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「まだ死にたくない死にたくない死にたくないい!」
そんなことを呪文のように唱えている琴音を横に、薙斗は冷静沈着に左手でハンドルを握りながら右手で運転席の窓を開け、腰のホルスターから拳銃を引き抜き握ります。
「下手糞」
タイヤ付近を掠りもせず飛んでいく銃弾を見て悪態をつくと、薙斗は窓から腕を出し、後ろを振り返ることなく発砲しました。すると、後ろの車は急にバランスを崩しだし、そのままあっけなく停車しました。
龍壬の時のようなカーレース展開を予想していた琴音は、あまりのあっけなさに拍子抜けしてしまいます。
「今、なにしたの?」
死にたくない死にたくないと、呪文を唱えながらもきちんと後ろの様子を見ていた琴音でしたが、薙斗が撃った一発がどこに当たったかまでは確認できませんでした。まるで、マジックでも見せられたかのようです。
「前輪に一発当てただけだ」
薙斗は拳銃をしまいながら、やはり冷静な口調でこう答えます。琴音はあまりに薙斗が冷静すぎて、騒いでいた自分が恥ずかしくなりました。
「薙斗って凄い人だったんだね」
薙斗は「今更か」と言わんばかりに肩を竦めました。琴音は構わず、後部座席に座る静に声を掛けます。
「静、この人は時雨さんの補佐の薙斗だよ」
「ああ、あなたが時雨の。さっきは助かったわ。ありがとう」
静が素直に礼を述べると、薙斗はポケットから煙草を出し、煙草を咥えてこう言いました。
「俺は時雨の指示に従って動いただけだ」
「なあに、照れてんの?」
琴音がにたにたと薙斗を茶化すと、薙斗は煙草をふかしながら初めて会った時のように、琴音を鋭く睨みつけます。
「お前、ここで下ろすぞ」
「すみませんでした!」
静はそんな二人のやり取りを笑顔で見ていました。琴音が家族以外の人間と親しく話していることが嬉しかったのです。
「それにしても、よくあたしたちの居所がわかったね」
「……旅館の内部に隠密担当を仕込んであるからな。報告によると、あの山一帯は龍壬が率いる部隊の領地らしい」
「やっぱり、龍壬さんが隊長なの?」
「そういうことになる。――これから、乾さんが入院してる病院へ向かうつもりだ。乾さんなら、なにか心当たりがあるかも知れない」
龍壬さんが自ら部隊を率いて、共存陰陽隊に謀反を起こした動機。琴音は時雨が龍壬に発した言葉の全てが正しいとは思えませんでした。しかし、時雨もはたして龍壬の過去がそのまま動機だと思っているのでしょうか。
「もしかして時雨さんは、龍壬さんの過去が動機かどうか確かめたかったのかな」
「どういうこと?」
ふと思ったことを呟いた琴音に対し、静が反応を示しました。
「時雨さんはきっと、あたしがあの屋敷に来た時から、龍壬さんが自分の命を狙ってることに気づいてたはずなの」
時雨はきっと、琴音から話を聞いた時、特殊部隊総隊長補佐が妖を保護したくらいで死刑になるなど、そんな勘違いをするはずがないということに気づいていたはずです。
そうなると、前世で関わりが深かった人間と来世でも出会う、という妖の特性を利用し、時雨の居場所を突き止めようとしているとしか考えられません。そして、その理由も、度々命を狙われてきた時雨は直ぐに気づいたはずです。
「それなのに、時雨さんは殺されるかも知れないとわかっていながら、あたしと一緒に龍壬さんの家に向かった。そこで龍壬さんに捕まって、挑発的に過去のことを追及したのは、もしかして龍壬さんの様子を見てたんじゃないかって思ったんだけど」
そこまで言うと、琴音は隣の薙斗へ視線を移しました。
「まあ、時雨自身があの場へ行ったのは大方そんなことだろう」
「一つだけ引っかかることがあるの。薙斗、時雨さんに助けに来るように言われたのはお昼休み?」
琴音は時雨からデートの誘いを受けてから準備をして、時雨の部屋の前で時雨の電話での会話を耳にしていました。その時、時雨は電話の相手は、薙斗だと話していたのです。
「いや、今日の昼休みの会話の内容は、要請についてだ。屋敷に主戦力部隊と特殊部隊の精鋭部隊を向かわせるよう要請を出すように指示された。龍壬の家での計画を聞かされたのは、お前が屋敷に来て時雨の部屋で眠ってた時だ」
『今日から一週間後に龍壬は必ず動き出します。彼が直々に動くのであれば、こちらも誠意をもって応えなければいけません。君には援護をお願いします』
一週間前、時雨はこう言って薙斗に正確な時間と場所を告げ、援護を頼んでいたのです。
「どうして時雨さんは、龍壬さんが今日動くってことを知ってたの?」
命を狙われていると知っていたとしても、事前に誰かから知らされていなければ、龍壬が行うことをここまで正確に先読みすることができるはずがありません。同じことを思ったのか、薙斗も運転をしながら顎に手を当ててこう言います。
「あいつが敵内部の人間と繋がっていることも考えられるが、それをわざわざ明かすような馬鹿ではない」
「うん」
薙斗はあと一つ、昼休みになって屋敷に精鋭部隊への要請を頼まれたことも気になっていました。事前に別働隊が涼香を狙うことを知ってなければ、あんなことを頼むはずがありません。
そもそもあの屋敷は、共存陰陽隊の中でも極秘でした。涼香のためだけに精鋭部隊を配置させるには少々大袈裟のようにも思えます。
薙斗が思い耽っている間、静は意味がわからないと眉間に皺を寄せていました。話が見えてこない静は、痺れを切らせて結論を促します。
「だから、つまりなにが言いたいのよ?」
薙斗は静からの催促を無視して、琴音に問い掛けます。
「一つ聞くが、お前が仕えていた清才には、未来を視る能力はあったのか」
「えっ? ……ううん、占いをすることはあったけど、そんな能力はなかった」
琴音はまさかそんなことを薙斗の口から聞くことになるとは思わなかったのと、偶然にも薙斗も自分と同じことを考えていたことに驚きを隠せません。
時雨には、未来が視えている。そんな、どこまでも現実離れした結論が琴音と薙斗の中で漂っていました。しかし、それはあまりに現実離れしていたため、口に出すことは憚れました。
琴音は時雨に屋敷を案内してもらった時のことを思い出しました。琴音が書斎で言及をした時、時雨は能力を否定し、未来を視るために行っている占いに対する厳しい見解を述べたのです。まるで、未来を視ようとする行為を蔑むかのように。
「もし、俺とお前が考えてることが当たってたとしたら、屋敷に帰ってから少し厄介なことになるかも知れん」
唐突に、薙斗は苦い顔をして後ろ頭を掻きました。
「厄介なこと?」
「俺は憶測で物を言うことは好かん。まあ、覚悟はしておけ」
もし、時雨に未来が視えていて、仮に精鋭部隊を屋敷に要請したのが敵の別働隊に狙われた涼香の救護のためだけではなかったら。それは、別の理由があるということです。薙斗はその理由を想像して、どっと疲労が押し寄せてくるのを感じました。




