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「確か近くにトイレがあったな。お前、少し隠れて待ってろ」
「えっ」
「すぐ戻る」
そう言い残すなり、薙斗はずるずると男を引きずって行ってしまいます。一人残された琴音は、混乱状態に陥っていました。一先ず、落ち着いて状況を確認します。
まず、あの男はエレベーターに乗ろうとしていました。ということは、どこかに行くつもりだったに違いありません。しかし、その男は薙斗によって気絶させられてしまいました。
もしかしたら、男がやって来ないことを不審に思った仲間がここにやって来るんじゃなかろうか。結論に至った琴音は、再び混乱状態に陥ってしまいます。
「ど、どどどどうしよう」
ここにこのままいては、そのうち誰かに見つかってしまう。どうか誰も来ませんように! そんな願いも虚しく、近くから男たちの声が聞こえて来ました。
「――じゃ、また後で」
しかも、一人の足音は明らかにこちらへ向かっています。
考えろ! 考えるんだ、あたし!
必死に知恵を絞っていると、ふとある女の顔が浮かびました。琴音は迷わずその女の顔に化けます。
「あれ、ゆいこさん?」
角を曲がってエレベーター前へとやって来た旅館の客室係姿の男は、琴音を見て迷わずそう声を掛けました。琴音は静と旅館を脱出する際に化けた仲居のゆいこに化けたのです。
「今日、非番でしたっけ」
「あ、ああ、うん。今日ちょっと調子がよくなくて、早く上がらせてもらったの」
「ほんとだ、声がちょっとおかしいですね。――そう言えば、聞きました? 例の脱走した化け狸、ゆいこさんに化けて逃げたらしいですよ」
男の口から「化け狸」という単語が飛び出た瞬間、琴音の心臓は口から飛び出るのではないかというくらい暴れだしました。
「そ、そうだったのー?」
「凄いですよね、他人に化けるってどんな気分なんですかね」
今、正に吐きそうな気分です。という感想を飲み込み、琴音はぎこちない笑みを浮かべてその場をやり過ごそうとします。
「すみません、お待たせしました」
と、ここで薙斗が戻って来ました。助かったあ、と声の方を向くと、群青色の軍服に身を包んだ薙斗と目が合いました。さっきの大柄の男から拝借したらしく、軍服のサイズが合っていません。
「ん? 見ない顔だけど」
不審がっている男の様子を見て慌てている琴音とは対称的に、薙斗は涼しい顔で淡々と話し始めました。
「今日からこちらでお世話になるものです。この方に拠点内を案内してもらっていました」
「そうなの! あっ……ごほっ、そうなの。なんだか迷ってるみたいだったから」
早くどっかに行ってくださいお願いします。琴音は病人を演じながら心の中で懸命に祈り続けました。
「ああ、そうだったんですね。よろしく。俺も元共存陰陽隊だったんだけど、こっちの方が待遇よくしてくれるらしいから、最近こっちに来たんだ。お前は?」
琴音は男の台詞を聞いて、一瞬だけ動揺しました。しかし、悟られないようになんとか平然を装います。
「よろしくお願いします。俺もそんなところです。……ところで、龍壬さんは今どこにいらっしゃいますか。直接会ってご挨拶をしたいのですが」
「龍壬さんなら、地下三階の部屋に籠ってると思うよ。――ゆいこさん、具合悪いんですよね? 俺、代わりましょうか」
「い、いいのいいの、気にしないで」
「そうですか? 無理はしないでくださいね」
「ええ、ありがとう」
龍壬は地下三階にいる。その情報が掴めただけで十分だった琴音は、これ以上怪しまれないうちに男と別れました。




