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15


 一番上の手前まで上ると、琴音は頭だけを出し、屋根裏の様子を窺いました。ばくばくと鳴る心臓の音が疎ましく感じます。もし、本当に泥棒だったとしたら、負傷している足で撃退できるだろうか。


琴音の頭には、不思議と逃走するという選択肢は浮かんできませんでした。恩のある人たちの家に侵入した泥棒に対し、慈悲などありません。琴音はいざとなればそこらじゅうの書物を投げつけて、気絶させようと心の中で計画します。


 しかし、肝心の泥棒の姿は、まったく確認できません。西側の窓から差し込む日差しは、うず高く積まれた和装本や、巻物を照らしていました。泥棒の姿はおろか、気配すらも感じられません。


「勘違いかな」


 もしかしたら、大きなネズミだったのかも知れない。琴音がそんなことを思いながら、足を一歩下ろしかけたその時でした。


「どうかしましたか」


「ひゃあ!」


 背後から突然聞こえてきた声に驚き、琴音は危うく階段から落下しそうになりました。なんとか体勢を整え、背後を確認します。


「し、時雨さん」


 琴音の背後には、埃まみれの書物を何冊も抱えた時雨が笑顔で立っていました。


「すみません、面白そうだったので背後から忍び寄りました」


「忍び寄らないでください! 危うく転落死するところでした!」


 時雨は書物を置くと、琴音に手を差し出し、琴音を引き上げました。


「よくここがわかりましたね。涼香に教えてもらったんですか」


「いえ、探検してたら辿り着いたんです。そしたら、上から人が歩くような音がして、泥棒なら撃退しなきゃと思って上って来ました」


 鼻の穴を膨らませて言い切る琴音を見て、時雨は急に口元を抑えて肩を震わせ始めました。


「どうやって撃退しようと思ったんですか」


「そこらの本を投げつけてやろうかと……って、なにがおかしいんですか!」


「いえ、琴ちゃんが必死に本を投げてる姿を想像したら、思いのほか可愛かったので」


 時雨の脳内には、「えいっえいっ」と掛け声つきで必死に攻撃している琴音の姿が浮かんでいました。それで泥棒を撃退できると思っている琴音の楽観的な思考さえも、おかしかったのです。


一方、琴音はせっかく時雨たちのために撃退しようと思っていたのに笑われてしまい、完全に気を悪くしていました。子どものように頬を膨らませています。


「ごめんごめん」


 時雨はなおも笑いながら、悪びれもなく琴音の頬を突きました。


「でも、この屋敷は結界に囲われていますから、そういう心配はいりませんよ。普通の人間は、ここには辿り着けないようにしてあるんです」


「……その結界、ちゃんとした媒介使ってますか?」


「もちろん。僕は自分を媒介にするような馬鹿ではありませんから」


 琴音は大切な父親を軽く馬鹿呼ばわりされても、不思議と怒りを感じませんでした。むしろ共感すら覚えます。


「時雨さんは、なにしてたんですか」


「少し調べ物をしていました。ですが、この膨大な資料の中から本当に欲しい情報だけを探すのは時間がかかりますね」


 そういえば、と琴音は時雨と初めて会った時のことを思い出します。いえ、初めて会った時のみならず、時雨は決まって手に本を持っていたのです。


「もしかしてここにある本、全部読んでるんですか」


「はい。あとはこの屋根裏にあるものだけなんですけどね」


「う、嘘でしょ」


 二部屋の書斎の本だけでも、軽く千冊は超えていたのにさらにこの蔵の図書館並みの冊数を読み上げたとでも言うのか。考えただけでも気が遠くなるようでした。


「そんなになにを調べているんですか」


「杖についてです」


「杖?」


「知りませんか。生者たちの世界を分断した杖の話」


 琴音は清才と出会う前、まだ隠世にいた頃に族長から聞いた昔話を思い出しました。隠世と現世を分け隔てた神の杖。しかし族長はその杖の所在地はおろか、その杖が本当に存在しているのかさえ知らない様子でした。


「聞いたことはあります。でも、あれって本当にあるんですか?」


「わかりません。ですが、不思議ではありませんか。遥か昔の話であるはずなのに、こうして現代にまで一部の人間にのみ語り継がれている。それなのに、肝心な杖の具体的な情報だけはわからない。――琴ちゃんたちのような妖は、前世の記憶を保持したまま転生すると聞きましたが」


「杖が本当に存在していたとしても、さすがに生者の世界を両断した時に生きていた妖は、もう場所まで覚えてないと思います」


 転生してもなお記憶を保持するとはいうものの、転生を繰り返す度に一番昔の記憶を保持し続けられるとは限りません。歳を重ねたり、転生の回数が増える度、昔の記憶はだんだんと薄れ、混在していくのでした。


