11
朝食を終えると、琴音は時雨と一緒に台所へと向かいました。食器は足を引きずっている琴音の代わりに、時雨が全て持ってくれています。
琴音は、酷く後悔していました。見慣れぬ少女が泣きながら食事をしてるとこを見ながら食べる朝食なんて、さぞ美味しくなかったことだろう。きっと変な気を遣わせてしまったに違いない。
今日初めて会った人間に、どうして泣き顔なんて見せてしまったんだろう。清才様の顔だから安心してしまったのだろうか。とにかく、謝ろう。琴音は時雨を見上げました。
「あの、その、すみませんでした」
「いいんですよ、こう見えて力はありますから」
どうやら食器のことを言っていると思われたようです。
「いえ、それもそうなんですけど……食事中に見苦しいところを見せちゃって」
羞恥から声がだんだんとか細くなってしまいました。居間の隣の台所に着くと、時雨は食器を大きな流し台の上に置きます。
「さあ、そんなものを見た覚えはありませんね」
時雨は言いながら食器を水洗いし、それを食器洗浄機の中に入れていきます。
「大切な人を想って涙を流す姿を、僕は見苦しいとは思いません。ただ、羨ましいと思いました」
時雨の横顔は薄く笑みを浮かべていました。けれど、銀縁眼鏡の向こうの瞳は哀愁を帯びています。
「琴ちゃんは、優しい子ですね」
「や、優しいだなんて、そんな」
琴音は顔を真っ赤にして頬に手を当てました。
「でも、気をつけた方がいいですよ。優しい子ほど、騙されて利用されやすいですからね」
全ての食器を洗浄器の中に入れ終えた時雨は、口で弧を描いで意味深に微笑んで見せました。しかし琴音は屈せず、自信たっぷりに胸を張ってこう言います。
「大丈夫です。あたし、警戒心は強い方なので」
「じゃあ、薙斗くんに騙されてここに連れて来られたのは?」
「あ、あれは例外です!」
時雨は頬を膨らませている琴音を、おかしそうに笑いながら眺めていました。
「君は本当に面白いですね。乾が渡したがらないわけだ」
琴音は久しぶりにパパの名を耳にすると、一瞬だけ身体を強張らせました。パパの本名を他人に話してはいけないという、家族の約束を思い出したのです。
「さて、僕の部屋でお話を伺いしましょうか。そのために僕を探していたんでしょう」
「……どうしてそれを? あたし、薙斗にも時雨さんを探してるなんて言ってませんよ」
「さあ、勘ですかねえ」
琴音は時雨に対し、ここで初めて警戒心を抱きました。やはり、清才の子孫というだけで油断をしていたようです。この男こそ、人を利用することをいとも簡単に行うことのできる人間だということを、琴音はこの時知る由もありませんでした。
警戒心を抱きつつも、頼れる人間が時雨のみである琴音は、大人しく時雨の部屋へと向かいます。時雨は敷かれていた布団を畳み、代わりに若草色の座布団を二枚、畳みの上に置きました。二人は向かい合うようにして座布団の上に腰を下ろします。
「それじゃあ、聞きましょうか」
時雨のその言葉が合図かのように、琴音は口を開きました。
「あたしの家族を助け欲しいんです。パパは結界破りのせいで瀕死状態になってしまって、龍壬さんと静はきっとまだ組織に追われています」
「君は、そのパパと龍壬が追われている理由を知っていますか」
「はい、妖捕獲令が発令されたと聞きました。だから、組織があたしや静を狙っているのだということや、パパと龍壬さんがあたしや静を保護していたせいで罪人になってしまったことも知っています。どうか、家族を助けてください! あたしの、大切な人たちなんです!」
琴音は畳に額を押し付けて頭を下げました。時雨はそれを、顎を撫でながら見下ろしました。
「面倒なことになりましたね」
「……えっ」
琴音は頭に降ってきた言葉を聞いて、思わず頭を上げました。時雨は悩むかのように、眉間に皺を寄せています。
「君は共存陰陽隊の現状は知らないようですね。共存陰陽隊は現在、後継者問題で内部分裂を起こしているんですよ」
