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「な、なにがあった!」
戦況を見ていた隊員は、みな信じられないというような表情を浮かべていました。その一人に指揮官が問い詰めると、隊員は青い顔をして答えます。
「きゅ、急に包囲していた敵西部隊の隊員が、煙みたいに消えたんです!」
「なに!?」
「報告します! 敵の主力と思われる部隊が突然攻めてきました! 間もなく包囲されます!」
鎌利は木に身体を預けて立ち上がると、見るからに狼狽をしている指揮官に声を掛けました。
「包囲していた敵の西部隊は、この匂いが見せた幻覚。私たちは妖に化かされたんですよ、指揮官殿。ここは、素直に撤退した方がいいと思いますけどねえ。このままでは、間違いなく全滅です」
「馬鹿を言うな! このまま引き下がれるか! 全部隊、迎撃準備をしろ!」
指揮官は鎌利の言うことに耳を貸そうとはせず、悲鳴が上がる戦場に向き直って怒鳴りつけます。その背を見た鎌利は、深いため息をつきました。
「……やれやれ、呆れた方ですねえ。見損ないましたよ」
「なに――っ!」
鎌利は指揮官が振り返るよりも早く指揮官の背後へと忍び寄り、指揮官の首に手刀を下ろしました。鎌利の両手を拘束していた手錠は、指揮官の身体と共に地面へ落ちます。手錠は機転を利かせた隊員の計らいで、完全には装着されていませんでした。
「これより全部隊の指揮は俺が執る。全部隊撤退を開始しろ」
*
『こちら西本部隊! 敵が撤退していきます!』
「全部隊に告ぐ。指揮官捕獲に努めよ」
敵部隊の撤退を聞いた琴音は、そっと窓を閉めました。自分の術が敵にちゃんと効いたという安心から胸を撫で下ろします。
が、そんな安心も束の間。部隊に指示を出し終えた時雨の表情が、急に強張りました。
「伏せろ!」
「えっ――きゃあ!」
時雨の身体が琴音に覆い被さったのとほぼ同時に、西の窓ガラスが破壊され、なにかが室内に入ってきました。そしてそれは、一瞬のうちに部屋の隅に置かれた四個の小壺を破壊していきます。
部屋に静寂が訪れると、時雨は少し琴音から身体を離し、辺りを見回しました。近くには勢いで飛ばされた香炉が、窓ガラスの破片と共に灰を撒き散らして転がっており、結界の媒体であった小壺は原型を留めていません。
「やってくれますね」
「し、時雨さん、血が!」
琴音を庇い、窓ガラスの破片を被った時雨は、その破片で切ったらしく頬から血が出ていました。
治療をする間もなく、今度はどこからか落雷のような轟音が響き出します。
「状況を報告せよ」
『――報告します。指揮官確保完了しました。しかし鳥居が何者かに破壊され、敵部隊員たちが逃げ出しています』
「追撃の必要はない。――全部隊に告ぐ。東西南北の監視役四人は別の隊員と交代させよ。また、敵指揮官の見張り二人を置き、それ以外は戻れ。東西南北の監視役は交代制で行い、指揮官の見張り二人は指揮官を屋敷方向へ連行せよ」
『――こちら薙斗。消火を終えて、念のため捕獲しておいた敵の東部隊たちの様子を見に来たんだが、見事に全員いなくなってる』
「構いません。それより指揮官に挨拶をして来てくれますか。誰が主犯かを聞き出してください」
『了解』
ひと段落つくと、時雨は息をつきようやく身体を起こして琴音の上から退きました。琴音は時雨から差し出された手を掴み、上半身を起こします。
「怪我はありませんか」
「あたしは平気です。ごめんなさい、あたしのせいで……時雨さん、怪我しちゃって……」
「こんなもの、怪我のうちに入りませんよ。――よく頑張りましたね。君のおかげで、死人を出さずに済みました」
時雨が今にも泣きそうな顔をした琴音の頭を優しく撫でると、琴音の緊張の糸はぷつりと切れ、目からはぽろぽろと涙が溢れました。
「君は、よく泣きますね」
「時雨さんが……優しいせいです。……うぅっ……ひっく……もっと撫でてください」
琴音は、一度は自分の頭から離れた時雨の手を掴んで自分の頭に乗っけます。時雨は苦笑しながら、もう一度琴音の希望どおり撫でてやりました。
「そんなに泣いていると、そのうち干からびてしまいますよ。――狸の干物も、案外美味しいかも知れませんね」
「あたしは食べても美味しくありませんから!」
時雨に茶化され、腹を割かれて天日干しされる自分を想像した琴音は、ぞっとして必死に服の袖で涙を拭います。その様子を、時雨はおかしそうに見つめていました。
しかし、そんな和やかな雰囲気も、イヤホンから聞こえてくる隊員の声によって、長くは続きません。




