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「琴音、静だって――」


「パパ、いいの」


 静は乾の叱責を遮りました。乾はきっと今、苦虫を噛み潰したような顔をしているだろう。琴音は静の膝に頭を預けたまま思います。乾は静に制止されると、必ずそういう顔をするのです。けれど、反論はしない。昔からそうでした。


静は乾と一緒に過ごしている期間が琴音よりも長いためか、乾との間に琴音よりも強い絆のようなものを築いていたのです。だから、琴音には龍壬が必要でした。龍壬だけは、この蟠りを理解してくれたのです。


でも、もうその龍壬はいません。乾を失ったわけじゃない静にとって、龍壬の死は大したことないのかも知れない。そう考えたら、静に対して嫌悪さえ芽生え始めました。


 琴音は静の膝から頭を上げて、外に視線を向けます。吐き気はまだ治りませんでしたが、これ以上静の顔を見ていると、本当に嫌いになってしまいそうだったのです。


「あんたが言ってること、正しいわよ」


 静はふいに琴音の背に向かってこう言いました。


「長く生きてるとね、何度も死に直面するわ。いつの時代も変わらず、人は必ず死ぬ。そうするとね、自然と死ってものに慣れてくるのよね。どんなに身近な人が死んだとしても、悲しむのはその場だけで、その後はなにも感じなくなる」


 静の声は、まるで他人事のように淡々としていました。振り返って静を見ると、静はやはり仕方なさそうに薄く笑みを浮かべています。


「前々世は飢餓で、前世は戦や流行病で色んな人が死んでいったわ。最初は、もちろん悲しかったわよ。でも、今はもう、その場だけ。そのうち、なにも感じなくなるんでしょうね」


「じゃあ、パパは? パパが死んだとしても、静は悲しくないの?」


 琴音は乾が病院から現れた時、真っ先に走り寄った静の姿を思い返しました。あの時の静は、死をなんとも感じていないようには見えませんでした。しかし、静の口から出た台詞は意外なものでした。


「悲しくないわ」


 静は本人を目の前にして、こう言い放ったのです。


「ただ、怖い」


 琴音には、静の言っていることが理解できませんでした。死を悲しむというのは、故人を悼むことによって生まれる感情です。しかし、怖いという感情は、よほど故人に恨まれていなければ生まれることはないでしょう。


もちろん、乾が静を恨んでいる様子は見られません。琴音は静が乾の死を怖れる理由が思い当たりませんでした。


 ミラー越しに乾を見ても、乾は真っ直ぐ前を向いたまま暗い表情を浮かべているだけで大した反応を示しません。静本人は、それについてこれ以上答えるつもりはないようでした。


「あんたもきっといつか、わたしみたいになる。それが、記憶を持ちながら何度も生死を繰り返す妖の運命よ」


 琴音の目には、多くの物を背負って生きる静の姿が映りました。いつか自分も背負うことになるだろうそれは、今の琴音には計り知ることのできない物でした。


 その話以降、本部に着くまで誰も口を開くことはありませんでした。乾も静に制止されたからか、この話について物申す様子はなく、静もそれ以上を語りませんでした。


 本部の駐車場では、多くの車が移動を始めていました。駐車場には複数の出口が存在するため、蟻が巣から外へ出るように駐車場から出て行きます。本部からも、黒いスーツや隊服を着た複数の人が出て来ていました。


「これから龍壬さんのお葬式なんじゃないの?」


 乾は車を停めても出て行こうとはしませんでした。まるで、もう葬儀は終わってしまった後のようです。


「お前はあまり隊員に見られない方がいいと時雨が判断した。だから、葬儀が完全に終わって、ある程度人がいなくなった後に向かうことにしたんだ」


「どうして?」


「それは……知らなくていい」


「直ぐに終わるわよ」


 静が宥めるようにこう言います。


 また、これだ。静は知っていて、あたしには教えてくれない。


 琴音は車から勢いよく飛び出しました。


 もう、こんなの我慢できない。龍壬さんに会いたい。今すぐにでも。


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