とある神父の内情
お前はお人良しだ、とよくいわれる。
それをいわれると、どうにも耐え難いむず痒さを覚える。別に自分という人間はいい人間ではない。
自分はただ、最初からそれしか教わらなかっただけだ。父親は神父だった。どんな悪行を働いた人間でも許せと、そういわれ続けただけだ。
だから失明した時も、自分は許した。心の奥底では、行き場のない悪感情に支配されながらも、許すことを選択した。
それしか知らない。許すことしか選択できないし、それ以外を選ぶ権利は与えられていない。親の言葉を鵜呑みにするならば、神父とは許す職業なのだろうし。
きっと、自分のことを優しいという人間は、勘違いしているだけなのだ。薄っぺらい笑みと、意味もない柔らかな笑みに、騙されているだけだ。
その実、何を考えているかも知らずに。
教会職に就きたかったかと問われれば、わからないと答える。トレッドのことを許せるかと問われれば、許せないと答える。
神など、くだらないと思っている。
そんな人間なのだ。自分という人間は、嘘でできているのだ。
だからずっと、そんな自分が嫌いだった。
×
その姿を見たとき――いや、その声を聞いたとき、ひどく傷ついているのだなとわかった。職業上、一応神父だから、悩みを吐き出しにくる客は多い。そういう人間は大抵、こんな声を出す。
しかし、彼女の声はそれとは少し違うようだった。客は自分のことしか考えていない。だが彼女の声からは、それを感じなかった。
彼女からは、それとは違う別のものを感じた。何というのだろう、優しさ、といっていいのかはわからないが、それに似たもの。生憎、それを正しく形容できる言葉は自分の語彙になかった。
彼女はメイというらしい。ありふれた名前ではないが、親近感を感じさせる名前だと思った。
メイさんはここで働かせて欲しいといった。好都合だ。ちょうど、清掃業者を呼ぼうと思っていたのだ。それ手間が省けたのもいいし、それに毎日清潔に保てるのは、悪くない。ついでに家事もやらせれる。給料を払うつもりはない。住み込みにさせれば、食費代だけで済むだろう。
一応、神父らしいことをいったほうがいいかもしれない。なら適当なことをいっておこう。
「主を信じてください。信じていれば主は、いつか必ずあなたを助けてくれます」
我ながら、よくできた神父だと思う。もちろん演技の話だが。彼女が神を信じているかどうかは関係ない。ともかくそれっぽいことをいって忠誠心を高めるのが目的だった。この人には全てを見透かされているのではないか、とでも思ってくれたらいい。そう思っていれば、少なくとも教会費や生活費を盗まれることはないだろう。
しかし、主を信じてください、か。自分が一番いってはならない台詞なのだろうと、笑みを浮かべながら思った。
×
彼女を思いのほか仕事ができる。訳を聞くと、少しうろたえていたが、一人暮らしだったから自然とできるようになったとのことだった。
怪訝に思ったわけではないが、事情があるのだろうなと思った。一人暮らしをしていた身がここまで来て、教会で働くなんていうのもおかしな話だ。
そういえば、彼女が以前に、なぜ神を信じられるのかと聞いてきた。しかし以外だった。まさか本当に、彼女が神を信じていないとは思ってもみなかった。
だからますます疑問に思うのだ。なぜ、彼女はここに来たのだろうと。神を信じていない人間がここに来るなんて、これ以上におかしな話があるだろうか。
余計な詮索をする気は毛頭ないが。
しかし、またこの季節がやってきたか。
帰霊祭。毎年、この季節になるとこれに悩まされる。別に、霊が帰ってくるわけではない。ただ教会がお金欲しさに始めた、くだらない行事だ。
その当日に、免罪符を売りつけろとかいわれたのだから、堪ったものではない。帰霊となんの関連性もない。どう売れというのだろうか。
毎年一つも売れなくて叱られるのは自分だ。
正直な話、そろそろこの教会も終わりではないか、と思い始めている。教会とは結局、上にとっては金稼ぎの道具でしかない。使えなくなれば切り捨てられるのは必然だろう。
まあ、駄目もとではあるが、メイさんに客寄せを頼んでみるのも、悪くないかもしれない。
×
まさかここまで人が集まるとは思っていなかった。
自分の耳に入ってくるのは、うるさいほどの喧騒だ。
メイさんには感謝しよう。とりあえず客が入っていればいい。後から来る教会の人間にはでかい顔ができる。
後で、お礼をいっておこう。
さて、自分のことに集中しなければ。無様を晒すのは、恥ずかしい。
×
何が起こったかはわからなかった。演奏を終え、しっかりと神父の役目を果たせた達成感に浸っていた。
こういう時自分は真っ先に動くべき立場なのだろうが、目は見えない。しかし、耳は聞こえる。視覚は失ったが、その分聴覚が研ぎ澄まされている。
なんだ? メイさんについて、何かあったのか?
