26
「ホットミルクでも作りましょうか」
時雨はにっこりと笑うと、ビール缶を置いて冷蔵庫から牛乳を取り出し、それを鍋に入れ火に掛けます。琴音はその背に問い掛けました。
「時雨さんは、どうして起きていたんですか」
「本部に提出する報告書をまとめていました。ようやく終わったので、朝には隊員に渡せそうです」
「そう、ですか」
「琴ちゃんは、やっぱり眠れませんでしたか」
そう言い、振り返る時雨に、琴音は遠慮がちに頷きます。
「怖い夢を見ました。今まで、見たこともないような怖い夢でした」
「話してみてくれませんか」
「……最初は、清才様がなにかお話をしてくださっていました。それから、急に森の中に場面が移って、たくさんの人の屍があたしの周りを囲っていたんです。それは、あたしが殺した人たちでした」
琴音が話すと、鍋から牛乳が沸騰する音が聞こえてきました。時雨は火を止めてそれをマグカップに流し込み、琴音に渡します。
「居間で少し話しましょうか」
時雨は左手に缶ビール、右手にマグカップを持って台所を出て行きます。琴音はその後を追いながら問い掛けます。
「あの、時雨さんは眠くないんですか」
「ここ十年、特に眠気を感じることはないので大丈夫です」
「それ、大丈夫じゃないです。多分それって不眠症だと思います。病院へ行ってください」
時雨をわりと本気で心配した琴音でしたが、時雨はそれを「病院は嫌いです」という一言で片づけてしまいました。
「それに、不眠症であの病院に行ったら、二度と目覚めないような睡眠薬を投与されそうですし」
「氷月さん、ですか」
琴音は乾の端末をメスで一刺しにした氷月の顔を思い出しました。
「琴ちゃんも氷月に会ったんですね」
居間まで移動すると、琴音は時雨と並んでソファに腰を下ろします。隣の座敷で眠っているであろう乾と怪我人の隊員たちを起こさないよう、なるべく小さな声で会話しました。
「氷月さん、パパが美人看護師さんたちに連絡先を聞きまくったせいで、こんな眉間に皺を寄せてました」
琴音がソファに座って氷月のように眉間に皺を寄せて見せると、時雨はおかしそうに笑います。
「氷月は常にそんな難しい顔をしているんですよ。あれは高校生の頃から変わってないですね――どうぞ」
と、時雨はホットミルクの入ったマグカップを琴音に渡し、自身の缶ビールを開けました。ホットミルクの水面には薄い膜が張られていて、マグカップが揺れる度に緩やかな波を立たせます。
「ありがとうございます。――時雨さんと氷月さんって、そんなに長い付き合いなんですか」
「高校の同級生でした。氷月は三人兄妹の長男で、下に弟と妹がいます。弟の瑞月は地上の病院の院長を引き継ぎ、妹は特殊部隊員と結婚をして子どもを宿していました」
「それって……」
「桜月さんです。氷月や瑞月にとって龍壬さんは義理の弟とはいえ、今回のことに関しては、さぞかし複雑な心境を抱いていることでしょう」
琴音はそれを聞いて、乾が氷月に投げかけた言葉の意味を理解しました。
「パパ、氷月さんに龍壬さんになにか伝えることはないかって聞いてました。それって、義理のお兄さんとしてなにか伝えることはないかってことだったんだ」
「氷月はなにか言ってましたか」
「なにもありませんって……仲はよくなかったんでしょうか」
「まあ、あれはそう感情を表に出す人間ではないので、よくも悪くもそう言うでしょうね」
琴音は時雨の話を聞きながら、ホットミルクを口にしました。温かく優しい味が口に広がって安心感を覚えます。
しばらく、心地のよい沈黙が訪れました。聞こえて来るのは、誰のものかわからない寝息といびきだけです。そのいびきの音が、時折高音になったりするのを琴音と時雨は互いに目を合わせて笑い合いました。




