第一話 ノワール王国
ノワール王国は、この星の陸地の約4分の1を支配する巨大な覇権国家である。歴代の王たちによる侵略によって繁栄を築いてきたが、国王バーザスが政務の第一線を退いたことで、王国内では次代の王位を巡る静かな権力争いが始まっていた。
ノワール王国の内情は、決して平穏ではなかった。国王バーザスの子どもたちは、それぞれ王国の要職に就き、国家運営を担っていた。中でも長男サラマンは全軍を統括し、実質的な指導者として大きな影響力を持っている。兄弟姉妹は互いに協力し、ときには利用し合いながら、王位を巡ってより高い地位と名誉を求め、水面下で派閥争いを繰り広げていた。
そんな中、ただ一人、その争いとは無縁の日々を送る幼い皇子がいた。その少年の名は、ベルザード。皆からは「ベル」と呼ばれている。ずんぐりとした幼い体つきに、淡い黄色の肌、大きく白い二本の角を持つ悪魔人の少年である。幼い王族でありながら、普段は黒い短パン一枚で城内を走り回っては騒ぎを起こす問題児として扱われていた。
ベルは侵攻軍を率いる長女ミラルダのもとで、軍略や指揮を学びながら、厳しい訓練の日々を送っていた。
季節は冬の初め。
この日の訓練を終えたベルは、全身を汗で濡らし、くたくたになりながら訓練場を後にした。
「ベルザード様。訓練でお疲れなのは承知しておりますが、このままでは晩餐会に遅れてしまいます。お急ぎください。」
ベルが生まれた時から仕えている付き人のケルムが、穏やかな口調で声を掛けた。ケルムは緑色のうろこに覆われた肌と紫色の瞳を持つ竜人で、二メートルはあろうかという大柄な体格の持ち主である。その巨体を、王家の紋章が入った足元まで届く黒いローブがすっぽりと包み込んでいた。威厳あふれる姿とは裏腹に、ベルには誰よりも親身に接する忠実な付き人だった。
「ケルム様のおっしゃる通りです。そんなに汚れたお姿で晩餐会へ出席なされば、お兄様方に笑われてしまいます。」
王室直属の若い召使であるケイティも続ける。ケイティは羊人の小柄で美しい女性で、丁寧に手入れされた白い毛並みと、頭に生えた小さな角が愛らしい印象を与えていた。白を基調とした清潔感あふれるメイド服を身にまとい、その所作の一つひとつからは、王室直属の召使としての品格と洗練された立ち居振る舞いが感じられる。噂では、城内には彼女のファンクラブがあるとかないとか。
「本日の晩餐会は、サラマン様の凱旋を祝うために開かれるものです。王族の皆様はもちろん、政界や財界を代表する方々も多数お見えになります。」
ケルムはベルの顔を見つめながら、言葉を続けた。
「ベルザード様も王族のお一人です。どうか、それにふさわしいお召し物へお着替えください。」
「へいへい、分かりましたよ。」
ベルはぶっきらぼうに返事をした。
「ベルザード様! そのような言葉遣いではいけません。もっと王族らしく振る舞ってください!」
ケルムが厳しい口調で叱る。
「そんなに怒鳴るなよ、ケルム!」
ベルも負けじと声を張り上げた。
「今日はいつも以上に訓練がきつかったんだぞ! 見ていただろ? なんで僕が、あんな凶暴な大型ドラゴンと戦わなきゃならないんだ。訓練で死んじまったら洒落にならないだろ。ディーンとウッドも文句たらたらだったし、まったく……全部フランクの野郎のせいだ。肝心な操り方を教えろってんだ……!」
「フランク大尉は訓練には手厳しいお方ですからな。」
ケルムは苦笑しながら肩をすくめた。
「さあ、いい加減お着替えください。ケイティ、新しいお召し物を。」
「かしこまりました。」
ケイティは一礼すると、ベルのもとへ歩み寄った。
指をひと振りした瞬間、汚れたシャツは淡い光に包まれ、一瞬にして淡い青色と金色を基調とした正装へと変わった。