「やっぱりそうですか」


「でも、杖のことなんて調べてどうするんですか?」


「杖の役割は、現世と隠世を分断することです。仮にその杖を誰かが破壊してしまったら、どうなると思いますか」


 琴音は考えてみてぞっとしました。杖を破壊すること、それはつまり再び人間と妖が一つの世界に存在することになるのではないだろうか。


かつて、琴音が仕えた清才は人間と妖の共存を願っていましたが、それは世界を一つにするわけではなく、琴音のような現世にいる人間に対し憎悪を抱いていない変わり者の妖を保護することを目的としていたのです。


仮に妖を信じていない現代の人間と、人間に憎悪を抱いている妖とが一つの世界にまとめられたら、世界は混乱を極めることでしょう。


「杖を制する者は、この生者の世界を制することと等しい力を持つことになるんです」


 時雨は、書物をぱらぱらとめくりながらそんなことを言いました。


「時雨さんは、生者の世界を制したいんですか」


「いいえ。ですが、陰陽隊の中にはその杖を利用しようとしている人間はたくさんいますからね。その人間に生者の世界が委ねられるくらいなら、自分で管理した方が安心じゃないですか。――まあ、その杖が本当に存在していればの話ですがね」


 確かに、大切な物は自分の手元に置いておきたいという時雨の気持ちは、琴音にも共感できます。しかし、時雨の台詞の中で一つだけ気になったことがありました。


「陰陽隊の中にはその杖を利用しようとしている人間がいるって、共存陰陽隊の中でってことですか?」


「おや、他主義陰陽隊のことは知らないんですね」


「共存陰陽隊のことすら昨日初めて知りましたから。そもそも陰陽隊って、なんなんですか?」


 琴音が質問すると、時雨は話が長くなりそうだと感じたのか、近くにあった椅子を持って来て琴音を座らせました。時雨はその向かいに椅子を置いて腰を下ろします。


「陰陽隊っていうのは、現世に渡って来た妖たちを管理する組織のことを言います。人間に危害を及ぼす妖がいれば退治をするのが仕事です」


「なんだか、清才様が生業にしていた妖退治と似てますね」


「清才が造った組織ですから当然ですね」


 時雨があまりにさらりと衝撃的事実を告げたため、琴音は危うく聞き流すところでした。もしかしたら、聞き間違いかも知れない。琴音はもう一度、聞き返しました。


「……あの、今、なんて?」


「陰陽隊は、清才が造り上げた組織です。妖退治屋は現代にまで残り、大きく発展を遂げました。陰陽寮はなくなりましたが、民間陰陽師たちが集まった非公認の陰陽隊に公認の陰陽師だった者たちが加わり、今では国家の裏組織としてしぶとく根付いているんです」


 どうやら聞き間違いではなかったらしい。琴音は深い感動を覚えました。約千年という時を経てもなお、清才の生きた証は残り続けていた。そう考えただけで、琴音は震えるほど嬉しかったのです。


「それで、他主義陰陽隊っていうのはっ?」


 琴音は好奇心から時雨に話の先を促しました。しかし、時雨は実に話しづらそうにしています。


「あまり、いい話ではありませんよ。――始め、陰陽隊は一つの隊でした。しかし、清才の遺志に反する弟子たちが現れ、隊は三つに分裂してしまったんです」


 それを聞いた琴音は、清才が生前よく弟子から食ってかかられていたことを思い出します。その問題すらも現代にまで引き継がれているようでした。


「三つのうち一つは、僕たちが所属している共存陰陽隊と言い、妖との共存を目指すことを主義に掲げている組織です。あとの二つは、撲滅陰陽隊、従順陰陽隊というそれぞれ妖をこの世界から抹消することを目的としていたり、飼いならそうとしている組織があります。共存が恐らく清才の遺志に一番沿っている組織と言えるでしょう。そして、現在この三つの組織は度々戦争のようなことをしてるんです」


「せ、戦争? そんなことしたら裏組織じゃなくなるんじゃないですか?」


 琴音の頭には、戦争と聞いていつか乾から教わった日本史に出てきた戦闘機や戦車などが浮かんでいました。そんなものが飛んでいたり街を横行していたら、嫌でも世間は気づくはずです。


「ああ、そんな大っぴらに戦ったりしませんよ。仮にそうなったとしても、各陰陽隊には隠蔽部隊がいるので、民間人の記憶からは抹消されます。隊内から多くの犠牲者が出た場合も、隊員にはもともと正式な戸籍がないのでなんの問題もありません」


 人が死んだとしてもなんの問題もない、と言い切った時雨に対し琴音は顔をしかめました。その台詞の中には、死者を悼むという人間として持ち合わせているはずの感情が、少しも籠っていなかったのです。


「……そろそろ出ましょうか。ここは空気が悪いですね」


 時雨はそんな琴音を無視して、近くに置いてある和装本と巻物を手に立ち上がりました。琴音も後に続いて立ち上がります。


 もしかしたら、時雨はある大事な感情を欠落させているのかも知れない。琴音はそんなことを思いながら、時雨の横顔を眺めていました。


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