30 旧交1
自分が迷惑な存在に、聖騎士セニアのせいで目をつけられたとはつゆ知らず、シェルダンは同日、旧交を温めることとして、皇都グルーンを歩いていた。
自分の屋敷はあるが、カティア抜きでは寄りたくない。初老の執事からは『旦那様』と呼ばれる上、屋敷のことで決断を求められる。
(そもそも建物が立派過ぎて落ち着かない)
シェルダンとしては、そうなのだが、完成した時の幸せそうなカティアの笑顔は忘れられない。我慢して父とぶつかりながらも昇進を飲んだのが報われた、と思えた瞬間だった。
今は皇城の近くにある軍営を訪れている。第1ファルマー軍団のものではない。
味気ない灰色の外壁をした、石造りの庁舎である。通信技術課のものだ。
「シェルダン隊長っ!」
やはり自分は『隊長』呼びをされる方がしっくりと来る。
思いながらシェルダンは声のした方を向いた。小柄な黒髪の青年が施設の奥から歩み寄ってくる。
嬉しそうに笑っている、元部下のリュッグだ。手紙のやり取りもかねてからあって、忙しくしているようなので外回りかと危惧もしていたのだが。
「ご無沙汰してます」
立ち上がった自分に、リュッグがペコリと頭を下げる。幾分、背も伸びて顔つきも大人びた。もう16歳の新兵でもなく軍人でもない。それでもよく運動しているのか、痩せて引き締まった体つきをしていた。
「久しぶりだな、元気そうで何よりだ」
シェルダンも笑顔で告げる。執事に何やかやと言われるより、成長した元部下の若手と会うほうがよっぽど楽しい。
今では他部署の立派な技術者なのだ。
「バーンズさんはお元気ですか?」
ソファの向かいに座ると、リュッグが早速、尋ねてくる。通信技術課には予算がちゃんと回されているのか、ソファも茶色い革張りの綺麗なものだった。
(世間は狭いなぁ)
シェルダンはリュッグとバーンズの関係性についてはいつも思わされるのだった。
直接、この2人が自分の部下として同時期に働いていたことはない。だが、リュッグの恋人シエラとバーンズの通う体術の道場が一緒だった。そこでリュッグがシエラの恋人だ、となり、あの手袋の考案者だ、となり、手甲鈎をリュッグがバーンズのため考えついたのだ。
(あれは便利だからなぁ)
バーンズには自分もいろいろと話をするが、生き残るための工夫は、本人が自分で頑張って、いろいろとしている。結果、シェルダンとはまた違う道具を使いこなすようになった。
「あぁ、元気によく働いてくれている」
シェルダンは一連の働きについて、話せるだけは話して聞かせた。
話している内に、バーンズのことも、いつまでも分隊長というわけにはいかないかもしれないと思い始める。本人も特別、昇進を拒もうという気持ちもないだろう。昇進を拒むのは自分ぐらいのものなのだ。
「あれを使いこなせるなんて、すごい人ですよね」
ニコニコ笑いながらリュッグが告げる。顔立ちも変わり、大人びてはいても、笑うと昔を彷彿とさせるのだった。温厚な人柄がにじみ出る。
「真似したいとも思えないな、俺は。生身での敵との距離が近くなり過ぎる」
シェルダンは肩をすくめて穏やかに応じた。
手甲鈎は岩壁や木を登ることにも使える。バーンズのように体術を習得していれば、なお活かされるだろう。だが、シェルダンとしては鎖鎌や流星槌を振り回すほうが、自分には合っている、と思っていた。
「だが、バーンズはバーンズだ。俺とは違う。忙しいのに俺の部下のことで、良い武器を考えてくれた。ありがとう」
シェルダンは素直に礼を述べる。
リュッグの本業、通信の件でもシェルダンは世話になることが多い。軍用の念話通信網を各軍団の詰め所ごとに、今、リュッグが他の技術者とともに構築しようとしてくれている。
「それにしても、そろそろどうなんだ?ペイドランの妹さんとは」
シェルダンは笑って話題を変えた。
自分の部下だった頃から、黒髪の可愛らしい少女と交際していたのだ。聞けば同じく元部下だったペイドランの妹だという。