ベルは着替えを済ませると、晩餐会が開かれる大食堂へ向かった。
扉が開くと、そこには王族にふさわしい豪華な光景が広がっていた。天井近くまで届く巨大な窓からは、沈みかけた夕日が差し込み、無数の蝋燭が灯る大きなシャンデリアが食堂全体を明るく照らしている。中央には百人以上が着席できそうなほど長いテーブルが据えられいる。
すでに席には兄や姉たちが集まっており、それぞれが談笑を交わしている。
大扉の前では、一人の若い梟人の新聞記者がカメラを構え、城内を撮影しようとしていた。しかし、衛兵たちに制止され、門の外へ押し戻されている。
「一枚だけ撮らせてください! お願いします!」
記者は必死に食い下がるが、衛兵たちは首を横に振るばかりだった。
梟人が首から提げている記者証には、「王国経済新聞社」の文字が記されていた。
ベルはその記者に見覚えがあった。
確か、ギャリックという名の記者だったはずだ。
喚き続ける記者を横目に、ベルは晩餐会の会場へ足を進めた。
空いている席へ向かう途中、上座に座る長兄サラマンの前で足を止める。
「ご機嫌麗しゅうございます、サラマン兄上。本日も変わらずご聡明なお姿で。」
ぎこちない作り笑いを浮かべながら、わざとらしく一礼する。
「ベル、お前もそのような口を利くようになったか。」
サラマンは口元を緩め、小さく笑った。
「だが、その笑顔はもう少し練習が必要だな。」
「……ちぇっ。」
ベルは頬を膨らませる。
長男のサラマンはノワール王国軍の総司令官、そして親衛隊の長官を務める歴戦の武将だった。ベルと同じ淡い黄色の肌を持つ壮年の男で、鍛え抜かれた逞しい体を黒と金を基調とした豪奢な軍装に包んでいる。
数え切れないほどの戦場を生き抜いてきた代償として、左の角は失われ、右目も潰れていた。それでも、その顔立ちは整っており、無数の深い傷さえなければ誰もが認める美男子だった。淡い黄色の肌には無数の火傷や刀傷が刻まれ、その一つひとつが幾多の激戦を生き抜いてきた証である。その威圧感は王族の中でも群を抜き、王国最強の武人と称されるにふさわしい風格を漂わせていた。
続いてベルの視線は、サラマンの向かい側に座る長女ミラルダへ向けられた。
長女のミラルダは王国侵攻軍の司令官を務める女傑である。ベルと同じ淡い黄色の肌に、アラン山の白ヤギを思わせる大きく湾曲した角を持ち、耳には自身の紋章を象ったイヤリングを身に着けていた。端正な顔立ちの美女ではあったが、常に不機嫌そうな表情と人を射抜くような鋭い眼光のせいで、その美しさはどこか近寄りがたいものとなっていた。
王族らしい華やかな礼装に身を包みながらも、その凛とした表情が崩れることはなく、凶暴なドラゴンを思わせる鋭い眼差しを兄サラマンへ向けている。
二人は王国を代表する実力者同士であり、政治と軍事の両面で激しく対立している。特にミラルダは、兄サラマンから地位を奪い、自らが王位を継承することを狙っていると噂されるほどの野心家だった。
しばらくして、ミラルダは隣の席に座る次女のグレイスへ顔を向けた。
グレイスは王国監察局の局長を務めている。ベルを除けば兄弟姉妹の中で最も小柄な体格ながら、ミラルダほどではないものの立派な角を持ち、その存在感は決して小さくはない。年齢を感じさせない若々しい容姿をしているが、その印象は巧みな化粧によって作り上げられた部分が大きい。豪奢な礼装に身を包み、両手の指には大ぶりの宝石がはめ込まれた指輪をいくつも身に着け、その華美な装いは周囲の視線を集めるかのようだった。
やがて二人は、静かに言葉を交わし始めた。
ベルは自分の席に着くと、周囲を見渡した。
