いつも抱える心 1-3
鈴ちゃんと一緒に先輩を見る。 生きているみたいに死んでるのは聞いたことがあるけれど、死んだように生きている。 先輩の生きる強さに感謝する。
「……鈴ちゃん。 先輩って死にたがっているように見えますか?」
「……この状態の蒼を見たとき、死んでるって、思った」
鈴ちゃんはゆっくりと言葉を選ぶように口を開く。 目の下にある隈がどれだけ心配していたかを物語るようで、自分の浅慮にほとほと呆れが尽きない。
「治療の出来る能力でさ、死んでしまったものを無理矢理元の形に戻す。 完全に同じ姿に戻しても、生き返ることがない。
理屈では足りないものがなくても、やっぱり欠けている。
怪我を能力で無理矢理直したら、頭痛がしたり、記憶の障害になったり、何かを傷付ける。
……私達は、それを心のイデアって呼んでる」
鈴ちゃんは傷だらけの先輩を愛おしそうに撫でて、微笑む。 その様子にチクリと刺されたような痛みが走り、目を背ける。
仲良くして欲しいと思っていて、くっつけたいと思っている、はず。 けれど、諦めきれていないボクもいて……醜い。
「人は二つで構成されている。 肉体のイデアと心のイデア。
普通なら、肉体が壊れれば心もそこから抜け出すのか、失われるのか。 どちらにしてもいなくなるけど……。 蒼は特別だから」
「特別?」
鈴ちゃんが使いそうにない言葉。 特別という言葉が気になり聞き返す。 少し悲しそうにも見える鈴ちゃんは、月を見るような瞳をしながら話す。
「蒼は、能力が深いから。 私はイデアの世界では人の身体しか見れないし、触れない。 利優ちゃんは色んなものを触れるけど、表層を捻じ曲げることしか出来ない」
過去にあった偽りの学問である錬金術のように、物質を別の物質に作り変える。 人の心の現れとも呼べる能力を視て干渉する。
あるいは、能力を視るというのは、人の心を見ているのではないだろうか。
「人の心を見て、触れる。 だとしたら、身体が傷付いても、自分の心を縛り付けて、生きるとか……出来るんじゃないかな。 って、だとしたら、死にたいどころか、すごく生きたがっているんじゃないかな」
生きたがっている。 その言葉に強い安堵を覚えるのと共に、チクリと刺されたような痛みが胸に走る。
人の言葉を借りなければ、安心すら出来ない。 それは……どれほど彼から遠いことか。
手で振れられる位置にいる。 横になっていて、触れば触れるだろう。
鈴ちゃんも撫でていて、ボクがそれをしてもおかしくなんてないはずで、誰も嫌がることはない。
けれど、触れていいとは思いにくい。 この場にいることすら、許されないことのように思えた。
「……どうかしたの?」
「いえ、なんでもないです。 ……鈴ちゃんはよく見てるなって」
ボクは見れていない。 ほとんど先輩と関わりがないはずの藤堂さんが何を言いたいのかも分からない。 鈴ちゃんの言葉がなければ不安もなくならない。
一番一緒にいたのはボクだ。 一番初めに会ったのはボクだ。 一番大切な時にいたのはボクだ。 一番話されたのはボクだ。 一番近くにいたのはボクだ。
だから、一番理解していないとダメなのに。 何も分かっていなかった。 何が分からないのさえ分からない有様。
「……ボク、買い物に行ってきますね。 飲み物と、軽食を買いに行ってきます。 欲しいものありませんか?」
近くにいるのに、遠くに感じる。 近くにいるからこそだろうか。
「あ、私がいくよ。 ここにいてあげて」
「……ボクが行きますよ。 鈴ちゃんも疲れているでしょうし」
「私、結構好き嫌い激しくて偏食だから、自分で行きたいの」
嘘だ。 そもそもよくご飯を一緒に食べてるのに通じるわけがない嘘で、仕方なく頷く。
鈴ちゃんは嘘が下手だから、騙されてあげた方がいい。
チータラと、先輩が好きな乾パンとジャーキーを買って来てもらうように頼むと、首を横に振られる。
「流石の蒼も、起きてすぐは硬いのは食べにくいよ。 蒼はよく食べてるけど、保存が効くから、大量に買い置きしてるだけだよ」
「あ、そうなんですか……」
好きなわけじゃないのか。 やっぱり、ボクは何も先輩のことが分かっていない。
扉の向こうにいる鈴ちゃんには何の悪気もないのだろう。 ただボクが、ボクのダメさに泣きそうになっているだけだ。
「……先輩。 先輩。 ごめんなさい」
涙が出る。 袖で吹く。 やっぱり出るものは、出てしまう。 こんなに泣いてしまったら、鈴ちゃんが帰ってきたら心配させてしまう。
分かっているけど、涙は止まらなくて……先輩の手がピクリと動いたように見えた。
驚いて目を見開くと、電源を入れたかのように先輩が飛び起きて、体を起こす。 先輩は自分の手を見て……開いて、閉じてと動くことを確かめ……。
心底失望した。 そんな表情を浮かべた。 一瞬。
理解する。 どうしても、理解を拒否しようとしても……。 あるいは先輩ですら気づいていないような、小さな表情の変化。
先輩はボクを見て、目を見開いた。
「利優!」
ボクに向かって伸ばされた包帯まみれの手。 その手を取ってやる気にはならなかった。
起きてくれた喜びを、遥かに強く覆い隠すような絶望。 だって、そうではないか。 平静でいられるはずもない。
ずっとボクのことを大切にしてくれていた人。 ボクも好きになっていることに気がついた人。 強くてかっこいい人。 頑張り屋で優しい人。 世界で一番の人が、先輩が、蒼くんが。
先輩は……死にたがっていた。
戦いがあって、死にかけて、起きて……生きていることにガッカリとしていた。 死んでいたらよかったのに、そんな表情をしていた。
「利優……怪我は、ないか」
返事など、出来るはずがない。 喉元から現れた気持ちの悪さが頭の中をグルグルと回り、車に酔ったときのような吐き気が胃の奥から這い出てくる。
ボクを見た瞬間に、先輩はボクを心配する、よく見る表情だ。 それに安堵は覚えない。
先輩の生ぬるさのある声もまともに通じない。
先輩の本当の望みは死ぬことで、それが出来ないのは、ボクがいるからだ。
どちらの事実も、ボクの腹の中をエグろうとする。
「痛いのか、泣いて……」
先輩は眉を困ったように曲げて、どうにかしようとボクの肩に手を乗せる。 暖かいすごく。
けれど、痛いのだろうか。 痛い、痛い、あまりにも、堪え難いほどの痛みが走る。 目の奥がチカチカとして、耳鳴りがする。 口の中は変な苦味、全身には寒気が走り、鼻の奥で鉄の匂いがする。
痛い。 痛い。 悶え苦しみそうな辛さの中、情けなく顔を歪めて、涙をボロボロと零しながら、頷く。
肩に乗せられた大きく、ゴツゴツとしている手の上に、自分の手を置いた。
「痛いです。 ……貴方が痛い」
とても、耐えられないほどに。




