09
リゼットがふと気配を感じて振り返ると、そこには見慣れた、けれど見違えるほどに洗練された影が佇んでいた。逆光の中に立つアルヴィスの姿に、リゼットは思わず息を呑む。かつて彼の端正な顔や逞しい身体を容赦なく覆っていた、黒い傷跡が、今や跡形もなく消え去っていたのだ。露わになったのは、誰もが見惚れるほどに、深く、気高い本来の美貌だった。
「アルヴィス様……っ。」
「どうした、リゼット。そんなに驚いた顔をして。」
アルヴィスがふっと優しく唇を綻ばせる。その穏やかな声音に弾かれたように、リゼットは一歩彼へと歩み寄った。
「お、お体の具合は、いかがですか……? その、お怪我の痕が、綺麗に……。」
「あぁ。自分でも信じられないほど身体が軽い。あの忌まわしい激痛も、体内で暴れていた魔力の淀みも、すべてお前が毎日作ってくれた料理が消し去ってくれたんだ。」
「私の、料理が……。」
「あぁ。いや、料理だけではないな。」
アルヴィスはリゼットのすぐ目の前に立つと、愛おしそうに視線を落とした。そして、リゼットの小さく華奢な手を、包み込むように両手でそっと握りしめる。
「お前がこの城に来てから、城だけでなく、この最果ての土地全体の呪いが解け始めている。霧が晴れ、大地が芽吹いた。お前はただの毒無効などではない。すべてを癒やす、真の浄化の持ち主だ。」
「そんな、私は……。王宮では何の役にも立たない無能だと、ずっと言われてきましたから。ただ、皆さんに美味しく食べてほしくて、一生懸命お料理をしていただけで……。」
真っ直ぐな賛辞に、リゼットの頬がまたたく間に熱くなっていく。視線を彷徨わせる彼女の手を、アルヴィスは逃がさないと言わんばかりに、さらに強く握り直した。
「あんな愚か者どもの妄言に耳を貸す必要はない。お前は無能などではない。誰よりも尊く、気高い。……リゼット。俺の目を見てくれ。」
「は、はい……っ。」
促されて顔を上げると、アルヴィスはさらに一歩踏み込むようにして、リゼットの身体を己の胸へと強く引き寄せた。確かな体温と、トントンと規則正しく刻まれる彼の力強い鼓動が、リゼットの肌に直接伝わってくる。
「アルヴィス、様……?」
「リゼット。俺はお前の作る料理を、心から愛している。……だが、それ以上に。お前という人間そのものを、誰よりも欲しているんだ。」
「え……っ? お、お料理ではなく、私、ですか……?」
驚きに目を見開くリゼットの耳元で、アルヴィスの低く掠れた声が、切実な響きを伴って囁かれる。
「あぁ。お前自身だ。お前のその優しい微笑みも、誰かのために一生懸命になれる温かい心も、すべてが愛おしい。……誰の身代わりでもない。お前を、俺の妻として、生涯側に置きたい。」
「アルヴィス様の……奥様、に……? 私のような、国を追放された罪人が、そんな……贅沢なこと……。」
「罪人などではない。お前は俺の、この土地の救世主だ。俺の一生をかけて、お前を愛し、守り抜くと誓う。……リゼット、お前の返事を聞かせてくれるか?」
向けられたのは、かつて呪われた怪物と恐れられた男のものとは到底思えない、熱く、情熱的な瞳だった。そこには一点の曇りもない、リゼットだけを求める深い愛が揺れている。
私の居場所は、ここにあってもいいんだ。
私は、この人の側にいていいんだ。
王宮で虐げられ、都合のいい道具として消費され尽くした過去の痛みが、彼の腕の中で音を立てて融けていく。リゼットの瞳から、ポロリと温かな涙がこぼれ落ちた。
「はい……っ、私で、私でよければ……ずっと、アルヴィス様のお側にいさせてください……っ!」
「……ありがとう、リゼット。」
アルヴィスは愛おしさが堪えきれないといった風に、彼女をさらに強く抱きしめ、その豊かな髪にそっと唇を寄せた。かつて死を覚悟して辿り着いた北の最果て。けれどリゼットは今、本物の愛を知り、世界を癒やす本物の聖女として、誰よりも優しく頼もしい、最愛の守護者の腕の中に包まれているのだった。