「今、セニア様が妊娠されているから大変みたいなんです」
そして聖騎士セニアの侍女でもあるのだった。リュッグが苦笑いして答える。
「隙あらば動いて剣を振ろうとしたり、神聖術を試し撃ちしようとしたりするらしいです。治癒術士さんたちにも怒られてばかりなんだそうですよ」
いかにもあのセニアらしい話ではあった。
「まったく、困ったものだな。あの人たちにも」
シェルダンも数々の苦労を思い出して苦笑いだ。
笑ってリュッグも頷くのだった。仲睦まじい若い恋人同士だったから、リュッグとしてもシエラと会いたくてたまらないのだろう。
(何が困るって、あの連中は悪気がないからな)
自分たちが周りを振り回していることに気付きもしないのだ。
「でも、どうしたんですか?第1ファルマー軍団は、今、出動してるんだって聞いてました」
無邪気にリュッグが尋ねてくる。本当は軽々しく軍務のことを訊くものではない。昔から数少ないリュッグの欠点ではあった。
だが、もう叱る叱られるの立場でもない。
「厳密にはうちら軽装歩兵連隊だけだ。俺は皇帝陛下に呼び出されて単身で戻る羽目になった。本隊のデレク達は国境警戒中だ」
シェルダンは故に話せるだけを答えた。シオンの呼び出しまで話せることに含んだのは、ささやかな反抗である。
「皇帝陛下から呼び出されるなんて、やっぱり隊長はすごいなぁ」
リュッグが素直なので、そんなところに感心して深くは聞かれなかった。
実際のところはかなり厄介な探りを皇帝シオンからは入れられている。自分にフェルテア公国の元聖女クラリスについて、神聖魔術を教えられないか、というものだった。
当然、嫌である。出来る出来ないではない。嫌なのである。
(セニア様の時は、レナート様の御息女だという特殊事情があった)
何が悲しくて、何も縁もゆかりも無い相手に、あんな大層なものを指導しなくてはならないというのだ。聖騎士セニアのときの苦労を思い出すにつけ、絶対にゴメンだった。
本当に腰を据えて頼まれていたら、自分は泣いて懇願してでも拒むかもしれない。まして、自分でなくてはならないわけがないのだ。
(そもそも聖山ランゲルで、大神官様に修行をつけてもらえば良かっただろうに)
シェルダンは苛立ってしまう。修行に専念出来るようにその間の安全のため、バーンズ達までつけてやったのだ。
聞く限り、大神官レンフィルの眼鏡にかなわなかったようで、何も教わることなく、手ぶらで帰ってきたらしい。何のために聖山ランゲルまで行ってきたのか。ただの旅行だ。
内心で腹を立ててはいても、まったく顔には出さないシェルダンである。
「隊長のお子さんたちは今、5つと3つですよね。お元気ですか?カティア様も」
リュッグが尋ねてきて、我に返る。
未だに娘と息子の誕生日にはちょっとした玩具などを送りつけてくれるのだ。カティアの覚えも悪くない。大人しいが実にしっかりとした元部下なのである。
「いつもすまんな。娘も息子も喜んでくれているよ、あの人形」
シェルダンは頭を下げた。父親としても子供たちの笑顔が何よりなのだ。
「喜んでくれてるなら、何よりです」
にこにこと笑顔のままリュッグが言うのだった。
時には玩具を自作すらしてしまうのである。シェルダンとしては頭の上がらない存在となりつつあった。
「今度はぜひ、領地の方にも遊びにきてくれ。あのシエラという恋人と、だ。カティアとも同僚だったそうじゃないか」
ペイドランの妹であり、ペイドランとイリスの結婚式でゴドヴァンたちの喧嘩を止めようとした少女だ。シェルダンもよく覚えていた。
「ええ、たまには旅行したいな、って俺も思ってたから」
相変わらず仲睦まじいのであった。このままいけばペイドランの義弟ということとなるのだが、そこはいいのだろうか。
「何も無いがな」
笑って告げて、シェルダンは通信技術課の庁舎を後にするのであった。




