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寄せては返す波のように  作者: ことり おと


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6/6

また始まった2人の生活


 茉尋が戻ってきて次の日。

 俺の頭の中はまだ混乱していた。


 昨日はそのまま茉尋と家に帰った。

 もしかしたら俺は本当におかしくなってしまったのかもしれない。すごく再現度の高い幻覚を見ているのかもしれない。何度もそう思った。 

 それでもやっぱり目の前には茉尋がいて、手を伸ばせば触れることもできた。

 

 一体…本当に何が起きてるんだ?


 寝て起きたらいなくなっている…なんてことにはどうやらなっていないようだ。俺の目の前にはちゃんと茉尋がいる。いつものように寝息をたてて眠っている。

 でも明日はわからない。

明日目覚めたら茉尋は消えてしまう…なんてことはないのだろうか…。そう思うととても怖くなった。


 俺はまたそっと茉尋の頬に手を伸ばした。やっぱり触れることができ、ちゃんとここに茉尋がいるのだと実感することができた。


「ん…あー…よく寝た…」

「おはよう」

「おはよ。…目腫れちゃったね、千明くん。今日が休みでよかったね」

「どうりで瞼の動きがモサイわけだ」

「ははっ。顔おもしろっ」


 茉尋はいつもの調子でそう言うと、無邪気に笑っていた。

 

 ああ…ちゃんとやっぱり茉尋だ…。


「ぶちゃいく千明だ」


 茉尋はまたそんなことを言いながら笑っていた。

 俺はガバッと布団から出ると、茉尋に覆い被さった。


「なんだとこのやろうっ」


 そう言いながら茉尋をくすぐった。茉尋は「はははっ。ごめんごめんっ」と言いながら楽しそうに笑っていた。


 本当に…ちゃんと茉尋はここにいるんだ…。


「ねえお腹へった。目玉焼きでも作ってよ」

「えー、俺が作んの?」

「そう。千明くんが作って」

「よし。それじゃあどっちが作るかじゃんけんで決めよう?」

「受けて立つ」


 茉尋はいつも最初にチョキを出す。


「「最初はグー、じゃんけんぽんっ」」


 やっぱり茉尋はチョキを出した。

 俺はパーを出した。


「あーあ。負けちゃった。よく焼きでいいか?」


 俺はわざとそう聞いてみた。茉尋が本当に好きなのは半熟だ。いつも白身を先に食べると、ご飯の上に黄身を乗せて割り、そこに醤油を垂らして食べるのが茉尋は好きだ。


「やだーっ。私は半熟派だってば。あ、あとベーコンもよろしくぅ」


 話し方も、じゃんけんで最初にチョキを出す癖も、目玉焼きの半熟も、全部全部茉尋そのものだ。

 

 今一緒にいるのはちゃんと茉尋だ。


 俺は幻覚以外にも考えていたことがあった。

 ここは妖の多い町だ。だからもしかしたら妖が茉尋の姿に化けているんじゃないかとも思った。そんなことができる妖がいるのかは知らないけど…。

 でももしそうだったらじゃんけんの癖や、卵の焼き方の好みまではマネできないはずだ。

 俺はそれからも茉尋を観察し続けた。

目玉焼きの食べ方、洗濯物を干す姿、ソファの座り方、歩き方。それに耳を触る癖はちゃんとあるのか…そういうのを確認したくてよく目で追っていた。


「ちょっともう何?さっきから人のことをジロジロと見て。昨日から千明くん変だよ?なんで泣いたのかも教えてくれないしさ」

「…悪い。怖い夢を見たんだ。それで不安になっただけ」

「それならいいんだけど…あ、昨日私が海に飲み込まれたとか怖いこと言ってたけど、その夢?」


 俺はそういうことにしておいた。

すると茉尋が「大丈夫だってっ」と言いながら笑っていた。

 

 違うんだよ。大丈夫じゃなかったんだよ?茉尋…。

 

 今日は2人とも休みだったけど、外へ出る気分になれなかったから家にいることにした。茉尋にも家にいるようにお願いした。

 俺は家の中で、ずっと茉尋の近くにいたり、くっついたりとしていた。そうやって茉尋がいることを実感したかったんだ。


 あれ…?


