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時雨の話によると、柱を水龍によって柱を数本折られている地下三階はもう長くはもたないとのことでした。そうなると、地上に建っている旅館の崩落が懸念されます。しばらくは営業中止になるか、はたまた店仕舞いか。
なんにせよ、他主義陰陽隊に深手を負わせたことは確かでした。
そんな話をしていると、エレベーターが地下一階に着きました。途中止まるか落ちるのではないかとはらはらしたものの、無事に辿り着けてほっとします。エレベーターの扉は、ゆっくりと開きました。
「――!」
目の前の景色を見て、琴音は息を飲みました。
深緑の軍服に身を纏った味方のはずの隊員たちが、全員こちらに銃口を向けていたのです。
「ご苦労様でした」
時雨は乾の頭に銃口を突きつけました。琴音は自分の目を疑います。
「時雨さん?」
「すみませんね、本部から連行命令が出ているんですよ。妖を長年無断で匿っていた件、並びに今回の騒動の関与についてらしいです」
「初めから、これが狙いか」
銃口を突きつけられても、乾は落ち着いていました。
「さあ、なんのことですかね。――それから、人質を取るようで申し訳ないですが、静の身柄も拘束させてもらいました」
静の名前を聞くと、乾の表情が急変しました。静は涼香と一緒にいたはず。そんな考えを見透かした時雨は、笑みを浮かべて付け加えます。
「涼香もああ見えて、共存陰陽隊の一員なんですよ」
「静をどうするつもりだ」
「彼女にはなにもしません。あなたが言うことを聞いてくれれば、ですが」
「……お前も、心底腐っちまったようだな。――琴音、少し待ってろ」
「パパ?」
「安心しろ。直ぐに戻る」
乾は琴音の頭を優しく撫でると、龍壬を他の隊員に任せて主戦力部隊に連行されて行きました。乾と龍壬の手首に、手錠が掛けられます。二人の背中は、隊員たちに紛れて遠くなっていきました。
「待って! どうして……!」
時雨は、二人を追いかけようとする琴音の手首を掴みました。琴音は時雨の制止を促す目に抵抗できず、乾と龍壬の背をただ眺めます。
「どうして……どうしてあなたたちは、こんなやり方しかできないんですか!」
やり場のない怒りを、叫びに変えることしかできない琴音。しかし、その声に誰一人、振り返ることはありませんでした。
時雨と事前に計画していたとおり、乾に忠実な特殊部隊を後方支援に回し、主戦力部隊のみをこの場に率いた薙斗は、煙草をふかしながら様子を眺めます。
「時雨さん……あたしは一体……誰を信じればいいんですか」
琴音は今にも涙がこぼれ落ちそうな目で時雨に訴えます。時雨はそんな琴音を見ても変わらず笑顔を崩しません。
「自由です」
時雨の短い答えは、琴音に重く伸し掛かりました。
自由――あれだけ強く願ったにも関わらず、ここにきてその言葉の厳しさを思い知ります。これまで琴音は、家族に守られながら生きてきました。
しかし、今はもうそばに家族はいません。信頼していた人によって、連行されてしまったのです。琴音は自分の無力さを痛感するのでした。
「一先ず、帰りましょうか」
「地上に車を停めてある。――お前はどうする」
琴音は力なく、時雨と薙斗の後を無言で追いました。頼ることのできる人間がこの人たちしかいない今、不本意ではあるものの、従うしかないのです。琴音は下唇に噛みつき、泣きたい気持ちを必死に抑え込みました。
それから琴音は、帰路についた車の中でもなに一つ言葉を発しませんでした。それが最大限の抵抗だったのです。察した時雨も薙斗も、敢えて琴音に声を掛けることをしませんでした。無言の車中には、息が詰まるかと思うほど重苦しい空気が流れていました。
そのまま屋敷へと戻り時雨が玄関を開けると、その音を聞きつけて座敷から涼香が出迎えにやって来ました。
「……お帰りなさい」
涼香は琴音を騙して、静を本部へ連行したことへの罪悪感からなのか、珍しくおどおどとした様子を見せました。琴音はそんな涼香に背を向けて、靴を脱ぎます。
「琴音ちゃん、怪我はしてない? お腹が空いたでしょう。今、夕食の支度をするから……」
と、涼香が琴音の手に触れると、琴音はそれを避けるように振り払いました。「誰も、信じられない」。琴音の目はそう言っていました。無言で部屋へと去って行く琴音の背を見て、涼香は呟くように背後の時雨に問います。
「これで満足?」
涼香は昨夜の琴音とのやりとりを思い出していました。
――嫌われていても、涼香のこと信頼してるんですね。
――ええ、信頼していますよ。誰よりも。
時雨はあの時、近くに涼香にいるとわかっていてそう口にしたに違いありませんでした。胡散臭い笑顔で、息を吐くように嘘をつく時雨に殺意すら覚えます。
時雨は涼香の呟きに答えず、涼香の横を通り自室へと戻って行きました。
「お前も、もう帰って休め」
薙斗の言葉と共に、その場に取り残された涼香。
その場にただ立ち尽くす様は、まるで誰からも必要とされることがなくなった、感情の籠らない人形のようでした。




