その4
「ごめんなさい、巻き込むつもりは全くなかったの」
そうして会話は、冒頭に戻る。
しばらく路地をあっちにこっちにと走り抜け、ようやくごろつきたちを巻いたと確信できたところで彼女は立ち止まり、申し訳なさそうに、アルに言った。
彼女の名前はジーナという。上衣にあった紋章の通り、王国軍の騎士であった。
「とても重要な仕事の最中に、ああいう人たちに絡まれてしまったの」
私の仕事が不首尾に終われば、喜ぶ人たちがいるのでね、と彼女は続ける。
「本当であれば、あなたのような一般人を巻き込むことは、あってはならないことよ」
真剣なまなざしで彼女はアルに言う。
アルは、はあ、ととぼけた口調で答える。
「けれど、あんな人通りの少ない所で、あなたがいたこと、そして私とぶつかったことは、彼らにとっては非常に疑わしいことだったのでしょうね」
今度の言葉にはアルは返事をせず、困った様な表情のまま、ジーナを見つめた。
「私の仕事は、なによりも優先される仕事なの。用事が済めば、おそらく彼らもこれ以上こちらに構うことはないと思います」
そう言ってジーナはアルに頭を下げる。
「本当に申し訳ないけれど、用事がすむまで付き合ってくれませんか」
ジーナの言葉にアルは、さらに困ったように眉を下げた。
そんな彼の表情を見て、彼女は「報酬は払うわ」と付け加えた。
ますますアルの表情は、さえなくなる。
彼にとっては、王国は長くいたい場所ではない。
早くイーディアの丘に帰りたい。ジーナの厄介事など、これ以上巻き込まれたくない、そう思うアルにしてみれば、ジーナの提案など、二つ返事で拒否したいものであった。
見ず知らずの、しかも軍人と一緒に行動することなど、言語道断だ。
そんな提案など断って、自分の勝手で行動したかった。
それに、ジーナの用事がどういったものであるのか、どれほど面倒なことなのかも、アルは分からなかった。
ただの王国の軍人が、市民の暮らす場所に用事があるという。
しかも大通りではなく、人通りの少ない路地での用事であるというのだ。
(しかも、宝玉ときた)
先ほどの男たちが言っていた「宝玉」という言葉と、朝受け取った手紙の中に記された、水晶でいっぱいの部屋がチラリと思い浮かべられる。
もちろん、その心配がアルの杞憂であれば、いいのだが。
とりあえず、アルはジーナに聞いた。
「その前に一つ質問です」
そう言うアルに、ジーナは小首をかしげる。
「ジーナ。………あなたの仕事とは、なんですか?」
アルは、無邪気に聞いた。
アルの言葉に、ジーナは言葉を詰まらせた。
どこまで話そうか考えあぐねているように、いったん開いた口を閉ざした。
そしてジーナはアルの表情をじっくり見ながら言った。
「探している人がいるの。渡さなければならないものがあるのだけれど、その人はちょうど、この人通りの少ない路地裏に住んでいるらしいの」
一般人の住まう場所の、あまり主要な通りに面していない場所に住む人物に、ジーナは、王国軍の軍人は、用があるという。
嫌な予感をびんびん感じながらも、アルはもう一度問う。
「探し人ですか、………どなたを探しているのですか?」
(もう嫌な予感しかないし。こういうものは、割と当たるんだよなぁ………)
そう思いながら、アルはジーナに聞いてみた。
アルの返答に、ジーナは少し疑わしげに彼を見た。
ジーナの視線は、まるでアルも自分の仕事を妨害する追手の一人なのではないか、というような猜疑心に満ちたものであった。
戸惑ったような、疑うようなジーナの表情に、アルはなだめるようにいっそう笑みを深めた。
「嫌だなぁ、私が知っていたら一石二鳥じゃないですか。あなたは無事に任務を終えることができ、私は生命の危機を脱することができる、ね?そうでしょう?」
そう言っても、ジーナは答えにくそうにしていた。しばらくじっとアルのことを見つめ、彼の何を見て、決心したのか口を開いた。
「サルディナという人よ」
魔術師サルディナ、そう小さく付け加える。
アルは、やはり、と内心頭を抱える。
それでも不思議に思う。
イーディアの丘の周囲のような田舎では、魔法使いは地域に土着した職業の一つであるといえる。まさかの時の頼るべき相手は、昔から魔法使いであった。
しかし、首都のような、物も知識も、教育も満たされた場所では違うのだ。
むしろ魔法使いは、恐怖の対象、畏怖の存在でしかない。人々が頼るべきは、医者であり、神官であり、指導者であった。けして魔法使いでは、もうないのだ。
魔法使い(あるいは魔術師、とも言われるが)は、人知を超えた力を使う。
それは、人々には、日常生活を当たり前のように過ごす人たちにとっては、その生活を脅かす、非常に不安な存在でしかないのだ。
そんな魔法使いを、ジーナは必要としているのだ。
王国軍の騎士が、だ。
よほどの怖いもの知らずか、後先引けぬ窮地に立たされているかのどちらかなのだろう。