 …さっき俺はなんて…?

 “今日は2人とも休み”って思ってたよな?


 なんでた?

 茉尋が海に飲まれたことを、俺はちゃんと茉尋の職場に伝えているんだから、茉尋が休みかどうかなんて気にすることないのに…。

 あ…茉尋が昨日寝る前にそう言ってたからか。

だからそれでそう思い込んでしまったんだ。


 昨日、茉尋が姿を現してからもう頭の中は混乱してばかりだ。きっと今までの記憶とかがごちゃごちゃになって混沌としているんだ。

 

 だって…こんなの普通ありえないだろ…。

 

 茉尋の遺体が打ち上がったならまだわかる。

なのに戻ってきた茉尋は生きていて、会話もできるし、触れれば温かい。

 

 茉尋は海に飲まれた記憶はなく、昨日は俺と商店街や海を散歩したと思っている。

 

 やっぱりおかしい。

 

 でも…こんなおかしい状況でもいい。それでもいいから今のこの状況に…隣にいる茉尋にすがりたかった。


 例え偽物であったとしても…


 幻覚だったとしても…


 俺のそばには確かに茉尋がいるのだから、もうそれでよかった。

 

 現実逃避…だな…


 そんなことを思う冷静さは、まだ少し残っていたようだった。


「茉尋、俺少し疲れてるからちょっと昼寝する。悪いけど、その間茉尋は一歩も外を出ないで欲しい」

「なんで?」

「頼むから」

「わかった。じゃあ私も一緒にお昼寝しようかな」


 茉尋がそう言ってくれたから、俺たちは2人でベッドへと向かった。

 2人で寝転ぶと、茉尋は俺にくっつくようにした。いつもの茉尋だったらこんなことしない。いつもは俺の方からくっつきにいくから。


「どうしたの?」

「…千明くんの元気がないから」

 

 心配してくれたのか。


「大丈夫。少し疲れてるだけだから」

「それならいいけど」


 俺は茉尋の顎を掴み顔を上に向かせると、そっとキスをしてみた。茉尋はそのキスに応えてくれた。いつもの茉尋のキスだった。

 それから俺はそのまま茉尋を抱いた。それもいつも通りの茉尋の反応だった。ちゃんと抱いている感覚もあった。


 本当に茉尋は存在してるのか…?


 目が覚めると、夕方になろうとしていた。

 俺はすぐに隣を確認した。


 よかった…ちゃんと茉尋は隣で眠っていた。


 それにしても明日からどうしよう。

仕事に行きたくないな。その間に茉尋がいなくなってしまうのではないかと思い、怖かった。

でもこの前有休はたくさん使ってしまったし、怖いからと言って、仕事を辞めてずっと家にいることもできない。やっぱり行くしかないか。


 とりあえず食材を買いに行かないと。

茉尋を起こして少しした後、支度を始めた。家を出ると俺は茉尋の手を取り、一緒にスーパーへと向かった。

 カートを手に取りカゴをセットする。

そこに茉尋が必要なものを次々と入れていく。


「今回買い物サボり過ぎたね。冷蔵庫の中が卵とハムとベーコン以外、ほとんど何もないんだもん」


 それもそうだ。

茉尋がいなくなってから自炊らしい自炊なんてなんてほとんどしていなかった。

ただなんとなく米さえ炊いておけば、あとは卵とかあればなんとか食い繋ぐことができるかと思い、それだけは買っていた。その他はカップラーメンやらコンビニ弁当、シンちゃんが持ってきてくれたもので済ませていた。


 あ…今日は茉尋の手料理が食べられるってことか…

 昨日の夜は何も買わずに帰り、茉尋が冷蔵庫の中を見て慌てていた。すぐにスーパーへ行くと言う茉尋を引き止め、デリバリーで済ませた。


 買い物カゴの中を見てみるとピーマンも入っていた。久々の茉尋の手料理なにの、今日はピーマン使うのか?


