1.街道に掛かる月
森の中を通る街道に、ぽっかりと浮かぶ綺麗な満月。
寒くなり始めたこの時期特有な乾いた夜気の中、若いエルフの女性が走っている。
手入れの行き届いた強化レザー装備。
背中の魔法鞄と右太もも外側の短剣は、いつも通りの位置。
左手で弓を握り締め、体の左側に抱え込んでいる。
右手には何も持たず、前後にリズミカルに振っていた。
薄暗がりでも辺りの様子が分かるのか、足取りはしっかりしている。
ザッザッザッザッザッ
規則正しい足音が、確かな意志を持って刻まれる。
それは清々しいまでの、心地よいリズム。
夜の街道を、風魔法の『風歩』で駆け抜けているのは、ルカ・ルーだ。
夜空に浮かんだ月が、彼女の姿を薄明るく照らし出す。
透き通るような、真っ白な肌。
流れるような銀色の長髪、たおやかな肢体。
俊敏さの中にも、上品な物腰を忘れない。
風を切るように進む姿は優雅であり、必死に急いでいる様子ではなかった。
魔法鞄の中には、野宿用の天幕や毛布、備品、食料。
夜も遅くなってきたので、そろそろ休んだ方がいいのだろう。
でも、ルカ・ルーは次の街まで、この日のうちに行ってしまう心積もり。
順調なら、とっくに着いているはず、とやや焦り気味ではあったけれど。
最近一人旅を始めたばかりの彼女は、自分の移動速度がまだ掴みきれていない。
前の街ラインフィールドで聞いた次の街までの距離は、馬車で2日。
馬より速い彼女の足であれば、2日以内に着くと考えていた。
されども、2日目が暮れたのに、次の街が全然見えてこない。
ヘンだなぁ、、とは思ったが、急ぐ旅ではないので困っているわけではなかった。
(どこかで道を間違っちゃったのかな)
そう考えながらも足は緩めない。
時々辺りを見回しながらも、意識は常に道の行き先に集中していた。
◇ ◇ ◇ ◇
走り続けてやや疲れ始めた頃、街道が少し広くなっている場所に着く。
街道の所々にある、野宿もできる安全な休憩所。
草木がなく、簡単な結界が張られているので、魔物や野獣は入ってこない。
そこに差し掛かった時、ルカ・ルーは足を緩めて、静かに立ち止まった。
弓を足元に立てて、一息。
振り返って見上げると、空から宝石の欠片のような月の光。
木々の枝葉にその光が反射して、優しく輝いている。
彼女の気配におびえたのか、虫の声はほとんど聞こえてこない。
サワサワサワーー
少し強い風が辺りを吹きぬける。
森が囀っているみたい。
目を瞑り、大きく息を吸い込むと、森の香りが彼女の体中を駆け抜ける。
精気が体の周りにあふれてくる。
あくまでも静かで、どこまでも空気は穏やか。
ルカ・ルーはこの心地良さを誰かと分かち合いたい、と考える。
研ぎ澄まされた感覚を拡げ、四方八方に意識を飛ばす。
しかし街道には動く物もなく、ただただ綺麗な月が浮かんでいるだけだった。
チッチッ・・・・チッチッッチッ・・・
遠慮していた虫たちが、弱々しく鳴き出し始める。
寸刻ほど立ったまま、ルカ・ルーは瞑想に入る。
まだまだ先は長い。
これから何があるか分からないことを思い、気を引き締め直した。
『ルカよ、楽しい時こそ、気を引き締めて、次の事に備えるのが肝要なのじゃ』
狩りの師匠の教えを、ふと思い出した。
ルカ・ルーは再び街道の先を、力強い目で見つめる。
「ひょぃ」
体を動かす時の口癖が、無意識のうちに飛び出てしまう。
そしておもむろに、軽快な足取りで走り始めた。
◇ ◇ ◇ ◇
そこからかなり走り続けたが、次の街に近づく様子は全くなかった。
彼女は、おかしいなぁ、と思いながらも歩を進めていく。
やがて街道がかなり広くなり、少し雰囲気が変わってくる。
道の左側に大きな建物の影が見えてきた。
それは丁字路に建てられた木造の小屋だった。
ゆっくりと足を緩め、ぼんやりと全体を眺めながら、近づいていく。
建物の周りには、動く物はなかった。
やや遅れて、道の脇にある立て札に気が付いた。
来た道を指し示す板に、『ラインフィールドまで徒歩で4日』
真っ直ぐ進む方向には、『キャッスルフォレストまで徒歩で3日』
右の向かう方向には、『ウイングボーンまで徒歩で1日』
(うわっ、完全に道を間違ったみたい・・・・・)
ルカ・ルーは精霊魔法の『探知』が使えるので、ある程度の地形把握は可能。
しかし周囲の様子は分かるものの、地理的な知識は漠然としか持っていなかった。
モントリア王国全体の地図は、高価な上に大きな都市でなければ売っていない。
