77 閑話 イリスの1日
もっと注力して描きたかったペイドランとイリスなのですが、なかなか描けず。耐えかねて作りました。ご覧いただけますと幸いです。
イリスは起床すると青い短パンに白いシャツを身に着け、更に黄土色のキャップを被った。寝室で寝る前に準備しておいたものだ。
シャツと短パンはペイドランが貴族となった後で購入したもの。簡素だが良い布地で着心地の良いものである。風通しも良い。高かったのである。
更には昔から愛用の細剣を吊った。丸腰で外を走り回れる身分ではない。
「ちょっと行ってくるわね」
寝台の上で大の字で横たわるペイドランにイリスは告げる。
(寝た振りしてる。本当は起きてるくせに)
イリスは笑いそうになる。
1歳半になる息子のレルクも同室の子供用寝台で寝こけていた。すやすやとしている寝顔が本当に可愛らしい。
額に接吻してからイリスは寝室を後にする。
朝の日課、走行訓練だ。今は2人目を妊娠しているのだが、軽い運動は構わないらしい。レルクの時もよく走っていたものだ。
(今のところはまだ、そこまでつわりも重たくないし)
イリスは思いつつ、既に並べられている純白の運動靴を履く。
当番の女中が一人、扉の脇に佇立している。朝早いというのにお仕着せをきちんと身に着けていた。今日はまだ14歳の少女であり、ミイナという。
(なんとなく、私の昔を思い出すのよね、見た目はあんまり似てないのに)
イリスはチラリと思う。
「おはよう、いつもありがとう」
イリスはミイナに微笑みかけて告げる。
「お、奥様、行ってらっしゃいませ」
緊張した面持ちでミイナが頭を下げる。
運動靴を履き終えてイリスは立ち上がった。自分で開けた扉から駆け出していく。
まだ日が上がったばかりだが、庭園を抜け、正門から屋敷を出るともう働いている人々がいる。近隣の貴族や皇族の屋敷に仕入れをしている業者だ。
(私もセニアの時は同じ立場だったけど。レナート様のお屋敷で。従者してて、セニアの面倒見てたな。楽しかったけど。逆になっちゃった。結局。ペッドったら出世しちゃうんだもん)
当初は、出会ったころは2人きりでどこか東へ、などという話もしていたのだ。
イリスは昔を思い出しながら、馬車のために舗装された車道の脇、歩行者用の通路を駆け抜けていく。
自分の脚は速い。16歳の時と変わらぬ脚力を出産してもなお維持している。時には馬車すらも追い抜いてしまう。
(侍女とかの人には苦労をかけるけど。早起きとかわざわざしてくれてるし)
わざわざ見送りのために、一人、当番を立てることとしたらしい。貴族となって、お屋敷を受領した時にはびっくり仰天させられてしまった。
(そんなの要らないのに)
風を切って走りつつイリスは苦笑いだ。
走る行程はいつも特に決めていない。それでも知らず、いつも似たような道を駆け抜けていた。
ドレシア帝国内の治安は皇帝シオンの尽力もあって決して悪くない。それでも女性の一人走りである。時折、やたら心配してペイドランが同行してくれることもあった。
(なんか、予兆みたいなの、察知してくれてたのかな)
寝た振りをしていたのは、今日は安全、ということだ。
第1ファルマー軍団の軍営近くに至った。
警笛の音が聞こえてくる。
(シェルダンさんとかデレクさんにラッドさんが今じゃ重役してるのよね)
イリスは高い壁を横目に走る。
黄土色の帽子に片手を置く。祖国を滅した時にドレシア帝国軍シェルダン・ビーズリー指揮の特務分隊にいたのだった。
今となっては懐かしい。
(腐っても滅んでも、あそこは私の生まれた国で、出身地だからね。それは死ぬまで変わらない)
自分も聖騎士セニアと同じく旧アスロック王国の出身だ。国を出てからも聖騎士セニアの従者をしつつ、夫ペイドランと出会ったのである。
(こんな暮らしを、こんな立場ですることになるなんて)
常人離れした脚力と細剣の技術で生きてきた。魔塔に上ったこともある。だが、強力な魔物とは相性が悪く、自分の限界も思い知った。
(あそこで無事に生還できて、ペッドと結婚出来て、私はホントに運が良かった)
なんとなく考え事をしつつ、走る速度は落とさない。あっという間に軍営の外周を駆け抜けると、しばらくまた貴族の屋敷周りを走る。
やがて青い屋根に純白の外壁をした屋敷が見えてきた。
「イリスッ!おはようっ!」
水色の髪に黒いドレスを着た女性が立っていて、声をかけてきた。かつての主にして、現在の皇弟クリフォードの妻、聖騎士セニアである。
ニコニコ笑って手を挙げていた。
叩け、ということなのだろう。
「おっはよう!」
イリスはパンッと大きな音を立ててその手を叩き、そのまま駆け抜けた。
今は聖騎士セニアも第一子を授かっている。いよいよ出産も近くなり、腹も大きくなっていた。一時は一緒に走行することもあったのだ。
(絶対に、いの一番で挨拶してやるんだから)
かつての主セニアの第一子なのだ。イリスは固く決意している。
(で、次は私の2人目。どっちかまだ、分かんないけど。大事にしなくちゃね)
イリスは屋敷に戻り、運動靴を脱ぎながら腹を撫でて思う。
朝の走行訓練もやがて、ほどほどにしなくてはならないかもしれない。そう、イリス自身も思うのであった。