「今日何作るの?」

「んー?ないしょー」

「ピーマン料理は嫌だからな」


 俺がそう言っても茉尋はメニューを教えてくれず、何だか楽しそうにしていた。

 

 あー…これ絶対ピーマン料理だわ…。


 家に着くと、茉尋が夕食を作り始めた。

 俺はその間に風呂に入りながらもまた色々と考えていた。

 明日茉尋は仕事に行くのだろうか。

あの様子じゃきっと行く気満々だろうな。どうしよう。何て言ってそれを止めようか。

 

 風呂から出ると茉尋と…シンちゃんの話し声が聞こえてきた。

 まずい。俺はまだ茉尋のことを誰にも言ってない。

 

 ん…?待てよ…?

 

 2人の会話が聞こえてくるってことは、シンちゃんにも茉尋の姿が見えてるってことになる。ってことは俺の幻覚じゃないんだよな?茉尋の姿が見えているのは俺だけじゃないんだよな?

 そういえばスーパーでも、誰も俺のことを変な目で見たりはしてなかったな。

 もし俺にしか茉尋の姿が見えていないんだったら、俺はひとりでしゃべって、誰もいない空間に笑いかけていたことになる。そんなヤツがいたら普通、思わず見てしまうと思う。でもそんな人はいなかった。

 俺は急いで着替えると玄関へ向かった。


「お、千明。風呂上がりか」


 至って普通に声をかけてくるシンちゃん。

 ちゃんと見えてるんだよな?茉尋のことが…。

 

「うん。今上がったところ」

「すっかり寒くなったよな」

「ね」


 どういうことだ?


「千明くん、慎吾さんからおかずもらったよ?」


 茉尋が俺にそう言った。


「いつもありがとね。シンちゃん」


 俺はなんとか平静を装い、シンちゃんにお礼を言った。

 なんだこれ。一体どうなってる?


「それにしても、茉尋ちゃんはいつでも元気だねー」

「ははっ。それだけが取り柄なんでっ」


 2人はまたそんな会話を始めた。

 なんでそんなに普通にしてるんだよシンちゃん…。あの日のことを覚えてるだろ?あの台風の日に、茉尋が海に飲まれた時のことを…。それなのになんでそんな普通に話してるんだよ。


 俺はまた頭が混乱していた。

 しばらく茉尋とシンちゃんは会話を交わすと、シンちゃんは帰って行った。


「ご飯もうできてるよ?」

「おう。ありがとう」


 そんな混乱状態のままで席に着くと、テーブルの上には料理がもう用意されていた。

 今日のメインは…酢豚…。


 …ピーマン…


 やっぱり…


「ははっ。一切れでいいからちゃんとピーマン食べるんだよ?」


 茉尋が俺の顔を見るなり楽しそうにしながらそう言っていた。


「でかいよ切り方が」

「お肉と一緒に食べれば大丈夫だからっ」

「ピーマン食べなくてもこんなに大きくなったのに」

「だーめ。一切れでいいから食べて。ほらあーん」

「自分で食うからいいよ」


 やっぱり…茉尋だよな…。

 

 茉尋はこうやって、俺が嫌いなピーマンを定期的に食卓へと出してくる。


 あー…もう頭がパンクしそうだ。


「明日の予定は?」


 俺はそう聞いてみた。


「んー?明日?明日はバイトだよ?」


 やっぱりそうか。

明日は午前休をもらって、茉尋と一緒にバイト先に行ってみよう。それでまた、自分の目で見て確かめたい。茉尋が職場に行ったらどうなるのかを。


 あー…

 