なんということか、国王バーザスの古くからの友人でもある緑色の鱗を持つ蛇人の中央銀行総裁ボージン卿をはじめ、くすんだ茶色の肌を持つ蛙人の治安当局局長ロッコ卿、白い毛並みがひときわ目を引く狼人の外務局局長ルード氏、そして茶色い鬣が堂々とした風格を際立たせる馬人の最高評議会議長マイヤス卿らも列席していた。いずれも王国の中枢を担う重鎮ばかりである。
(なんて顔ぶれなんだ……。)
ベルは緊張で汗が止まらなかった。
「大丈夫か、ベル?」
次男ロイが心配そうに声を掛ける。
「来てる人たちが、みんな大物すぎてね……。」
「怖いのかい?」
「そ、そんなんじゃないさ。」
ベルは慌てて取り繕う。
そんなベルを見て、ロイは小さく笑った。
ロイは王国守備軍の司令官を務めている。ベルと同じ淡い黄色の肌を持ち、ずんぐりとした体格もよく似ていた。しかし、その体格はベルとは比べものにならないほど大きく、兄弟姉妹の中でもひときわ恰幅がよい。とりわけ横幅は群を抜いており、もし痩せていれば、その顔立ちはサラマンにも引けを取らないほど整っていたに違いない。
サラマンとは良好な関係を築いている一方、ミラルダとは必要以上に親しく接することはなく、常に一定の距離を保っているようだった。
しばらくすると、食堂は静まり返った。
誰もが一斉に大扉へ視線を向け、席を立つ。
「国王陛下がご入場されます!」
大きな掛け声とともに重厚な扉がゆっくりと開き、一人の巨躯の男が姿を現した。
身長は三メートルを優に超える巨体に、ベルと同じ淡い黄色の肌を持ち、その頭には誰よりも大きく長い二本の角が堂々とそびえ立っている。王家の紋章が刺繍された漆黒の王衣をまとい、一歩足を踏み出すだけで周囲を圧倒するほどの威厳を漂わせていた。
その男こそ、ベルの父であり、ノワール王国国王バーザスである。食堂には緊張が走る。兄サラマンでさえ、その表情を引き締めていた。バーザスが中央の席へ腰を下ろすと、それを合図に全員が一斉に着席する。
席に着くや否や、バーザスはサラマンへ視線を向けた。
「サラマン。オリンペ王国での反乱鎮圧、見事であった。国王として祝福したい。」
「とんでもございません、陛下。ありがたきお言葉にございます。」
サラマンは深々と頭を下げる。
バーザスはワインの入ったゴブレットを高く掲げた。
それに合わせるように、列席者たちも次々と杯を掲げる。ベルも慌ててジュースの入ったコップを持ち上げた。
「サラマンに!」
バーザスが高らかに告げる。
「サラマンに!」
食堂中に復唱の声が響き渡る。
「サ、サラマンに……。」
ベルも少し遅れて、小さく口にした。
乾杯が終わると、黄金の皿が並ぶ長い食卓に次々と豪華な料理が現れた。
巨大なドラゴンのステーキ、ポライルガエルのワイン煮込み、ドクタケのクリームソテー──王族の晩餐にふさわしい料理が、食卓を埋め尽くしていく。
ベルは目を輝かせ、しばらくの間、目の前に並ぶごちそうへ夢中になっていた。
父バーザスは、サラマンやボージン卿と談笑していた。
「今は完全に退役して隠れ家で隠居暮らしをしているとか。用心深い男だ。誰のことも信用しておらんようだな」
「しかし、ネルスさんももうお年でしょう。魔法を使う力も衰えていると聞きますし、隠居生活も悪くはありませんよ、父上」
「それもそうだな」
話題は、かつて名を馳せた老兵ネルスについてのようで、三人は昔話に花を咲かせていた
その後ろには、高級なスーツを身にまとった役人が二人、静かに控えていた。
やがて晩餐が終わり、列席者たちが思い思いに席を立ち始める。ベルも部屋へ戻ろうと席を立った、その時だった。
「ベル、来なさい。」
低く威厳のある声が食堂に響く。
父バーザスだった。
「は、はい!」
ベルは思わず背筋を伸ばす。
(ま、まさか怒られるのか……?)
