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夜。琴音は台所で涼香の夕食の支度を手伝っていました。献立は、時雨の予言どおりカレーです。どうやら数日前に、人参とじゃがいもと玉ねぎが安売りをしていたらしく、相当買い込んだのが原因のようでした。
時雨は恐らく、それを見ていたのでしょう。本当にくだらないことを聞いてしまったと、琴音は今更ながら恥ずかしく思うのでした。
「琴音ちゃんが手伝ってくれて本当に助かるわ。男どもは全く役に立たないから」
「あたしでよかったら、いつでも手伝うよ」
それにしても、と琴音は自分の手元と涼香の手元を見比べました。じゃがいもの皮を皮むき器でせっせと剥いている琴音に対し、涼香は包丁で琴音の倍の速さでするすると皮をむき、根っこをくり抜いています。これは、はたして手伝いになっているのだろうか。
「涼香は家事が好きなの?」
涼香の隣で料理を黙々と続けられるほど心が強くない琴音は、無言にならないように積極的に声を掛けることにしました。
「好きというわけではないのよ。潔癖でもないしね。だから、自分の家はこの屋敷ほど綺麗ではないわ」
「涼香もこの屋敷に住んでるわけじゃないんだ。ここに住んだほうが楽じゃない?」
これは、一緒に住んでいない龍壬に対しても日頃から感じていることでした。わざわざ食事をするために毎朝家にやって来て、夜になったら帰って行く。琴音はそれならいっそ一緒に住んだほうが楽なのではないだろうかと思うのです。
しかし、龍壬は絶対に首を縦に振ろうとはしませんでした。涼香もやはり、険しい顔をして拒否します。
「絶対に嫌よ。同じ屋根の下で過ごすこの時間でさえ苦痛なのに、住むだなんて考えたくないわ」
「……時雨さんのこと、そんなに嫌い?」
「琴音ちゃん、あなたのためを思って言うけど、あれに心を許しちゃだめよ。自分のためなら、平気で他人を利用する人間なんだから」
確かに、今日一日時雨と一緒にいて、他人を試したりどこかで軽視しているかのような態度は見受けられました。しかし、涼香が言うようにそこまで悪人なのだろうか。
そんなふうに琴音が時雨を擁護してしまいたくなるのは、少なからず清才とそっくりな時雨の容姿も手伝っているのでした。
「ところで、涼香も共存陰陽隊の隊員なの?」
琴音は迷った挙句、話題を変えてみることにしました。
「ええ、わたしはあの二人とは違って、医療部の隊員だけどね」
「医療部?」
龍壬や時雨から聞いた話の中には度々、主戦力部隊やら特殊部隊という単語が出てきていましたが、いまいち理解はできていませんでした。
「あら、まだ聞いてなかったのね。共存陰陽隊はね、戦闘部、医療部、開発部、情報部っていう四つの部署に分かれてるのよ。時雨や薙斗が所属してる戦闘部は、さらに主戦力部隊と特殊部隊と本部護衛に分かれてて、主戦力は対他主義陰陽隊用部隊、特殊部隊は対妖用部隊、本部護衛は名前のとおり本部を守護する役割を担っているわ。ちなみに時雨は主戦力部隊の総隊長で薙斗はその補佐の副隊長なの」
「ええ!? 時雨さんと薙斗ってそんな偉い人だったの!?」
「肩書きだけよ」
そう言ってから、涼香はふとなにか思いついたかのように顔を上げました。
「あ、それじゃあ、乾さんや龍壬さんのことも知らないのよね。乾さんは特殊部隊の総隊長で、龍壬さんは副隊長なのよ」
「……へ」
涼香から事実を聞くと、琴音は驚きを通り越して共存陽隊の先行きが不安になりました。龍壬はともかく、パパのような飲んだくれが特殊部隊の総隊長など、考えたくありません。
「パパが瀕死にさせられたのって、総隊長のパパに不満があったからなんじゃ……」
「仲間内の犯行と決まったわけじゃないし、総隊長は命を狙われるのが仕事のようなものなのよ。乾さんが特別というわけじゃないわ」
涼香は切り終えた野菜を、鍋の中に入れて軽く炒め始めました。
「もしかして、涼香も医療部の偉い人なの?」
「まさか。わたしは医療部の中の戦闘専属っていうちょっと変わったところに所属してるの。戦闘専属は主戦力部隊総隊長と特殊部隊総隊長の一人ずつについて、隊長の健康管理をすることが仕事なのよ」
「あれ、でもパパには涼香みたいな人いなかったけど」
「もともと、戦闘専属は隊長から要請がない限りは病院勤務に徹することが義務付けられてるから、琴音ちゃんは会ったことがなかったのね」
「ということは、涼香はずっと時雨さんから要請を出されてるってこと?」
「正確に言えば、要請を出してるのはわたしの元上司だけどね」
お喋りを続けながらも、涼香の手は止まりませんでした。炒めた野菜に水を加え、沸騰する間に鶏肉を切っていきます。琴音はそれを横目で見ながら、洗い物を片づけました。
「時雨はね、異端なのよ。主戦専属を家政婦のように扱えるし、清才の唯一の子孫のはずなのに総指揮官じゃないし、術者なのに特殊部隊の人間じゃない」
言われてみれば、陰陽隊は清才が造った組織だというのに、その血族である時雨は後継者問題には浮上していないようでした。琴音にとって時雨が術者だったということは初耳でしたが、先祖が術者の清才ならば不思議はありません。
それなのに、乾や龍壬などの術者が所属する特殊部隊には所属しておらず、主戦力部隊の隊長を担っています。
「どうして?」
「さあ、わたしも詳しいことはわからないわ。ただ、時雨を自由に動かせるのは総指揮官の盃くらいよ。なにか理由があるんでしょうね」
涼香は沸騰した湯の中に、切った鶏肉を入れていきます。鶏肉は、熱さに驚いたかのように身を縮め、色を白くさせました。
「時雨については隊内でいろんな噂がされてるわ。過去に本部に住み込んで盃の娘の輝夜の家庭教師を受け持った関係で、次期後継者の輝夜と付き合ってるだの――」
琴音は動揺して、思わず洗っていた包丁を流し台に落としてしまいました。
「つ、付き合ってるの!?」
「知らないし知りたくもないわ。それよりも、怪我はない?」
「あ、うん」
琴音は気を取り直して、しっかりと包丁を握りました。しかし、手は小刻みに震えています。
「包丁見つめてなにやってんだ」
と、背後から聞いたことのある声が聞こえてきます。振り返ると、冷蔵庫から缶ビールを取り出す薙斗の姿がありました。
「お帰りなさい。今ね、琴音ちゃんと時雨の陰口を言ってたのよ」
「ええっ、陰口なんてそんな――」
「ほどほどにしとけよ」
薙斗は会話もそこそこに切り上げると、直ぐに台所から出て行って居間の方へ向かって行ってしまいました。
「つまらない男ねえ」
涼香は呟きながらカレーの固体状のルーを鍋の中へ落としました。ルーはじわりと溶けて熱湯を茶色く染めます。涼香の話を聞いた琴音は、自分の心にもやが広がるのを感じていました。
組織の中で異端であるがために噂をされる時雨。かつて、隠世にいた頃の自分を思い出さずにはいられませんでした。




