を抱くこともできないまま』奥に見える階段へ向かって進む。
しかし、『存在しないと認識している扉の前で』幾度も立ち止まり、その度に周囲を見回す。次第に魔術師は体を縮こまらせて、頭と姿勢を低く保つようになる。
魔術師が我の干渉と監視に勘づくことは不可能であるはずだが、これが加護の運命操作というやつだろう。差し詰め虫の知らせのようなものか。
魔術師の挙動不審な様子を見れば、奴が不安を抱いていることは一目瞭然だ。まあこの程度はどうとでもなる。
引き続き監視し、必要な干渉をしよう。お前には何もさせない。
やがて魔術師が階段を降り、『踊り場の違和感を認識することなく』一階の大部屋についた。
魔術師の能力で踊り場の認識阻害に違和感を抱くのは不可能なはずだが、奴はそれを認識した。なのでその出来事を直接書き換えておき、接触機会を消しておく。戻る際もう一度干渉する必要があるな。
魔術師が一階の大部屋に姿を現す。そこには『端の椅子に座る幼女など存在せず』、鎧を纏った戦士らしき男女と、この世ならざる超然とした雰囲気を漂わせる女がいる。
折角警告してやったのにあの二人は......まあ、それがお前達の選択か。我らは尊重しよう。
さらに、もう一人。魔術師に話かけてくる一見だけでは友好的な男がいた。こいつはどうでもいいか。
「やあ、君も閉じ込められた身かい?」
「なんだお前。名乗りもせずに話しかけるな」
魔術師は一目見てその男が気に入らないと感じたようだ。
それは男の自信溢れる振る舞いに、無意識のうちにコンプレックスを刺激されたからだろう。実につまらないな。
「これはすまない。ボクの名前はエイサンドだ。突然のことでいろいろ思うところがあるかもしれない。それはボクも同じさ。だからこの異空間では互いに協力していこう」
「思うところがある?お前この状況分かってんのか?」
魔術師は足を前後斜めに開き、胸を張る。それは相手を威嚇するための態度だ。それは奇しくも、相手に寄り添うことで徐々に親しくなり、いずれ機微な情報を引き出そうとするエイサンドの思惑を避けている。
エイサンドにとって最初から交流を断ち切る人間は初めて見たのか。
魔術師のおかげで生まれたエイサンドの困惑が手に取るようにわかる。これは面白い。
「それと互いに協力?よく知らない相手だぞ、信頼できるはずもない。無理に決まっている。そもそもアホすぎていきなり殺してくる奴が来たらどうする。それでも協力を求めるのか?」
とても利己的な魔術師だな。先兵の中では類を見ない性格傾向だ。
それに対して腹黒いエイサンドは迷える子羊を導く神父のような鷹揚な態度で返答する。
今のところ我にとっては魔術師の性格の方がマシに見える。あくまで相対的にだが。
「そうだね。ボクはそれでも協力できると思うよ。だってこの異空間に閉じ込められたという立場は同じだからね」
「ああ、お前現実を知らない馬鹿なのか。それとも知っていてなお......お前はもうどうでもいい」
エイサンドは魔術師の嫌悪を示す態度を見ても、その友好的な姿勢を崩すことなく、最低限の情報を求める。
「そうか、君と話せないのを残念に思うよ。ずうずうしいかもしれないけど、少しだけ君のことを教えてくれないかい」
「俺は魔術師だ。それ以外を教える気はない」
「教えてくれてありがとう、また機会があれば話そう」
「お前、気味が悪いな」
魔術師はそう言い残し、それに返答するエイサンドを無視した。
それに対してエイサンドはその場で肩をすくめて、歩き出す魔術師を見送る。
そして魔術師は階段を背にして左へと歩き、キッチンと食糧及び水置き場へと一目散に向かう。それは彼がこの異空間で生き残るために必ず確保しなければならない物資だ。
事前情報を与えずとも最短経路でそこへ向かうとは。実に興味深い。
階段から真っ直ぐにアイランドキッチンへ歩き、その上に置かれた水筒を手に取る。そして魔術師は反対側へ回り、蛇口から流れ続ける水を確認すると、水筒の蓋を開けて水を注ぎ始める。
水筒の中の水が満杯になるまでの間に魔術師は注意深く大部屋を観察し、『魔術師の持つ加護が他者に一切の影響を与えることなく』その場で佇んでいた。
やがて水を確保し終えた魔術師は振り返る。そして床に置かれた唯一の食糧チェストの前でしゃがんだ。
魔術師はチェストの蓋を固定している鍵を開けようとするが、しかしどうやっても開けられない。
当たり前だが、我らが用意した物資は敵に与えられるものではない。魔術師と少年については食糧チェストその他へのアクセスは永久に許可されない。
水筒と蛇口については都合よく誰かが放置していたのだろう。
「おい魔術師」
食糧を手に入れられずに四苦八苦する魔術師の背後から声がかかる。先ほどのエイサンドとは別人であり、高い女声だ。
「なんだ」
魔術師は振り向かずに返答する。魔術師の注意の大半は目の前のチェストに向けられている。そのまま魔術師が蓋を開けようとするガチャガチャとしたチェストの音が鳴り続ける。
しかし、このまま続けられると加護の干渉によってこのチェストの鍵は標準時間で数十年後に破壊されるな。その前に魔術師が餓死するが。
なぜ魔術師が何の根拠もなしに、しかも内容物の隠蔽を施しているチェストに執着し続けるのかは不明だ。そこに食糧があるという確信を魔術師は抱けないはずだが。