思い当たる節は、山ほどあった。
城の備品を壊したこと。城内の壁に落書きをしたこと。廊下を走り回って衛兵を困らせたこと。毎日のように騒ぎを起こし、ケルムやケイティに迷惑を掛けていた。
(どれのことだ……? いや、全部かもしれない……。)
胸をどきどきさせながら、ベルはバーザスの座る席へと歩み寄る。
バーザスは静かにベルを見つめると、穏やかな口調で言った。
「ベル。後で話がある。私の部屋へ来なさい。」
「……はい、父上。」
ベルは小さく返事をした。しかし、その穏やかな口調とは裏腹に、胸の鼓動はますます速くなっていく。父が何を話そうとしているのか、ベルにはまったく見当がつかなかった。
食堂を後にしたベルは、食べ物の汁で汚れた軍服を脱ぎ、いつもの黒い短パン姿へと着替えた。
脱ぎ捨てられた軍服を見たケイティは、引きつった表情を浮かべる。
「またお召し物が……。」
ベルは聞こえないふりをして部屋を後にした。
向かった先は、王城四階にある国王バーザスの私室。
扉を開けると、正面には天井近くまで届く巨大な窓があった。夜の帳はすでに下りているというのに、窓にはカーテンが掛けられておらず、漆黒の闇がそのまま部屋へ広がっているようだった。
窓の前には大きな肘掛け椅子が置かれていたが、まだバーザスの姿はない。
部屋の中へ入り、静かに父の到着を待った。
やがて扉が開き、バーザスが部屋へ姿を現す。
ベルが口を開こうとした、その時だった。
「ベル。」
バーザスは穏やかな声で切り出すと、窓の前に置かれた大きな肘掛け椅子へゆっくりと腰を下ろした。
「よく覚えておけ、王国を支える者は、命令を待つ者ではない。自ら考え、自ら行動できる者だ。」
突然の言葉に、ベルはその意味をすぐには理解できなかった。
しかし、その言葉は、自分にも王となる可能性があることを示しているように思えた。
「父上。なぜ僕にそのようなお話を?」
ベルは戸惑いを隠せずに尋ねる。
バーザスは静かにベルを見つめ、穏やかな口調で答えた。
「お前にも期待しているからだ。」
一呼吸置き、さらに言葉を続ける。
「お前が一人前の戦士として成長するために。そして、王族として恥じぬ生き方ができるようにな。」
「いつの日か、英雄ネルスのように歴史に名を刻む人物になってくれれば、私は父として誇りに思う。」
その言葉を聞いたベルは、胸の奥が熱くなるのを感じた。
その時、扉が軽く叩かれた。
「失礼いたします。」
入ってきたのは、高級なスーツに身を包んだ二人の男だった。先ほどの晩餐会にもいた役人だ。
「おお、ロレンゾ、グラブリー。構わん、入りたまえ。」
バーザスは景気よく言った。
「ああ、ベル。見たことはあるはずだが、ロレンゾは私の秘書官だ。グラブリーは上級大使。オリンペ王国の一件で話し合わなくてはならん。サラマンと外務局長のルードも後ほど来る予定だ。」
「じゃあ……僕はこれで。」
ベルが言う。
「そうだな。もう遅い。明日も訓練があるだろう。早く寝なさい。」
「おやすみなさい。父上。」
ベルは一礼すると部屋を出て、静かに扉を閉めた。
――その瞬間だった。
突然、部屋の中から耳をつんざくような連続した破裂音が轟いた。
次の瞬間、無数の弾丸が扉を突き破り、廊下へ飛び出す。
ベルは反射的に床へ伏せた。
弾丸は石壁へ次々と突き刺さり、激しい火花と石片を撒き散らす。閃光と轟音が狭い廊下に響き渡り、その凄まじい銃撃は永遠にも思えるほど続いた。
やがて銃声は止み、辺りは静寂に包まれる。
ベルは恐る恐る顔を上げた。
部屋の扉は粉々に吹き飛び、室内には濃い煙が立ち込めていた。
「何が……。父上?」
震える声で呟きながら、ベルは部屋の中へ踏み込む。
先ほどまでバーザスが腰掛けていた大きな肘掛け椅子は木片となって砕け散り、天井まで届く巨大な窓ガラスは跡形もなく吹き飛んでいた。机や本棚も無数の弾痕によって原形を失い、室内は見るも無惨な有様となっている。
「父上!!」
床には三人の男が倒れていた。
バーザスだった。
漆黒の王衣は見る影もなく引き裂かれ、その巨体は無数の銃創に貫かれている。もはや息はなかった。
その傍らには、ロレンゾとグラブリーも横たわっていた。二人が身にまとっていた高級なグレーのスーツも銃弾によって無惨に裂かれ、血に染まっていた。
ベルは目の前の光景を受け入れることができず、ただその場に立ち尽くすことしかできなかった。




