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その7

 二人は路地を進んだ。

 追手をやり過ごして、一区画。

 そして、もう一区画。その間は特にすれ違う人たちに怪しいものはいなかった。みな残り少ない昼時間を有効に使うためか、あるいはもう仕事に戻るのためか、足早に歩いていく人がちらほらとでてきた。そういった人たちにも目を向けるが、特別こちらを見て敵意を向けるものはいなかった。

 次を右に曲がったら、サルディナの家の裏の路地に至るところまで、やってきた。最初に目標としていた通りだ。

 なんてことはない、危なかったのは一度だけだった。しかもジーナの優れた危険察知能力で回避できたのだ。このまま彼女の予想通り、運よくサルディナの家に着くことができるかもしれない、とアルは思っていた。


 角の商店の、影になるところからそっと、ジーナは人の影に隠れるように目的の路地を見た。後ろからアルも、ジーナの動きを見守っていた。

 ジーナはアルを振り返り、告げた。


「この先に、人がいるわ」


 そう言って、ジーナは目を伏せつつ少し逡巡した様子を見せた。

 アルもそっと彼女の頭越しに、ちらりと通りを見遣った。


(たしかに、あれはどう見ても怪しい………)


 そこには男が立っていた。

 立っていたのは一人だけではあったが、体格のいい、眼光の鋭い男が、サルディナの家の真後ろの建物の、ちょうど真正面に、堂々と仁王立ちして立っていたのだ。

 サルディナの家の裏の建物は民家のようだ。開放的な商店とは異なり、ここら一帯の人の住む家は四方を塀で囲んである。その塀が近接する建物と境界をなし、私的な生活を目隠しする役割をなしているのだ。

 まさしく、サルディナの家の裏にある建物は典型的な民家であった。その隣の通りに面する大きな窓を持つ商店とは対照的で、塀でその家の一階部分は、ほとんど視線がさえぎられているようだった。その塀の中に入ってしまえば、おそらく見張りからはサルディナの家に入ろうとするアルたちの姿は目隠しされるだろう。

 しかし、その塀に入り込むのをちょうど見張るかのように、男が立っているのだ。彼は時折、周りを鋭く睨みながら、いらいらした様子で煙草を吸いながら立っていた。その足元には、もう何時間、そこに立っていたのだろうかと思わせるような数の、煙草の吸殻が落ちていた。その周りには、他の人間の姿はなく、時折通り過ぎる人たちも、彼の姿をちらりと見ただけで、われ関せずといったように通り過ぎていた。


 おそらく、こんな感じでサルディナの家の周りには何人かの見張りがいるのだろう。

 ここはサルディナの家の裏にあたるので、一人しか立っていないのだろうか。あるいは、もう一人はさらに周囲を巡回したりしているのかもしれないし、ここまであけすけに見張っておらず、見えないところで隠れてアル達の動向をうかがっているものもいるかもしれない。


(けれど、とりあえず今のところ、彼以外の怪しい人物はいなさそうだ)


 そうアルは思っていた。

 ジーナも、彼の姿を確認してから注意深くあたりをうかがっていたが、あまり気になるところはないようなのか、特別にここから急いで離れようとすることも、隠れようとする様子もなかった。

 どうする?といった風に、アルはジーナをうかがう。


「もし、あの男がサルディナの家のあたりを警戒して見回っているのであれば、しばらくするといなくなるかもしれないわ。………ただし、あの煙草の吸殻の数からいって、可能性としては限りなくゼロに近いけれど、ね」


 と、ジーナは答えた。

 もちろん可能性はゼロに近い。けれども、ゼロではないのだから―――、そう思って、二人は男を見ながらしばらく待ってみた。

 男は吸っていた煙草を足元へ投げ捨て、踏みつける。

 そして、もう一本。胸元に入れていたシガレットケースを取り、振って新しい煙草を取り出し、火をつけた。モクモクと煙を上げながら、イライラしたように、時々小刻みに足を動かしていた。

 ………どうも、動きそうには、ない。


「動かないわね」


 困ったわ、ため息をつきながらジーナはそう言い、きょろきょろとほかの安全そうな道を探す。

 アルは、そんな彼女を尻目に男の挙動を一心に見ていた。

 男がまた煙草を投げ捨て、もう一本新しい煙草と取り出そうとしていた。胸元からシガレットケースを取り出して、振る。


(さっき、煙草を取り出そうとしたときに、割ととりにくそうにしていたよなぁ………)


 男が、シガレットケースを振る。そして、いらいらとしたように、シガレットケースの蓋をあけて中身を確認する。その表情は、苦虫をつぶしたように、苛立っている。


「ジーナ。彼、いなくなるかも」


 そう言いながらも、アルは見張りの男から目を離さないでいた。そんなアルをジーナはちらりと見て、彼の視線をたどった。アルたちの視線の先で、先ほどの男が、もう一度あたりをぐるりと凶悪そうな表情を浮かべてにらみつけ、気になるものが無かったのか、足早にその場から立ち去ろうとしていた。向かう先は、おそらくそこから斜め前、三軒先の煙草屋だろう。