「あの……どうなされたんですか?」
近くに人の気配がしたから、思わず問う。
「はあ!? アレが見えねえのかよ!?」
「すみませんが、私は目が見えないもので……」
「アイツだよ、あの、皿とか片付けてた娘。アイツが犯罪者だったんだよ!」
きゅっと、一瞬息が吸えなくなった。聴覚も、触覚も全て遮断され、わからなくなる。まるで立ちくらみが起こったようだった。
「あの……今、なんと?」
「ちっ、めんどくせえな……。だから、アイツだ。顔を布で覆っていたやつ。そいつが犯罪者だったんだよ。それもばつ印つきだ。よっぽど悪いやつなんだろうな」
そんなまさか、何かの間違いだ。あの人が、犯罪者? それも、人殺しをしなければ付けられないような、ばつ印を?
「アンタは運が悪いよ。目が見えねえから、いいカモにされてたんだろうよ。同情するぜ」
違う。あの人が、そんなことをするとは思えない。ほぼゼロに近かった客をここまで増やせる人間だ。そんな計り知れない苦労ができる人間が、人殺しなんて、できるはずがない。
「あーあ。壇上から引きずり下ろされちまった。やっちまったなあ。なんで人前でばらすようなまねしたんだろ。こうなることぐらい、わかるだろうに。あ、踏まれてるぜ」
音が聞こえる。視覚がないことにより鋭敏になった鼓膜が、その事実をどんな言葉より鮮明に教えてくれた。彼女が、暴力を受けている、と。
自分は、動けなかった。
×
周りは励ます。その励ましが、今の自分にとって何よりも痛いものだと知らずに。
しかし、その痛みが何なのかを、自分は知らなかった。さっき助けることができなかった自己嫌悪によるものなのか、それとも騙されていた事実に打ちひしがれているのか、何なのかはわからなかった。
じっとしていると吐きそうになる。胸が痛くなる。これはいったい、何なのだろう。
ただその痛みの原因に、彼女が関与していることは間違いない。
なら、追うか? どうすることもできずに追い出され、今路頭に迷っている彼女に、何の配慮もせず自分の知的好奇心に任せて質問責めにするつもりか? それこそ、殺人よりも重い罪だろう。
自分ができることは、なんだろうか。
教会に人はいなくなった。もう祭りは終わった。後は、祭りの残骸が残っているだけだろう。片付けは、どうやろうか。
これからどうする。もう、家事をやってくれる人はいないのだ。また、汚い教会に戻るのだ。何の調理もされていない食材を貪る日々に戻るのだ。
そして自分は、ようやく気づく。それに戻って、後悔をするのだ。
彼女という存在が、自分にとって大きな存在だったということを。
なら、自分のすべきことは一つだろうと思った。
彼女の傍にいてやる、なんてことはいえない。彼女はそんなことを望んじゃいないだろう。
だから、自分は贖罪をしようと思う。
罪も、咎もわかっていないのにだ。おかしな話だと自分は思う。でも、それでいいではないか。償おうと思う気持ちが、多分大切なのだろうし。
でも、こんな思いに支配されている自分が、未だに信じられなかった。神も何もないといい、漫然とした日常を送っていた自分が、こんな選択をしたのだ。それも、ほぼ無策。何の保証もない。意味もあるかわからないような行動を起こす。自分が、自分でなくなるような気分だ。
しかし、どれだけ高揚していようが、現実はどうしようもない。
どうやって追えばいい。彼女が追い出されてから数時間は経った。もうかなり遠いところへいっているはずだ。
いや、ここらは辺境の地といっていい。村の数はそこまで多くない。その数少ない村の中で、一番近いのは、サーメ村だ。とりあえず、ここを当たるしかないだろう。