彼女はそのような地図を、実際に見たことはなかった。
人づてで情報をもらいながら旅を続けていた。
(このまま進んでも、すぐには次の街に着きそうもないよねぇ)
ルカ・ルーは、フゥッとため息をつきながら考える。
そしてすぐに、ここで夜を明かすことを決めた。
丁字路の突き当たりにある建物は、中で自由に休むことのできる小屋。
街道の要所に設置されている、簡易休憩施設だ。
善良な領主のいる領内では、行商のために街道沿いがよく整備されている。
ここでは野宿も可能だし、商取引や市を開くこともできる。
街道と休憩施設の維持のために、専門の職人が王国中を常に巡っていた。
休憩施設と言っても、木製の屋根と四面の壁があるだけ。
床は地面のまま。
トイレは付いているが、テーブルやイスはない。
あくまで雨風をしのぐための単純な小屋で、中はほぼ何もないがらんどう。
街道に面した壁には入り口が設けられ、扉はなく常に開け放たれている。
自由に出入りが可能。
外から見る印象よりも、中はかなり広くなっていた。
周りには簡単な柵が巡らされ、野獣対策がなされている。
ルカ・ルーは精霊魔法の『鋭敏』と『探知』を使い、小屋の様子を確認する。
中には誰もいない。
大きな荷物も置かれていない様子。
遠慮せず、中に入る事にした。
スッスッスッ
狩人の習性からか、足音をほとんど立てずに建物に近寄っていく。
入り口から入るとかなり暗かったが、外よりは少し暖かかった。
◇ ◇ ◇ ◇
右手の掌を上に向け、生活魔法で『光玉』を生み出す。
かなり明るい光源となり、辺りの様子が分かってくる。
建物の中はがらんとしていて、やや不気味。
光玉を右手に掴んで、少しづつ歩を進める。
ところどころ水が溜まっていたり、枯れ木や枯れ葉が積もっている。
比較的綺麗な場所を探しながら、奥に行き当たった。
奥の壁の中央付近にトイレの扉がある。
その両隣に引き戸が見えた。
その戸には鍵が掛かっており、物置として使われているようだ。
左右に首を振り、休めそうな場所を探してみる。
よく使われているからか、角の場所がけっこう綺麗になっていた。
そこを使う事に決め、そちらに歩く。
壁の小棚に、持っていた光玉を置いた。
光玉は小棚からやや浮かんで、ゆらゆら漂いだした。
ルカ・ルーはランプとして使う三角錐のガラスを魔法鞄から取り出す。
それを上からかぶせて、光玉を中に閉じ込めた。
淡い光が適度に広がり、少し落ち着いた印象を醸しだす。
左手に持っていた弓を、魔法鞄に収容。
天幕を魔法鞄から出して、地面に敷く。
厚手の毛布も取り出して、いつでも眠りにつける準備をした。
トイレに向かい用を足してから、すぐに寝床に戻る。
座る前に生活魔法の『清潔』と『消臭』を使った。
体がすっきりして、気分がほぐれるのが自覚できた。
天幕に腰を下ろし、ホッと一息つき、緊張を緩める。
壁に寄りかかり、足を伸ばして体の力を抜く。
右足につけてある短剣を抜き、いつものように刃の状態を確認。
刃こぼれ一つ無い綺麗な刀身を見ていると、体中に安心感が行き渡る。
短刀をすぐ横に置き、背中を壁から離し、足を少し揉んでみる。
(そんなに張ってはいないようね)
長く走った割には、疲労が溜まってない状態を確認し、さらに安心感は拡がった。
ルカ・ルーは、魔法鞄から水筒と食料を取り出す。
乾燥肉と木の実、新鮮な果物。
果物を見た瞬間、急にお腹が減ったような気分になり、思わず苦笑する。
昼に採って、小川で洗って、そのまま魔法鞄に入れておいたのだ。
まずは水分を摂って喉を潤し、それから果物を皮ごと食べた。
(おいしい。やっぱり疲れた時は、果物が最高だー)
(今日は結構走ったから、思ったより体力使ったのかな)
果物のあとには乾燥肉と木の実。
用意した食事を全部食べて空腹が治まると、当然のように眠気が襲ってくる。
(明日には、ウイングボーンに着けるかなぁ)
(今の時期なら天気は心配しなくていいのが救いだなー)
そんなことを考えながらルカ・ルーは、横になる。
しばし、ボーっと薄暗い天井を見上げた。
(とにかく、明日も走るのみ!)
(今日はもう寝ようっと)
元来、楽天的な彼女は、深く考えずにもう寝てしまう事を選択。
体を起こして、枕元に短剣があるのを確認する。
ランプに左手を伸ばし、ガラスを持ち上げる。
右手で光玉を掴んで、まとめて魔法鞄に放り込んだら、辺りは再び真っ暗。
魔法鞄をもう一度身に付けてから、横になる。
そして毛布を被り、そのまま深い眠りに身を任せた。