《平治の乱その二》
大内裏東面には南から郁芳門、待賢門、陽明門と三つの大きな門があり、最北部には単に築地を切り開いただけの上東門があった。
中央にある待賢門では散発的な戦闘が続いているが、東面の北部にある陽明門ではまだ戦闘が起きていないようだ。
大内裏には他にも沢山の門があるが、東側の四門以外には源氏武者が配備されずに戦忍頭が率いる少数の桜忍者と藤原信頼の手勢が連携を密にとり防衛にあたっていた。
清盛等の軍勢に比べれば圧倒的に少数の信頼と源義朝等は全ての門を防衛するには余りにも兵数が少なかった。
その為に信頼とその手勢の主力は大内裏中央の大極殿に詰め、即座に劣勢の門へ後詰めに向える体制を取る以外に方策がなかった。
各門では散発的に小競り合いが続いていたるが、いつ清盛の本体が動き出すのか、信頼は気が気でなかった。
オオオ~!
鬨の声と共に清盛軍本体が待賢門から攻め寄せてきたようだ。
その方面は信頼の配下では最強の源義朝が守備しているが、兵力の差は如何ともしがたい。
いくら桜忍者がいたとしてもこの兵力差で真面に戦っては勝ち目がないのは信頼には十分に分かっている。
今は防御に徹し何とか時間を稼いで次の策を捻り出すより仕方なかった。
大内裏内を次々と行きかう伝令の早馬。
直ぐに待賢門に後詰を出すべきか、少し待つべきか迷っていると。
「清盛軍は撤退していくようです。」
信頼は一瞬耳を疑った。
何が起きたのかはここからではよく分からないが、源義朝が思った以上に善戦していたのかもしれない。
急いで確認の早馬を飛ばした。
一方その待賢門では源義朝の轟雷のような大声が響き渡っていた。
「いまじゃ~追い打ち合戦じゃ~」
屈強な源氏武者が清盛軍追撃のために大内裏から飛び出していく。
引いていく清盛の軍を追い義朝は怒涛の進撃を始めた。
「いけ~六波羅じゃ~」
鬼気迫る義朝の野太い声に乗せられ矢のように突き進む源氏武者。
しばらくして待賢門へ送った早馬が信頼の元に戻って来た。
「左馬頭殿、門を開け放ち追撃に出られました。」
これを聞いた藤原信頼は
「止まれ深追いするな」と叫んだが、その声は義朝に届く訳もなく、
東からは源氏武者の「ウオ~!」という鬨の声と走り出す武者の地響きが聞こえてきた。
この瞬間に信頼は敗北を悟った。
只ならぬ雰囲気を察し教忍頭幸軌が信頼の元に駆けつけるとその目をじっと見据えて、
「奥と姫を逃がしてくれ。」
そして天を仰ぎ、
「歴史は代を何と言うかの~」
そう呟くと、残った手勢を連れて手薄になった待賢門に向かった。
信頼は二条天皇が六波羅に囲われて、後白河上皇も内裏を脱出してしまった以上、密かに天皇を奪還するか、二条天皇の義兄にあたる重仁親王を担いで新政権を樹立するか、どちらにしろ今は内裏を死守し続けることが最優先の策であると考えていた。
しかし義朝は信頼の提案を聞き流し、単純に武力で清盛を殲滅し自分の意向で天皇を担ぎ出すという夢を抱いていた。
義朝の一族が突撃した後の待賢門では、それまで隠れていた平家の新手が続々と詰めかけてきた。
信頼は少数の手勢と懸命に守っていたが、突然土煙と共に背後から騎馬武者が襲いかかってきた。
それは陽明門を守備していたはずの源光保と源光基だった。
信頼は義朝が突撃した時に既に敗北を悟っていたが、妻と姫を逃がす為に少しでも時間を稼ぎたかった。
しかし仲間にまで裏切られ、もはや自分は囮となり家族とは反対方向に逃走する事しか出来なかった。
僅かな手勢と上東門から内裏を脱出した信頼は馬を走らせながら、桜忍者達に託した妻と姫の事を思った。
あの短い時間で彼女達はどこまで逃げられただろうか、せめて少しでも遠くへ、できれば松尾大社まで辿り着ければ、嵐山の深い森に入れば桜忍者が何とかしてくれるだろうと微かな可能性を祈った。
そして清盛に婿入りした筈の息子の信親にも思いを馳せた。
まさか清盛が裏切るとは。
まだ幼い信親を戦に巻き込みたくないので、昨日のうちに別邸に向かわせたのは正解だったが、はたして上手く逃げ果せられるか。
今思えば大江家仲と平康忠が戻って来なかった時に、どうしてもっと深く考えなかったのか。
どうしてあの二人が誤って火をつけ逃げ遅れたと勝手な解釈をしてしまったのだろうか。
あの時から何かが少しづつおかしくなっていたのに気づかなかったのか。。。
色々と考えているうちにどうしても解せないあの件が思考を占有し始めた。
何故、昨夜二条天皇が連れ出された直後に、後白河上皇までも内裏を抜け出したのだろうか。
せめて上皇が内裏に居れば他の策も考えられたのに、もしかしたら自分は初めから信西を蹴落とすためだけに使われたのではないだろうか。
三条公教や藤原惟方達の裏切りは以前の確執を思えば納得はできないが理解はできる。
しかしあれ程に綿密に計画を立て上皇も交えて練りこんだのに一体何故なんだ。
二条天皇が脱出した直後に自分に何の相談もなく上皇は内裏を抜け出した。
信頼はどうしてもその理由が知りたくて、踵を返し上皇が居るであろう仁和寺へと馬を向けた。
義朝は寡勢ながら六波羅館めがけて果敢に突撃したが、六条河原で清盛の軍勢に取り囲まれ一進一退の攻防の末、遂に総崩れとなった。




