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「でも納得いってないみたいだね。ユルスのこと」
「アントニウスの娘だし」「クラウディウスに釣り合わないし」というのはアントニアを「勿体ない話なんだから、さっさとドルススのところへ行け」と説教する時のユルスの口癖で、「浮気する人嫌い」というのもユルスのことを言うのだろう。
「ユルス兄様にとって異母妹で一番大事だったのって、セレネなのよ。マルケラ姉様も前は私と同じ、ユルス兄様の妹だったのに。結婚したとたんに私のことが一番適当になっちゃうんだもの」
やきもちみたいだ。セレネの結婚の時に、ユルスが随分としんみりしていた記憶がある。二人とも両親を失っていて後ろ盾がなかったから、他の異母妹とは思い入れが違ったのだろう。
義理の妹だった頃よりも、妻になった女性を尊重することも当然だと思う。けれど結果的にアントニアは血がつながっているのに、ユルスに家族の中で邪険にされているという、不思議な状態になっている。
「私、おかしい?」
「ううん」
「他の人たちは『男の人はみな浮気をするんだ』って言うし。なんだか嫌になってきちゃう。男の人は開き直るし、女の人だって旦那様の文句ばっかり」
「僕はしないよ」
「皆、最初はそう言うだけで、絶対にするって。どうしてそんなにムキになって、私を黙らせようとするのかしら? そんなに文句ばっかり言ってるくせに、どうして私に『結婚しなさい』って言うのかしら?」
確かにユルスでは、説得力は皆無だ。
「僕は――」
「皆言ってる」「皆やってる」と言われたって、絶対に嫌だ。父母が神の前での誓いを破って別れたことも、母が自分を身ごもった状態でアウグストゥスの元に行くことになったことも、事情があるのだとわかってる。
だけど。兄を見ていると身につまされる。母の決断を責める意図はないが、自分自身もかなり気にしている。アントニアだって、自分の父親が母を捨ててエジプトの女に走ったおかげで、辛い思いをしている。何が正しかったかなんて、本人だけが決められることだ。だけど、彼らの家族はこんな風に傷ついているのだ。
自分には「アウグストゥスの実の子だ」という噂がある。そんな風に見られていることにも、「だからアウグストゥスに気に入られているのだ」と言われることにも、悩んできた。一番頭に来るのが「アウグストゥスの息子であるべきだ」と言ってる輩だ。その方が都合がいいのだから、そう言いふらせばいいと、親身になってるつもりでささやくのだ。
ふざけるな。僕はクラウディウスだ。母がティベリウス・クラウディウス・ネロと結婚していた時にできた子供なのだから、疑われること自体がひどい屈辱だ。
だけど完全に否定は出来ない。それが悔しい。
兄を見ていると羨ましいと思う。クラウディウスであることに何の疑いもない。
自分は何者なのだろう。兄を見つめて、自分の中に、アウグストゥスよりも兄に似ている部分を探してしまう。骨格からして、実父の血統だと思いたい。
兄はいい。クラウディウスでありながら、アウグストゥスのやり方を支持することができる。しかし自分は? 古き共和政の復活を求めているのは、自分がクラウディウスでありたいがためのような気がする。本末転倒だ。
「ドルスス、どうしたの?」
自分は正しくありたい。
アントニアにはたいしたことは言ってやれない。自分にできる範囲のことしか誓うことは出来ない。
「僕を信じて」
彼女の手をとって、つぶやく。
僕は君を絶対に裏切らない。誰にも渡したりしない。
アントニアは厳かに「はい。信じます」と答えた。
子供のくせに。子供だからきれいごとを言える。人にはそう言われるかも知れない。
愛しいとは、こういうこと。年齢など関係ない。自分は随分と前から知っていた。
食堂にいる夫妻に挨拶してから帰ろうとすると、ほろ酔いでいい気分になっているユルスが、マルケラの膝を枕にしていた。笑いながら手を伸ばして、綺麗にまとめた髪を崩そうとしている。
あんなのを見せつけられてたら、アントニアも居心地が悪いし、もともと義理の兄妹だったのが夫婦だなんて頭が混乱するだろうし、自分は二人とも血がつながってるのに邪険にされてる、と拗ねたくなるのもわかる。
自分の両親は子供の前ではあんなこと絶対にしないから、目のやり場にも困るし。
「ね。いやになっちゃう」
アントニアが呟く。
伯母オクタウィアはアントニアに「家の主人がきちんとうちに帰ってきて、妻と仲良くしているのだから」と言うのだそうだ。ご自分が苦労しているから、マルケラの嫉妬もアントニアの愚痴も、てんで問題にはならないレベルだ。夫が妻子を捨ててエジプトに行き、愛人と勝手に結婚して子供を三人も生ませ、しかもローマに対して弓を引く、なんてのに比べたら、確かに何が悪いんだろ、という気分になるからおかしなものだ。
幸せなのかな。
ユルスを見つめるマルケラの表情がやさしくて、アグリッパ将軍と離婚させられた時には泣き暮らしていたと聞いていたのが、嘘のようだ。命令だったとはいえ、本人たちは前向きに結婚生活を営んで満足しているのならいいなと思う。
マルケラが気づいてユルスを起こそうとしたが、ユルスは笑いながら、膝の上の頭をどかそうとはしない。やれやれ。
「また来ますね」
「おう、待ってるぞ」
「あ、ドルスス。ちょっともう、あなた!」
でも、ちょっといいな。ああいうの。
そう言うと、アントニアは真っ赤になってそっぽを向いてしまった。さっきは「どうぞ」なんて言ってたのに。まあ、そういうとこも好きなのだけど。
今まで書かなかっただけで、書こうと思えば恋愛ものを書けると思ってたのは、とんでもない思いあがりでした。