ジーナはアルの少し戸惑ったような表情を見て、ぴんときたように聞いた。
「ねぇ、もしかしてあなた、知り合いなの?」
知り合いも何も‥‥‥、思わずその言葉が出そうになるのを、アルは飲み込んだ。
「いいえ、知り合いではありません」
それは真実だ。
サルディナには会ったこともない。知り合いではない。
疑わしそうに見るジーナに、アルはただし、と加える。
「知り合いではありませんが、私も彼に用があるのです」
そう答えたアルに、ジーナはさらに不審な視線を投げかける。その視線に気づき、アルは、敵意がないように、朗らかに笑いながら言った。
「疑っているのですか?」
そう言って彼はジーナに声をひそめるようにして言った。
「………実は、私はこの首都の民ではなくて、もっと北の田舎からわざわざ魔術師に用があってきたのですよ」
のっぴきならない用事なんです、そう付け加えた。
しかし、行き先が同じなのであれば、アルがサルディナの家に訪れようとすれば、もう一度あのならず者たちに絡まれる可能性が、非常に高い。
もちろんアルにとっては、魔法を使えばああいう輩をどうこうすることは、容易いことだ。
しかし、魔法の動きに非常に敏感な首都の中で、安易に魔法を使用することは、これも避けたいところだ。かといって、先ほどのジーナのように、体術で彼らを退けるような術は彼にはできない。
本当は、一緒に行動するのは嫌だと言ってしまいたい。
しかし。
「分かりました。私も、それほど時間を持っていませんので、お互い手早く仕事を終わらせましょう」
(これも早く帰るための方法だと思えば、なんてことはない)
そう心の中で思いながらも、アルはそう言ってにっこりと笑った。
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「ごめんなさい、巻き込むつもりは全くなかったの」
ジーナは、引っ張ってきた男に向かって、そう言った。彼の名前はアルという。
「とても重要な仕事の最中に、ああいう人たちに絡まれてしまったの」
私の仕事が不首尾に終われば、喜ぶ人たちがいるのでね、とジーナは続けた。
「本当であれば、あなたのような一般人を巻き込むことはあってはならないことよ」
まったく関わりのない一般人を巻き込むことなど、王国の軍人としては失格だ。たとえ、それが人通りの少ない場所であるからと言って、全く人がいないわけはないことなど、予想できたはずだ。
それなのに、ジーナはアルを巻き込んでしまったのだ。
アルは、はあ、と実感がわかないのか、ため息ともとれる言葉を返した。
「けれど、あんな人通りの少ない所で、あなたがいたこと、そして私とぶつかったことは、彼らにとっては非常に疑わしいことだったのでしょうね」
今度の言葉に、アルは返事をしなかった。困った様な表情のまま、ジーナを見つめていた。
「私の仕事は、なによりも優先される仕事なの。用事が済めば、おそらく彼らもこれ以上こちらに構うことはないと思います」
そう言ってジーナはアルに頭を下げた。
「本当に申し訳ないけれど、用事がすむまで付き合ってくれませんか」
先ほど襲撃をされたことから、彼もまた、追手の標的になってしまったことが予想される。そんな状態で一般人であるアルを放置することなど、ジーナはできなかった。彼を守らなければならないのであれば、多少足手まといになるかもしれないが、彼を同行させて、守ればいいのだ。
ジーナの言葉に、アルはさらに困ったように眉を下げた。
彼の表情に断られることを予感し、ジーナは「報酬は払うわ」と付け加えた。
ますますアルの表情は、さえなくなる。
「その前に一つ質問です」
落ち着いた口調で、彼は聞いた。
「ジーナ。………あなたの仕事とは、なんですか?」
アルの質問に、ジーナは言葉を詰まらせた。
(いったいどこまで話したほうがよいのだろうか)
ジーナは一旦口を閉ざして考えた。
ジーナが王国の軍人であることは、今の上衣の紋章からは明らかなものだし、そうであると自己紹介した。しかしジーナの抱える問題は、この国の、今の時点での最重要かつ秘められるべき問題であることを考えると、おいそれと口に出すわけにはいかない。かといって、まったくの嘘をひねり出すことなど、正直者のジーナにはできない。
(理由はともかく、今の私の行動の理由さえ話せば、いいのよね)
そしてジーナはアルの表情をうかがうようにしながら答えた。
「探している人がいるの。渡さなければならないものがあるのだけれど、その人はちょうど、この人通りの少ない路地裏に住んでいるらしいの」
「探し人ですか、………どなたを探しているのですか?」
この疑問は至極当然だ。
私であっても、こんなことに巻き込まれればそう聞くだろう。
しかし、ことがことだけに、ジーナは言い淀んだ。