道は、トレッドさんの力を借りよう。たぶん力になってくれるだろう。しかし、許しておいてよかった。
×
サーメ村にはいなかった。だが、深夜だというのに起きていた中年女性に尋ねたところ、それらしい女の子を見たといっていた。運がよかった。
しかし、道は二手に分かれている。どちらに進んだかはわからない。
ここからは、トレッドさんとは二手に別れることにした。自分も杖があれば歩けることは歩けるのだから。
衝動的に走り出す。そうしないと、もう追いつけないような気がした。速度は遅いが。
耳を澄ます。風が吹いた。草木が揺れ、息吹が聞こえた。それと、向こうから足音が聞こえる。
もしかしたら彼女と会っているかもしれないと思い、一応質問をする。
「あの……女性と、すれ違いませんでしたか……?」
「そういや……さっきすれ違った」
本当か、と思わず口走った。いけない、取り乱した。神父らしくない。
「お、おう。そうだが……。どういう関係だ? アンタ等」
「ありがとうございました!」
質問を無視してしまった。少し悪いことをしたかと思う。でも、いてもたってもいられなくなった。
彼女に、一刻も早く会いたかった。
本当に、これがどういう感情かわからない。初めてなのだ。思考とか、利益とか、そんなものを一切考えずに突っ走れる、そんな感情。
それを感じるのは初めてだった。
だから、その感情の正体を突き止めたいと思った。なら、やっぱり自分のためだろうか。
嗚咽が、聞こえた。草木の声に混じって小さく、されどそこに込められた思いだけは巨大な、嗚咽が。
今度は、明確な声が聞こえた。誰に、その言葉を向けたかはわからない。もう、誰だっていい。
そして、彼女の元にたどり着いた。
何を話せばいいだろう。きっと彼女は泣いている。こういう時、どういう声をかければいいだろうか。
職業上、こういう場面には慣れている。こういうときの最適解は――
いや、違う。神父としての立場では、駄目な気がする。リトシムという人間の立場で、声をかけなければならない気がする。なんの根拠もない。ただの勘だが、なぜか正しいと思った。
「来ちゃいました、親切な人に助けてもらって。あれから周りにさんざんなことをいわれたんですけど、やっぱり、あなたの側にいたくて……。なんだか、落ち着くんです」
顔が見えないのがつらい。いや、駄目だ。顔が見えていたら、恥ずかしさで悶絶するだろう。
返答がない。駄目だろうかと、訊いてみる。
「駄目、ですか?」
焦る。返答がないと焦る。今はどう考えても神父らしくない。失望されてしまったかもしれないと不安になる。何か答えて欲しい。
「あの……」
後に何がくる。ああ不安だ。
「私からも、お願いします。一緒に、来てくれますか?」
顔が、鏡はないし、あっても見えないが、きっとタコのように赤いだろう。
だからもう、それが答えだ。答えということにしておこう。そっちのほうが、いいと思いたい。
彼女が自分の手を引いた。
「ていうか、教会はいいんですか? あれだけ大切にしていたのに」
そうだ。いいのだろうか。いやいいのだ。どうせ神などいない。神が彼女を見つけるのに、何か協力をしてくれたか? 必用な時に助けてくれない存在など、いらない。
「ええ、もういいんです。本当は、神様なんて、いないのですから……」
そういえば、結局この感情はわからず終いだ。何なのだろう、この気持ちは。
まあ、いずれわかればいいか。焦ることはないだろう。自分は、彼女に追いつけたのだし。
先のことはわからないが、何とかなる、そんな気がした。
「あのー、お二人さん。俺のことを忘れないで欲しいんだが」
トレッドさんのことは、完璧に忘れていた。