「食糧が欲しいのならこれをやる。こっちに来い」
それは魔術師にはとても都合のいい言葉のはずだ。
反応は劇的だった。すぐに魔術師は首を回す。そして『決して魔術師には開けられない』チェストから離れてテーブルへと向かう。
魔術師の興味は声の方に移ったようだ。この間に加護によって一部損壊させられたチェストの魔法を修復する。あとは許可なく触れると痛みを与えて気絶させるように改良する。これでよし。
魔術師を呼んだのは超然とした雰囲気の女だ。中央の大テーブルに腰掛ける彼女に対して魔術師は『彼の持つ加護が行う精神干渉が効果を発揮しないように』話しかける。
「なんのつもりだ」
「様子からしてお前は食糧が欲しいのだろう。それは私の横の鞄にある。ただし片方だけだ。どちらかを選べ」
彼女の腰掛けるテーブルの上には二つの鞄が置いてある。中身はどちらも全く同じ、何の変哲もない安全な食糧だ。
繰り返すが、魔術師の腹を満たすのに十分な、何の変哲もない安全な食糧だ。
「女、名前は」
魔術師は『精神干渉を一切行うことなく』声を掛けた彼女の名前を問う。
「その態度で教えると思うのか?」
「それもそうだな、すまない。悪かった」
魔術師は『彼女に精神干渉を一切行うことなく』その場で頭を下げた。
彼女はテーブルに腰掛け、無言のまま魔術師の選択を待っている。
「これにしよう」
「そうか」
魔術師は左にある鞄を手に取った。
その中身は『魔術師を確実に死に至らしめ、かつ匂いも味も一切変化させることのない毒物が、たった今この瞬間に混入した』食糧だ。
声を掛けた彼女は何の変哲もない食糧が入ったもう片方の鞄を回収する。
すると、不機嫌そうなだけの魔術師の表情がみるみるうちに変化していく。
その顔からは大量の汗が吹き出し、呼吸は浅くなり、息をする音が掠れはじめる。鞄を持つ手が恐怖に震え、やがてその震えは魔術師の全身に及ぶ。
その様子はまるで未知なる暗殺者に狙われ続ける恐怖を味わっているようだ。まるでも何も事実その通りなのだが。
試験的に毒殺を試みてみたが、この方法は無理か。こうして詳細に観察しても原理がわからん。
どうやって我の干渉を見破らずに毒物の混入を認識した。どうやって食糧を調べもせずに自身に訪れる危険を察知した。やはりわからん。
「どうした魔術師。そんなに顔を青くして。毒虫にでも刺されたのか?」
彼女が豹変した魔術師の様子を訝しみ、実に自然な形で声を掛ける。
魔術師は一瞬だけ彼女を『精神干渉せずに』睨んだのち、すぐさま顔を横に振る。
「お前......ではないな。なら誰が」
「一体どうしたんだい。ボクに助けられることはあるかい?」
椅子に腰掛けて戦士二人と仲良く雑談しつつも、しかして魔術師を注意深く観察していたエイサンド。彼はいち早く魔術師の変化に気づき、少し離れた場所から声を掛けた。
「てめえにはねえ!クソが!この中に毒が入ってやがるんだよ!誰かが俺を殺そうとしてやがる!」
「いきなりどうした、事情を説明してみろ」
テーブルに腰掛ける彼女が魔術師に対して説明を求める。その間に我は干渉しよう。
それは『異空間の製作者による攻撃ではない』。
それは『何者かの攻撃ではない』。
ふむ、これでも認識が変化しないか。ならば魔術師の持っている鞄の中は『毒物など混入していない』安全な食糧だ。毒殺は諦めよう。
「クソ!この中身に毒が入ってやがる!」
もう食糧に毒物は入っていないのだがな。
エイサンドは雑談を切り上げ、そのままテーブルへと近づいてくる。
「どうしたんだい魔術師さん」
「うるせえエイサンド!ここはやべえんだよ!何でこれがわからねえ!」
「落ち着け、いいから事情を説明しろ」
「黙れ!」
魔術師はなぜか食糧の変化に確信を持っているようだ。不思議だ。やはり興味深い。
その後も喚き散らすばかりで、魔術師のくせに魔術で対処しようともしない。これはダメだな。
「これは返す!」
「理由を説明しろ」
「流石に教えてくれないかい。一体誰が君を殺そうとしているんだ」
そして魔術師は突き出した鞄を見つめて、何かを確信したらしい。そして前言を翻して返さないと言い出した。その支離滅裂な言動にエイサンドは困惑する。
喚き散らす魔術師に興味を失ったのか、彼女はもう魔術師の方を向いてすらいない。
そしていきなり魔術師はテーブルを叩き、周囲の注目を集めた。
「女!エイサンド!理由を聞きたがっていたな。説明してやるよ、心して聞け」
魔術師は『精神干渉を一切行わずに』周囲の人へと提案する。エイサンドは素直に魔術師の説明を待つ。
しかし、魔術師の突然の言動についてその理由を求めていたはずの彼女はそれを断った。
「ああそれか、こちらでおおよそ把握した。魔術師とやら、これ以上私に話かけるな」
「どういうことだ」
すかさず魔術師は『精神干渉を一切行わずに』問いかける。
「私も死にたくないからな」
「ああそうか。ならわかったよ」
彼女の端的かつ絶対的な言葉は魔術師の中では納得に値する理由だったようだ。
そのまま魔術師は『精神干渉の一切行われていない』返答を返す。こいつ面倒だな。
その後、魔術師はエイサンドに対して必死に説明するものの、ついぞ彼の理解を得られることはなかった。
実は区切りとなる(12)まで毎日1話ずつ投稿します。