ジーナが探す相手、それは魔術師だ。
田舎であればいまだに魔術師は息づいて生活している存在であり、市民の生活になくてはならないものではあるだろう。
しかし、ここ首都では、もうそうではなくなったのだ。
魔術師という職業、あるいは魔法使い自身に対する反応は、昔とは全く違って、尊敬よりも畏怖を、称賛よりも悪評をされる存在となっているのだ。
そんな相手を探していると聞けば、アルはどう思うだろうか、という不安がジーナの中にはあったのだ。
それに加えて、彼自身が、本当に敵ではないという確証がどうにも得られなかったのだ。
「嫌だなぁ、私が知っていたら一石二鳥じゃないですか。あなたは任務を終えられ、私は生命の危機を脱することができる、ね?そうでしょう?」
柔らかい笑みを浮かべながら、アルは言った。その言葉に、ジーナはもう一度口を閉ざした。そして、じっとアルの表情をうかがう。
(敵、ではないと思う。………けど、どうしても彼の雰囲気がつかめないわ)
金色の少し長めの髪に、ハシバミ色の瞳。すらりとした体躯は、それこそありふれた装いに包まれている。恰好からすれば、首都で生活している、一般人そのものだ。服装も、その容貌も。
しかし、彼から受ける印象はひどく変わったものだった。
剣士や騎士のような、己を律することを主とするような人物にも見えれば、ただの交渉にたけた商人だ、といわれてもうなずける。上品な貴族のようにも、敬虔な僧侶のようにも感じ取れる人物なのだ。
アルの表情は先ほどからほとんど変わっていない。にこにことまるで無害な人物であるかのようにジーナを見ていた。ジーナが疑いのまなざしで見ても、気を悪くしたような表情を微塵も見せなかった。
しかし、本当に、先ほどの襲撃者と関係があるのであれば、もう少し疑わしくないように演技するだろう。見るからに怪しすぎる彼が、私をだまそうとしている敵であるとするのならば、あまりにもずさんすぎる。
ジーナは決意した。
「サルディナという人よ」
魔術師サルディナ、そう小さく付け加える。
ジーナの言葉にアルは一瞬、おかしな反応を示した。
一瞬だけ目が泳いだのだ。
魔術師という言葉に、拒否や、避難あるいは嫌悪の表情を浮かべたわけではない。
そんな彼の態度に、ジーナはぴんとくる。
「ねぇ、もしかしてあなた、知り合いなの?」
今の反応は、きっとそうに違いない、と思いながらジーナはアルに聞いた。
「いいえ、知り合いではありません」
はっきりと答えるアルを、疑いのまなざしで見る。ただし、と彼は付け加えた。
「知り合いではありませんが、私も彼に用があるのです」
そう答えたアルを、ジーナは不審な目で見た。
まさか、彼も魔術師に用があるなんて、そんな偶然あるわけないわ、そう思ってしまった。
王都では、人々は、魔術師を倦厭している。
昔は敬われていた魔術師も、今ではすっかり差別の対象となっているのだ。
もちろん、人知を超えた力を持つ魔術師たちを実際は恐れていることも、その原因の一つであるともいえる。
しかし、大きな原因の一つには、徐々に市民が、近代化の影響を受けていることが要因であると思われている。
魔法などという限られた人間が使う、限られた技術よりも、自らの力で習得することができる、医術であり、機械であり、そんな知識を持って自らが行動することが、徐々に主流になってきているのだ。そういった学問が発達し、誰もが自分たちの力で、自分たちの努力で魔術師の力のほんの一部なりとも、使うことができることに、皆夢中になっているのだ。
そうして、今までの魔術師任せの行動は、徐々にすたれたものになりつつあるのだ。
そんな中、魔術師に用があるという彼の言葉を聞いて、少し疑う。
(本当に、彼はただの一般人なのだろうか?)
そんなジーナの不信の気持ちを感じ取ったのか、アルは敵意がないように笑う。
「嫌だ、疑っているのですか?……実は、私はこの首都の民ではなくて、もっと北の田舎からわざわざ魔術師に用があってきたのですよ」
のっぴきならない用事なんです、そういう彼の言葉に、偽りはないように思われる。
そして彼は、一瞬だけ目をつむり、その表情をもう一度にこやかな笑顔に転じた。
「分かりました。私も、それほど時間を持っていませんので、お互い手早く仕事を終わらせましょう」
突然のアルの表情の変わり具合に、ジーナは面喰った。
ジーナにしてみれば、普通一般人を巻き込んでしまうということは、怒声や悲鳴、泣き言を言われるのが当然だ。少なくとも、こんな落ち着いてはいられないだろう。相手はいつ襲ってくるかわからないのだから。
だが彼は、平然と笑うのだ。
よほどの大物か、事態をいまだに理解できていない(先刻襲撃されたのだから、それはどうかと思うのだが)愚か者かのどちらかだろう、とジーナはひそかに思っていた。
2/21 大幅に文章を訂正しました。




