76 フェルテア大公国へ
自分はフェルテア大公国へと戻れるらしい。
ドレシア帝国軍第4ギブラス軍団の指揮官リオル・トラッドが足繁く通ってくるようになり、そして報せをもたらしてくれる。
「そうですか。ミュデスがとうとう」
もとより少ない荷物を纏めつつ、クラリスは言葉を漏らす。
本当に大事なものは分厚い教練書ぐらいのものだ。ドレシア帝国に来てからもさほど持ち物は増えなかった。
代わりに、力を得たのだ、と思っている。神聖魔術の修練が少しずつだが確実に進んでいた。剣も遣い直接の攻撃に長けた聖騎士の神聖術に対し、聖女の神聖魔術というのは補助的な役割を幅広くこなすためのものらしい。
(オーラと閃光矢、これとはまた別に小さな傷ぐらいなら、治せるようになった)
身体の傷を外から治すのである。
(でも、いよいよとなったけど、私は、本当に魔塔で戦えるのかしら?役に立てるのかしら?)
それでもクラリスとしては危惧を拭い去れない。そもそも17年生きてきて、何かと戦ったことなどないのだ。平和な人生であった。
「ええ。これでフェルテアも、現大公閣下と次期大公メラン殿の下、新たに仕切り直しとなるでしょう」
リオルが微笑んで告げる。
ときには荷造りを手伝って、縄紐などを縛ってくれていた。遠慮して手を出さないシャットンとは随分違う。
「ガズス将軍とその軍も健在だとか?」
視線を向けると何を勘違いしたのか、シャットンが尋ねる。どうしても心ときめく名前ではあった。
別に代わりに何かを問うて欲しかったのではない。あまりクラリスのことには口を挟まないという方針だったのだろう。リオルがあらわれ、教練書を持ってきてくれたぐらいの頃から、クラリスとシャットンとの会話は減っていた。
(もともと、私との線引きみたいなのは、はっきりしてたけど)
ずっと一緒にいた割には親しくもなれなかった気がする。
「あぁ、失敗していたことが、かえってその面では良かったのかもしれない。余計な犠牲を出さなかった、ということだからね」
リオルが肩をすくめて答えた。シャットンとも気兼ねなく話す姿には好感が持てる。
荷造りが終わった。クラリスは2人を交互に眺める。
「つまり、身体はそのままに、愚かな頭だけを切り捨てた格好ですか。理想的な展開だ」
拳を顎に当てて、シャットンが言う。
「そして、ラミアという女性が士気を、いや、国民の魔塔攻略に向けた機運を高めてくれているらしい」
笑って思わぬことをリオルが告げる。
ラミアという名前には聞き覚えがあった。
「ラミアというのは、ミュデスの愛人ではありませんでしたか?」
嫌な顔をしてシャットンが言う。
「いや、ミュデスが一方的に言い寄っていただけで、肉体的な関係も何もなかったらしい。魔術の研究視線を体よくむしり取っていたのだとか?強かな女性ではあるようだが、魔塔攻略への熱意と魔導の才能は本物らしいよ」
首を傾げてリオルが言う。リオルにとっても直接は知らない女性なのだった。
「そして聖女追放のダシにされるは、魔塔出現の責任も感じさせられるは、でミュデス失墜前には逃れてガズス将軍のもとに身を寄せていたらしい」
よく知っているものである。
クラリスは感心してしまう。
「そうなんですね。ラミア様も大変だったのですね」
思うままをクラリスはただ言葉にした。そういうつもりだったのだが。
シャットンとリオルが顔を見合わせて目を丸くしてい
「どうかしましたか?お二人とも」
クラリスは首を傾げて問う。
何か変なことを言っただろうか。
「いえ、クラリス様」
まずシャットンが答えようとし、言葉を探す。だが、口下手なシャットンである。上手い言い回しなど出てくるわけもない。
「いいよ、シャットン殿。私が説明するから」
リオルが笑顔で説明を引き継ぐ。
「えーと、クラリス殿。ラミア嬢というのは、冤罪だったとはいえ、君の聖女としての地位を奪おうとしたと。そう言われていた相手だからね。悪い印象などないのかなって」
リオルが口にしたのは思わぬ言葉だった。
冤罪だったのだから、当然、クラリスとしてはなにもないに決まっている。
「でも、ラミア様も私と同じでミュデスの被害者みたいなもので、苦労されてたのですから」
直接、クラリス自身にラミアが何かをしたというわけでもない。
手籠めにされそうになり、ミュデスの方には、処刑の一歩手前にまで追い詰められた。ミュデスの悪印象があまりに強すぎる。一緒にラミアが自分を詰ったなどということもない。
「まぁ、彼女は何かされる前に上手く逃げた、ということだね」
苦笑いしてリオルが言う。
一度だけ、クラリスも首都フェリスにてラミアと顔を合わせたことがある。だが、興味なさそうに一瞥されただけだった。青い髪のきれいな女性だったという記憶が自分の方にはあるのだが。
「私は、ラミア様にはなにも恨みに思うことなんてありません。思ったこともないです」
だから、ミュデスのいないフェルテア大公国に戻ることには何の問題も気詰まりもないのだ。
(そう、あとは魔塔を倒すだけ)
クラリスは決意を新たにして拳を握る。
「さすが聖女様だね。私みたいな俗物はなんでも勘繰ってしまってよくないね」
リオルが笑って言う。
シャットンが顔色一つ変えずに頷く。
「そしてクラリス殿、いよいよ明後日、フェルテア大公国へ出発するとのことだが、私と軍の幾らかが同行するよ、その前に落ちぶれたミュデスを見ておくかい?」
にやりと笑ってリオルが言う。
「いいえ、もう、いいです。魔塔のことには、もう関係ない人なんですから」
クラリスは首を横に振った。
いまさら、ミュデスなどどうでもいい。
(そう、いよいよ、やっと、私も聖女としてフェルテアに戻ることが出来る)