「とりあえず、今のうちに!」


 そう言いながらアルたちは通りからそっと身を乗り出す。

 見張りの男は、言われた役目はしっかり果たそうとしているようで、視線はほとんどサルディナの家の裏口からはずしていない。しかし、そっぽを向いたままの煙草の購入は不可能だ。しかも、煙草屋は、入口が戸で閉ざされているのだ。これは若年者が容易に購入できなくする役目もあり、煙草を吸わないものたちが煙草屋から漏れるその匂いと煙に顔をしかめることがないようにするためだ。煙草屋に入ってしまえば、ほんの短い時間ではあるが、監視の目がなくなる。その時をねらって、塀の中に入り込まないといけない。


(いまが、絶好の機会、だ!)


 そう思いながら、アルたちは、男の姿が煙草屋に近づくにつれて、一歩一歩ゆっくりと、目立たないように、そして男の目を引かないように、ほかのもしかして隠れている追っ手たちにも気づかれないように、そろそろと目当ての通りに足を進め、男の姿が煙草屋に消えたのを確認して、その足を裏の家の前まで進めた。

 ジーナは注意深くサルディナの家の隣の家をうかがい、怪しい人影がいないことを確認して、素早く塀の中に身を隠す。それにアルも付いていった。


(もちろん怪しいのは、私たちのほうなんだけど、ね)


 アルはそう思った。

 いま自分たちが怠っている行動は、“一般家庭の庭に不法侵入”だ。

 追っ手の人間たちもまさか、王国の騎士という品行方正の見本みたいな人間ジーナが、こんなことをするとは思わないだろう。


「どうして分かったの?」


 塀の中に入って少し安心したのか、あるいはどうしても気になったのか、ジーナはそっと小さな声で、男がいなくなることがどうしたわかったのか、アルに聞いた。アルはジーナに向かって微笑む。


「煙草だよ。あれは吸いすぎだよ」


 吸い殻の数。吸う速度。そして、あのいらだったような態度。

 おそらくサルディナの家の裏こんなところから侵入者が来るなんて、まったく思っていない場所に、あの男は見張りに立たされたのだろう。よほど腹立たしかったのか、煙草を消費する速度が異常に早かった。もし二人交代で見張りをしているのであれば、煙草が無くなった時点でもう一人を呼ぶか、買いに行かせるかするはずだ。しかし誰かを呼ぶような様子は、あの時点では全くなかった。

 手持ちの煙草が無尽蔵にある人などはいないし、男の様子からは、煙草が無くなればおそらく買いにいくだろうと、アルは予想した。もちろん人に頼むということもできただろうが、彼の強面の風体と、いらいらしたその様子から、通り過ぎる人々は、彼の周り近くには寄らないようにしていた様子だったし、そんな人たちを捕まえて買いに行かせて、もし仮に警邏官けいらかんでも呼ばれたら、たまったものではないだろう。

 煙草が無くなったら男は、自分で素早く買いに行くだろう、とアルは考えたのだ。

 そのアルの言葉に、ジーナは、なるほど、と答えた。


 そうして、アルたちは不法に侵入した塀の中、一般人の家の庭を、そろそろと進む。家の中に人がいるかどうかは分からないが、見つからないように窓があれば身をかがめて、足音を立てないように、そろりそろりと進んだ。

 サルディナの家はもう目の前だ。

 塀の向こうにサルディナの家の窓が見える。

 サルディナの家全体にかけられた魔法がアルの目には映っていた。普通の人間には、まったく見えないだろうその防御の魔法は、王都に居住する魔法使いとしては、そこまで堅固ではない。しかし、やはり家全体にかけられていたのだ。この魔法のせいで、勝手にサルディナの家に入り込むことはできないだろう。ちょうど、今アルたちが裏家に忍び込んだのと同じようには、いかないだろう。

 この塀を乗り越えれば、とりあえずサルディナの家の窓をたたくことができる。

 塀を、乗り越えれば。


(そうか、塀を乗り越えないといけない)

 

 アルは眉をしかめながら、思った。

 サルディナの家との境の塀は、思ったより高い。それを乗り越えるとなると、家の裏手とはいえ、やはりいくらなんでも見つかるかもしれない。しかも、この建物の隣は大きな窓を持つ商店、そしてその脇には人通りのある通りがあるののだ。おそらく、そこからも見張りが目を光らせているだろう。


 アルは、そう思いながらジーナを見た。ジーナは塀を登るために、民家の庭に見つけた大きな金属製の容器をそっと、足をかけていた。


「ジーナ?」

「ここまできたのよ、もう一息」

 あとは窓をたたいて、飛び込めばいいのよね、と言うジーナに苦笑する。

「飛び込むんじゃない、サルディナに応答してもらって、家に入る許可をもらわないと」

 そうアルが答えると、ジーナは容器から足を下ろした。

「許可がないといけないの、ね」

 そうして、考えるように口を閉ざす。


 ここから先は、もう塀を乗り越えるしか方法はない、とジーナは思う。

 サルディナの家の窓は、塀でほとんど見えない。わずかに見えるところからも、窓が汚いことくらいしか分からない。


(この中がどんな部屋なのか分からないし、サルディナにすぐに気づいてもらえるかどうかも、分からないわね。………でも、思いっきり窓をたたけば、サルディナに気づいてもらえるんじゃないかしら?)


