95 聖女の帰還
久しぶりのフェルテア大公国の首都フェリスだ。
聖女クラリスは不在にしていた時間を数えてしまう。
そびえ立つ城壁に囲まれた山岳の都市である。季節によっては雪もよく降るので、石段の上で冠のようになるのだ。
雪遊びをする子供たちを見るのが、クラリスの毎年の楽しみだった。
(まだ先の話だけど。きっと今年も、そんな平和な暮らしを見られるといいな)
クラリスは懐かしさと喜びを感じつつ街の大門の前に立った。まだ朝の早い時間帯である。朝露が陽光を弾いて、石積の隅でキラリと光を放つ。
バーンズの部下であるジェニングスとピーターが先触れに出てくれていたはずだが、誰も迎えには立っていない。多忙らしいとは聞いていた。
(それだけ、魔塔攻略に向けて、精力的に動いている証、ではあるけれど)
門番の詰め所に回って、クラリスは自ら扉をノックする。
「失礼します。神聖教会のクラリスです。ご無沙汰しております」
クラリスはさらに声を上げた。シャットンが驚いた顔をしている。不意をつくことには成功したらしい。
門番たちも驚きつつ、喜色を満面に浮かべて大門を開いてくれる。
「聖女様、聖女様が戻られた!」
口々に呟いている。
(良かった)
クラリスは安堵する。
堂々と大門から街へと入った。もしミュデスが健在だったならどうなっていたのか。即座に捕縛されて処刑されていたのかもしれない。
見慣れた街並みだ。何度も各地への祈りの旅から戻ると、目にすることとなった。当時よりも多少、切迫しているかもしれない。
「クラリス様、大公閣下への謁見と報告があります。その身支度のため、神聖教会を経由して行きましょう。話はつけてあると、メラン様から便りが届いております」
シャットンが耳打ちしてくる。
通りですれ違う人々が自分に気付く度、足を止めて目を見張っていた。中には駆け寄ろうとする者もいるのだが。
シャットンに睨みつけられて断念していた。
(良かった、本当に。拒まれていたら、石でも投げられたら、って思っていたから)
自分が逃げたせいで魔塔が立った。逃げなければ立たなかったかもしれない。
恨まれているのだ、とクラリスは思っていた。
「聖女様だっ!クラリス様が本当に戻られたっ!」
神聖教会へと近づくにつれて、人が増え、とうとう歓声まで上がるようになった。
「本当だっ!ラミア様が仰っていたとおりだっ!」
しかし、思わぬ声も上がっていて、クラリスは首を傾げる。
(ラミアさんって、ミュデスが恋人にするって言ってた人よね。私の代わりに聖女にするって)
クラリスとしては、理由がわからなくなってしまう、人々の反応なのだった。
なんとなく、ミュデスと一緒くたにされていて、国民からも嫌われている存在だと思っていた。
「ああっ!ラミア様からの布告どおりだっ!」
またラミアの名前を別の声があげる。
どう考えても慕われているような印象を、声からはクラリスも受けるのだった。
「ラミア様がクラリス様を、ドレシアに掛け合って呼び戻されたのだ!」
気付くと自分よりもラミアのほうが歓声も多いくらいだった。
「ラミアって誰だ?」
護衛の一人ヘイウッドが首を傾げる。ドレシア帝国ではラミアの存在はあまり広く知られてはいないようだ。
「あのとき、啖呵を切って、国民の士気を上げていた女性だろう。魔塔攻略に向けて、精力的に動いている、という噂だ」
隊長のバーンズが淡々と説明していた。珍しく怒られるでもない。ドレシア帝国の人間としては、知らなくても仕方のない、所詮は他所の国のことなのだ。
複雑な気持ちとともにクラリスは神聖教会へと到着する。
白い漆喰の壁に、青い屋根を持つ、塔のような建物だ。
「クラリス様っ!」
神聖教会の敷地に入ると、流石に用のない一般人たちもつきまといはしない。代わりに神官たちがぞくぞくと駆け寄ってくる。皆、見知った顔だ。
「良かった!よくぞ、ご無事で!」
女性の神官たちの中には姉妹のように、親身になってくれていたものも多かった。
何人かとはクラリスは手を取り合う。
(でも、皆、痩せてるわ。きっと、苦労してきたのね)
クラリスは胸を痛める。
魔塔のせいなのか。今現在も参拝に来ている人間もいない。寄進も何も無く、経済的にも苦しかったのではないか。
「クラリス様だっ!聖女様が戻られたぞ!」
引き続き外が騒がしい。
「ラミア様が呼び戻されたんだ!」
そしてやはり、ラミアなのであった。ひどく慕われているらしい。
「ご迷惑をおかけしました。皆さん、すいません」
誰にともなく謝罪して、クラリスは頭を下げた。
「クラリス様のせいではありません!ミュデスという男が、あまりにも愚かだったのです。神官長様も責めることはないでしょう。まもなく参られます」
神官の一人アンナが言う。
言葉通り、痩せた穏やかな顔立ちの初老男性が近づいてくる。神官たちが道を開けた。
フェルテア大公国神聖教会の神官長キオンである。クラリスの育ての親でもあった。
「おかえり、クラリス」
静かな口調でキオンが言う。
「神官長様」
キオンを目にすると不思議に涙が溢れてきた。
気付くと相手も同様である。
「よく、無事に戻ってくれた」
そっと手を取ってキオンが言う。細く骨ばって節くれだった手だ。
「神官長様たちも、よくぞご無事で。私、ミュデスが何をするのか、心配で不安で」
クラリスは皆を見渡し、改めて誰も欠けていないことを喜ぶ。
「なんの。処刑されかけた、そして知らない土地での生活を余儀なくされたクラリスに比べれば、なんということもない」
首を横に振ってキオンが言う。
「シャットンもご苦労だった。君のおかげで、我が国は聖女を失わずに済んだんだ。感謝してもしきれないよ」
キオンがシャットンも労う。
「俺は知ってのとおり、アスロック王国の出身です。魔塔と聖女様には、思うところがありますので」
恭しく一礼をしてシャットンが謙遜する。
同時に外でどよめきが上がった。
「ラミア様っ!」
「ラミア様だっ!直接いらっしゃった!」
思わずクラリスは門の方を振り向く。
やがて人混みの中から青いローブ姿の女性が姿を現した。
自分を見とめるや、つかつかと歩み寄ってくる。
「聖女クラリスッ!」
よく通る声で女性が叫ぶ。満面の笑顔だ。
「よく戻ってきてくれたわねっ!」
自分に成り代わって聖女となるはずだったらしいが、何も屈託はないらしい。
「一緒に、魔塔を倒すわよ!」
自分の返事など待たず、ラミアが自分の腕を取って振り上げる。
爆発する歓声とともに、これは芝居だ、とクラリスは気づくのであった。