 茉尋と一緒にいたいけど、1人で頭の中を色々と整理したい。

 さっきのシンちゃんの反応。あれは一体なんだったんだ?まるで茉尋が行方不明になる前の態度と変わりなかった。


「明日さ、職場まで一緒に行くよ」

「んー?千明くんも仕事でしょ?」

「明日は午後からなんだ」

「そんなのあるんだ。だったらゆっくりしてなよ」


 茉尋らしい返事だ。


「俺が一緒に行きたいの」

「ゆっくりしてればいいのに」

「たまにはいいだろ?」


 俺がそう言うと、茉尋は仕方がないという感じで納得してくれた。

 

「茉尋…今後ひとりで海に行くなよ」

「なんで?チャッピーと遊びたい」

「とりあえず、しばらくの間でいい。ひとりで海に行かないでくれ」


 茉尋の表情は少し拗ねている感じだった。


「なんでよ。なんでだめなの?今までそんなこと言わなかったじゃん」

「…頼むから…」

「なんか変だよ、千明くん」


 これも茉尋らしい反応だった。

 本当に…今目の前にいるのは茉尋なのか?

 信じていいのか…?

 

 あー…頭が痛い。


 ご飯を食べ終わると俺は席を立った。


「もう寝る」

「やっぱり具合悪いんじゃん。昨日からなんか変だよ?」

「そんなんじゃない」

「変なのっ。千明くん変っ」


 とにかく今日はもう寝ることにした。

この時間なら茉尋も外に出ることはないだろう。

 俺はベッドに潜り込むと、何故今こんなことになっているのかを考えてみた。

 でも結局、何も思い浮かばず気がつけば眠ってしまっていた。


 次の日、茉尋の職場までついて行った。

 茉尋は店に着くと、すでにオープン準備をしている店長の小百合さゆりさんに挨拶をした。


「おはようございまっす」

「おはよう。今日も元気でよろしい」


 小百合さんが当たり前かのようにそう挨拶を返した。昨日のシンちゃんと同じだ。小百合さんも何事もなかったかのように普通に茉尋に接していた。

 

 なんで…


 そう思ったけど、この様子なら大丈夫かもと思い、俺は一旦家へと帰った。


 一体どうなってるんだ?

 もしかしたら俺がただリアルな悪夢を見ていただけなのか…?


 いやいや。

 そんなわけがない。


 だってもう季節は秋になっている。

茉尋が海に飲まれたのは夏だ。

確かにこの数ヶ月間、俺は絶望感を抱えながらなんとか生き伸びていたんだ。それはしっかりと覚えている。だから俺がただ悪夢を見ただけとは考えられない。


 …パラレルワールド…とかは本当にあるのだろうか?茉尋が戻って来た日、俺はずっと砂浜に座っていた。それで何らかのキッカケで時空が歪み、俺は茉尋が生きている世界線に…


 そこで俺は頭を左右に振った。


 …馬鹿らしい。そんなことがあるわけがない。

 いや…でも…今はそんなわけのわからないことが起きてるわけで…。


 仕事が終わり、俺は少し緊張した状態で家へと向かった。電車の中ではもどかしくて仕方がなかった。茉尋にメッセージを送ってみると、ちゃんと返事がきた。俺はそこでやっと少し安心した。

 最寄駅に着くと自然と足早になり、気がつけば走っていた。家のドアの前に着くと、自分を落ち着かせるように呼吸を整えた。


 大丈夫。茉尋はちゃんといる。家の電気もついている。大丈夫。


 カギを回すとドアを開けた。

 …魚を焼いている匂いと、何かを炒めているような音が聞こえてきた。

 靴を脱ぎ、また足早にキッチンへと向かうと、茉尋はちゃんとそこにいた。


「ただいま」

「あ、おかえり。今日は秋刀魚だよー」

「うん。匂いでわかった。もうできる?」

「できるよん」


 茉尋だ。茉尋は仕事を終えて、ちゃんとこの家に帰ってきたんだ。

 茉尋の姿を確認すると、俺はホッと胸を撫で下ろした。


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