 まさか家の中にサルディナがいないなんていうことはないだろう。

 だって、今日が約束の日・・・・なんですから、と思いながらジーナは、アルを見た。


「ねぇ、一か八か、塀を越えようと思うの。………ここまできたのだから、大騒ぎになっても、逆にサルディナに気づいてもらえるかも知れないじゃない」


 そう告げるジーナの言葉に、アルは目をぱちくりする。表情は読めないものの、何を馬鹿なことを、とでも思っているのかもしれない。


「でも、大騒ぎになってもサルディナが出てこなければ?」

「助けを求める人を、断ることなんてこと、魔術師はしないんでしょ?」


 先ほどアルから聞いた言葉を、アルに言い聞かせるように繰り返した。アルは、その言葉でしまった、というような表情をした。


「いや、だって、一般論だよ。魔法使いの、ね」

 サルディナはやっぱり違うかもしれない、などと続けるアルに、ジーナは背を向けて先ほどの容器に足を乗せる。そうして、言った。


「ほら、アル。行くわよ」

「えぇっ!やっぱり、無理だって。………見つかったらどうするの?」

「見つかったら、また逃げればいいじゃない」

 もう少しなのだ、もう少しでサルディナの家に着くのだ。そういう焦りの気持ちも多少、ジーナの行動を大胆にしていた。

 裏家の石塀に、そっと音を立てないように身を伏せて、ジーナは上った。そんな彼女の姿をみて、はぁぁ、と大きくため息をついて、アルもその後ろに続いた。

 そして、ジーナはアルが塀の上に身をかがめたことを確認してから、サルディナの家の窓をたたこうと、手を伸ばした。

 その瞬間。

 

「おい、あそこにいるぞっ!」


 見つかってしまった。

 なんてこと、とジーナは思った。

 やっぱり、とアルは思った。


 はっとして顔をあげたアルたちの目に映ったのは、商店の隣の通りに立つ男たちの姿だった。ばたばたと、足音がする。男たちがアルたちのあとを追って、何人もかけてくる足音がする。


「ジーナ、ほら、早く!」


 もうこうなったら、窓をたたくしかない。それでサルディナが気づけば、万々歳だ。そう思いながら、アルはジーナをせかす。あわてたように、ジーナはサルディナの家の窓を力強く、たたいた。


 その瞬間。


 恐らく、ここにいる誰もが、わからなかっただろう。

 アルは、目を見開いて、サルディナの家を見た。


 サルディナの家の堅固な魔法の壁が、消えたのだ。


 魔法が、解除されたのだ。


 まるで、炎によって溶かされてしまった氷のように、音もなく、魔法の力が消えたのだ。


 なんで?

 とアルは思った。

 突然のことに、呆然とサルディナの家を見やるが、後ろから聞こえてきた足音に、アルは急いでサルディナの家の窓をたたき割り、え?というような顔をするジーナを引っ張りサルディナの家に転がり込んだ。


 予想していなかったアルの強引な行動に、ジーナはとっさに受身を取って、急いで立ち上がった。開いた窓から男たちが入ってこようとするのをどうやって防ごうか、と構える彼女の前で、男たちは何をしているのか、なかなかサルディナの家に入り込むことができなかった。………ちょうど何かに、阻まれているように。


 アルの目には、サルディナの家の魔法の防御が復活したのが見えた。そのために当然のように続いて入り込もうとした男たちは、堅い魔法の壁に阻まれ、侵入することができなかった。男たちは矢や剣をもって窓を叩き割ろうとしているが、それも拒まれていた。


 きちんと魔法の防御が残っていることを、不思議そうにアルは見る。


 確かに、さっきは家にかけられた魔法の防御が、崩れた。

 というか、消失した。


 なぜか?


 そんな疑問を抱えて黙り込むアルに、ジーナは恐る恐る尋ねる。


「ね、ぇ、アル?さっきみたいに入ってしまって、大丈夫なの?」


 ジーナは、サルディナの家の中をこわごわと、見渡している。

 彼女の声に、アルは、ジーナをまじまじと見る。


「………そうだね」


 そう言いながら、彼女から視線が外せない。

 彼女の周りには、サルディナのかけた魔法の防御の残滓が残っている。

 彼女には見えないのだろう。しかし、きらきらと、魔法の名残が、わずかな光となって彼女を取り巻いているのだ。やがて、次第にその光は薄れていった。


 彼女だ。

 彼女のせいで、魔法が崩れたのだ。

 現に、彼女の周りには、魔法の力の残滓が残っている。

 

 もしかして。


「きみは、“ブランカ”?」



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