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乾は肩と腕の痛みを堪えながらも、勝ち誇ったように見下してこう言い放ちます。
「おい、ガキ!」
その台詞がたいそう気に入らなかったらしく、基己は乾を睨み殺すような形相で見上げました。
「術は大したもんだが、それに集中しすぎて俺が禺歩を踏んでることに気づかねえとは、まだまだだな」
「うほ……?」
自分の身になにが起きたのか理解できていない基己は、混乱の余りか自らの正体を隠そうとはしませんでした。初めて禺歩を目の当たりにしたのか、動揺の色が窺えます。
「決まったステップを足で踏む中国の古い術だ」
陰陽思想にも取り入れられた禺歩は、仙術として入山時や邪気を払うために用いられたものでした。乾は基己が操る星砂の刃物を避けながら、この禺歩を踏んでいたのです。
今では滅多に使う者はいないため、周りの隊員たちすらも初見だったらしく、目を丸くしている者が多く見られました。
乾はこの禺歩を踏み終えてから徐々に基己から後ずさり、禺歩を踏んでいた場所に基己をおびき寄せて術を発動させたのです。基己はそんなことなど知らず、自分の思いどおりになる乾を見て子どものようにはしゃいでいたのでした。
「まあ俺も、この術は古臭くて好かねえんだが……な」
そう言うと、乾は塔が崩れ落ちるかのようにその大きな身体を床に倒しました。
その瞬間、沈黙の糸がぷつんと切れたかのように、辺りが騒然となります。
士気に関わるため、乾の心臓が弱っていることを知らされていない隊員たちにとっては驚くべき光景でした。
「乾さん!」
「……基己を拘束しろ!」
乾は、自分に駆け寄る隊員たちを一喝しました。一部の隊員はそれに従い、術が解けて自由になった基己を拘束します。
「乾さん、大丈夫ですか!」
「……ちっ、術を二連続で使ったぐらいでこうなるたあ、俺もそろそろ引退かぁ?」
一人の隊員に肩を貸してもらい、乾はなんとか身体を壁に背を預けます。辛うじて話すことはできますが、立ち上がることはできそうにありませんでした。左肩の怪我に触れた右手で心臓を押さえたために、胸にまで自分の血がつきます。
こんなところ、琴音に見せるわけにはいかない。
乾は軍服のポケットから錠剤を取り出して、がりっとラムネのように噛んで呑み込みました。舌が痺れるほどの苦さです。
「誰か、内密に時雨に知らせてくれ。内密にだ」
痛みが多少和らいだところで、周りを取り囲む隊員たちにそう告げました。イヤホンマイクでは、全隊員と琴音にまで自分が負傷したことや心臓に異常があったことが知られてしまいます。これ以上混乱を招くわけにはいきませんでした。
隊員の一人が時雨に知らせに行ったことを確認し、乾は隊員たちに両手を拘束されている少年を見上げます。
「おい、基己」
その声に、歳の割には大人びた顔がこちらに向けられます。
「お前が開発部から成長剤を盗んだ小童だな」
基己はある日突然ふらりと乾の前に現れ、そのままの流れで特殊部隊に入隊したという異例の経歴の持ち主でした。どこかの部隊に入隊するには、高校を卒業して一年に一度行われる入隊試験を受けるのが原則です。
乾が基己を採用した理由は、特殊部隊に一人でも多く隊員が欲しかったのと、実際に基己の実力が伴っていたためでした。
基己はなにも言いませんでした。光を失った瞳で、乾を見下ろします。その瞳の色は、自分の元弟子と重なりました。
「成長剤は一時的の効果のはずだが、どうしてお前はずっと大人の姿を保てたんだ」
「……自分で改良した。――俺、本当はずっとあんたに憧れてたんすよ。だから、早く隊員になりたかった。それなのに、あんたや龍壬さんは俺たちを騙してたんすよね。わざわざ家に結界張って、妖を保護して。――いや、あんたたちが妖を保護したことは俺にとって大したことなんかじゃない。それより、そのことを仲間である俺たちにさえ打ち明けてくれなかったことが、なにより許せなかった。俺はあんたの力になりたくて、その一心だったのに……あんたは、俺たちを信用なんかしてなかったんすね」
開発部から薬まで盗み出し、尊敬していた人の部隊に入隊することを選んだにも関わらず、尊敬していた人に裏切られた基己。その表情には口惜しさが滲み出ていました。




