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「そんな顔しないでくださいよ。――そうだ、乾と龍壬さんの安否について聞きたくありませんか」
時雨のその言葉を聞いた途端、琴音ははっと目を見開いて時雨に飛びつきました。
「パパと龍壬さんは無事なんですか!?」
「乾は今、共存陰陽隊専属の病院に入院しています。命に別状はないようですが、心臓にかなりの負担を掛けましたから、過度な運動は当分難しいでしょうね」
パパが生きている。それだけで琴音の気持ちは幾分軽くなりました。
「それから、龍壬さんの方ですが、そっちは行方不明になっています」
「行方不明?」
「はい。うちの部隊から既に何人か車で追跡させていたんですが、ものの見事に大破されて直ぐに見失ったようですね」
琴音には大破されたという車に心当たりがありました。
「あの、その人たち、もしかして黒い車で拳銃所持して追いかけてました?」
「おや、琴ちゃんも龍壬と一緒にいたんですね」
時雨は自分が所属する部隊の車が大破させられたというのに、全く怒っている様子はありませんでした。それが逆に恐ろしさを感じさせます。
「す、すみません、龍壬さん、勘違いしてるんだと思うんです。捕まったら死刑になるって言ってたから」
「車なら後で龍壬さん本人に請求するので構いませんよ」
黒塗りの車三台弁償となると一体何百万払うことになるのだろうか。琴音は龍壬のため、春服を我慢し、自分の少ないお小遣いを全額捧げようと決めました。
「ところで、琴ちゃんは追われながらどうやってあの神社まで来たんですか」
「静が大葉城址公園という所に飛ばしてくれたんです。それで、うろうろしてたら神社に辿り着きました」
「なるほど。なら、龍壬と静はまだ一緒にいるんですね」
「そのはずです」
琴音は静と言えば乾という自分の中の認識から、龍壬と静という組み合わせに違和感を覚えていました。もちろん、日常の中で静と龍壬が会話をする場面は幾度となく見てきましたが、付き合いが長いせいもあるのか、静を見ると乾が連想されるのです。
家族なのに普段から大した接点のない二人が、車という密室空間に長時間閉じ込められたら。考えただけで憂鬱になりました。琴音の頭には、静に飛ばされる前に起きた龍壬と静の口喧嘩が思い浮かびます。
「琴音ちゃん、いるかしら?」
と、部屋の外から声が掛かりました。琴音が返事をすると、襖から涼香が顔を出します。
「お話し中ごめんなさいね。もう足の腫れ、引いてるかと思ってお風呂を沸かしたのよ」
「わあ、ありがとう。時雨さん、行ってきても?」
「どうぞ、ゆっくり温まってください」
琴音はこくんと頷くと、直ぐに立ち上がろうとします。
「あ、足痺れちゃった」
「あらあら」
琴音は涼香の腕を借りながらようやく立ち上がり、部屋を出て涼香と共に風呂場へと向かいました。
脱衣所はトイレの隣にあり、時雨の部屋からほど近い所に位置していました。横開きの扉を開けると、テレビで見たことがある銭湯のような広い脱衣所が目の前に広がります。
壁沿いに設置された木製の棚には籠が用意されており、その籠の一つに着替えとタオルが用意されていました。
「着替えとタオルはこの籠の中の物を使ってね。お風呂は、中と外どっちも沸いてるからお好きに入ってどうぞ」
「中と外?」
「中の浴場と露天風呂があるのよ」
琴音は露天風呂と聞いて目を輝かせました。テレビでしか見たことのない世界が、直ぐそばにある。
「ごゆっくり」
そう言って微笑を浮かべ頭を軽く下げる涼香は、旅館の若女将のようでした。琴音は礼を述べて、涼香が脱衣所を出て行くのを確認すると早速浴衣を脱ぎ始めました。
誰かが入っているわけないとわかっていたものの、琴音はタオル一枚を巻いて浴場に入ります。湯気に紛れて、檜のいい香りがしました。石畳のすべすべとした感触が、歩くたび足の裏に伝わります。
シャワーと鏡が連なる洗い場には、檜でできた椅子と桶がそれぞれ置かれていました。
琴音は頭と体を洗うと、檜の広い浴槽に体を沈めました。
「あったかーい」
ここまで、機械的に行動していた琴音でしたが、湯に浸ると一気に人間味を取り戻したかのように表情を緩めました。まるで、今までの疲れが全て溶けて消えていくような感覚に思わず声が漏れます。
しかし、今こうしている間にも、パパは苦しんでいるかも知れないし、龍壬や静は苦労をしているかも知れない。それなのに、自分だけこんな呑気にお風呂に浸かっていてもいいものなのだろうか。琴音は膝を抱えて、半分だけ顔を沈めました。
しかし数秒経つと、
「……ま、いっか!」
パパも無事で、死刑っていうのも龍壬さんの勘違いだったわけだし。露天風呂にも行ってみよ。と、るんるんとしながら檜風呂から上がるのでした。
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