「後継者問題?」
「はい。最高指揮官の盃が病で余命宣告をされていまして、後継者として娘の輝夜の名が挙がっているんです。ただ、あの子もなかなか癖のある子ですから、隊内が賛否に分裂しまっている状況です。それに加えて、盃が下した妖捕獲令。元々この命令は隊内で賛否両論があって、発令は見送られていたんですが、なにを血迷ったのか、昨日の盃本人が不在のまま行われた会議で発令させました」
「発令させたのは盃さんって人なんですか」
「そのようですね。そこで発令の話を聞いた、君のお父さんは発令を公表した広報員に掴み掛かり、龍壬さんや周りが止めに入った途端、心臓を押さえて倒れた。薙斗くんからはそう聞いています」
琴音や静を組織に無断で保護しているパパや龍壬は、この妖捕獲令について前々から反対していたようでした。物凄い剣幕で広報員に迫るパパの姿が、琴音の目に浮かびます。
「さっき、君は結界破りでお父さんが瀕死になったと言っていましたね」
「はい。静が、結界が消える前に妖術の気配を感じたって言ってました」
「仮に、その結界破りを行った術者が後継者問題に関係していたら、実に面倒ですね」
輝夜を最高指揮官として選ばれることを、不服としている人間たちが集まり謀反を起こしたのだとしたら、パパや龍壬を助けるどころではなくなってしまいます。
「わかりました。本当なら他の部隊の面倒まで見ている余裕はないんですが、その件は僕が預かりましょう」
「あ、あの、三人は助かるんですか?」
琴音が恐る恐る問い掛けると、時雨は人のよさそうな笑みを浮かべました。
「そのつもりですが、お父さんの名前を君の口から教えてもらえませんか。万が一、食い違っていたら大変ですからね」
「そ、それが、言えないんです」
「まさか、自分の父親の名前を知らないわけではないでしょう。――それとも、僕のことが信用できませんか」
琴音は時雨の心を見透かすかのような目に戦慄しました。本当にパパの元弟子なのだろうか。琴音には自分とパパが過ごしているような和気藹々とした空間で、同じように時雨とパパが過ごしている様子などとても想像することができませんでした。
けれど不思議なことに、パパが怒鳴り散らし、それを笑顔で応対する時雨の姿なら容易に想像できます。
「時雨さん、パパと仲悪かったでしょう」
琴音が勇気を持って思っていることを口に出すと、
「お察しのとおりです」
時雨は表情を全く変えることなく、笑顔のまま答えました。琴音はその正直さに少し笑みを浮かべます。
「あたし、パパと約束してるんです。パパの名前は絶対に他人に教えないって。でも、パパを助けてもらうのにパパの名前が言えないなんておかしいですよね」
助けを求めておいて、その人を信用していないなんて失礼なことこの上ない。琴音は姿勢を正して、時雨を真っ直ぐ見つめました。
「ご無礼をお許しください。パパの名前は、乾と言います。どうか、乾と龍壬さんと静を助けて頂けないでしょうか。お願いします」
琴音がもう一度頭を下げます。その丁寧な嘆願に対し、時雨は淡々と答えました。
「助けるもなにも、乾と龍壬さんに関しては、妖を無断で保護しただけで死刑になるわけではありませんよ。なんらかのお咎めはあるでしょうが、始末書ぐらいで済む話です」
「……へ?」
琴音は耳を疑いました。時雨の口調はとても嘘とは思えないくらい軽かったのです。
「始末書? 死刑じゃなく?」
「はい。そんな簡単に死刑にはしませんよ。共存陰陽隊の中でも、乾と龍壬さんの所属している特殊部隊は特に人員不足ですから」
あれ、あたし、なんのために二回もおでこを畳に擦りつけたんだろう。琴音は不満げに額に手を当てます。
「すみませんね。本当に信用しているのか試したかっただけなんですよ。安心してください、乾には琴ちゃんから名前を聞いたこと言いませんから」
「……ありがとうございます」
時雨は琴音の不機嫌そうな顔と声に苦笑しました。




