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所戻って地下三階。
気づけば足首までの水嵩は、更に増してふくらはぎあたりまでに達していました。こうなると、たくし上げた袴も意味はなく、水が足にまとわりつき走り続けることは困難です。
鳥に化けて逃走したとしても、拳銃を持っている隊員が相手では無事に逃げきれる自信がありませんでした。
逃げることを諦めた琴音は、地下三階の中心辺りで立ち止まりました。薙斗の目論みどおり、前方からは南側の階段からの隊員たちがやって来て挟み撃ちにされます。もし薙斗に前もって聞かずにこの状況に陥ってたら、恐らく冷静ではいられなかったでしょう。
「ようやく観念しやがったか。この化け物」
隊員の一人が悪態を吐きます。人間たちにとって、確かにあたしは化け物だろう。だけど、こんな化け物でも受け入れてくれる人がいる。そう思えば、屈強な男たちに囲まれても怖くはありませんでした。
琴音は荒い息を整えながら目の前の隊員を見据え、薙斗に買って貰った物を開きます。
「扇子……?」
琴音が手にしたものは、プラスチックの骨と薄い布でできた二本の扇子でした。琴音はそれを両手に戦闘態勢を取ります。
「化け物上等!」
琴音は掛け声と共に、自分の妖気を扇子に与えました。
「に、逃げろ……!」
妖気を感じ取ったらしい隊員複数人は悲鳴をあげ、ばしゃばしゃと水面を乱します。
――遅い。
琴音は扇子に纏う妖気を逃げ惑う敵に向かい、思いっきり振り払いました。
数百年ぶりに開放する妖気の勢いは、琴音自身も驚くほど衰えを感じませんでした。
扇子から出た妖気は突風となり、竜巻を起こします。それは床に溜った水を巻き込み、やがて水の柱のようにそびえ立ちました。まるで風神が乱舞をするかのように、辺りの人間を蹴散らしながら琴音の周りをぐるぐると旋回します。
この竜巻をなんとか消滅させようと、ある者は銃を撃ち、ある者は術を唱えました。しかし、竜巻は生き物のようにそれら全てを飲み込みます。
琴音は、風神へ捧げるための舞を踊り竜巻の威力や方向を操っていました。この術も衣装と同様一族に伝わるものであり、舞も前世の幼少の頃に族長から教わったものでした。
妖は死んでも記憶を受け継ぐ。そのために、この舞の形も代々受け継がれ、何千年も昔から変わりません。
ふと、琴音は花見の席の一興でこの舞を乾たちに披露したことを思い出しました。
パパはこの舞が、人に危害を及ぼす術のためのものだったということを知っていたのだろうか。ううん、きっと知らなかったはず。もし、知っていたら、そんなものを毎年楽しみにするはずがない。
琴音は舞い続けながら乾に懺悔をしました。しかし、手足は止めません。これが、妖である琴音の、今できる最善の方法なのです。
水に足を取られながらも舞を続けている最中、扇子が風になびき、布の部分がぼろぼろと千切れて壊れていくのが目につきました。やはり、専用の扇子でないと妖気に耐えられないようです。扇子の壊れ具合と比例するかのように、竜巻の威力も自然と弱まっていきました。
すると、次の瞬間、なにかが爆発したかのような衝撃を受けました。竜巻の近くにいた琴音は、その衝撃に耐えかねて吹き飛ばされます。
まるで、爆発をするかのように消滅した竜巻。原因は壊れた扇子ではありませんでした。琴音は竜巻が消滅する瞬間、その目で巨大な水の塊が竜巻にぶち当たるのを見ました。
威力が弱まったところを的確に当てていたところから、手強い術者だと推測し、警戒しながら辺りを見回します。
と、気づけば深緑の軍服を纏った隊員たちが、敵の隊員たちを捕らえ終えて遠くから琴音の様子を怯えた表情で眺めていました。その光景を見た琴音は、もしかして味方の術者が敵を全員捕らえたことを自分に伝えるために竜巻を破壊したのでは、と一瞬気を緩めます。
「後ろだ、避けろ!」
そんな最中、切り裂くような叫び声が響き渡りました。叫びをあげた薙斗は、琴音に向かって必死に走り出していました。琴音はようやく、後ろを振り返ります。
「――水馬、其の姿を現せ」
琴音は、眩い輝きを放つ呪符を手に術を唱える人の姿を見て、一歩もそこから動けなくなってしまいました。
その人の周囲の水は、その人の言霊に従うように宙へと浮いて大きな馬へと姿を変えました。
まるで、生を吹き込まれ呼吸をしているかのように、馬の向こう側の景色が揺れ動きます
「琴音!」
「千軍万馬――!」
薙斗の呼ぶ声と同時に、巨大な馬は水面を滑るように突進してきました。
ああ、ここで死ぬのかも知れない。琴音は漠然とそんなことを考えていました。たとえ死んだとしても、琴音は自分を殺した術者の顔を絶対に忘れることはないでしょう。いいえ、忘れられるはずがありません。
なぜならその人は、かつて家族と慕っていた、龍壬だったのですから。




