その3
門を越えたアルは、ただちに、目立たないように、再び杖を小さくして懐にしまった。
杖などないほうがいい。
魔法使いが嫌われているこの王都で、魔法使いを表すものを持って歩くという愚かなことを、アルはしたくなかった。
そして顔を上げる。
目に映る光景に、はぁ、と大きくため息をつく。
(帰りたい。……イーディアの丘に、帰りたい)
アルの心の中を占めるのは、そんな言葉だけだった。
目の前には、建物が立ち並んでいた。そして、そこを行き交う人々の姿。
王都に入ってすぐの大通りであることもあって、人通りは多い。
その人通りの多い、大きな通りの脇には、石造りの建物が規則正しく並んでおり、店の入り口にはそれぞれの建物が何を売っているのかを示す看板が掲げられていた。あるものは派手に、あるものは控えめに、大きかったり、小さかったりする看板がいたるところにつるされ、かけられ、表示してあった。道沿いに建てられた店の中には、窓に高価な硝子がはめ込まれ、中の様子が見えるようになっているような商店もあった。
王都の商店が売り込むものは、美しい最新の様式の衣装であったり、王都でしか手に入らない宝飾品であったり、流行の書物であったり、そして鼻をくすぐる、おいしそうな匂いのするものであったりした。
おそらく王都にたどり着いたすぐのものは、さすが王都、とでもいうような派手で、賑やかな商店の数々にひかれて、一度立ち止まってしまうのだろう。旅装姿の人々も、大勢歩いていた。
ひしめき合って、というほど多くはないものの、それでもイーディアの丘から来たアルからすれば、尋常ではない人の群れのように感じられていた。
人々が笑いさざめき、買い物のために店の人と談笑したり、交渉したりする。歩きながら食べられるものを、手渡しで受け取り、うれしそうに頬張る。
アルは、そんな光景を見て、一瞬、(やっぱり引き返そうか)と思ってしまった。
こんなに人が多い場所を通るのは彼にしてみれば、試験を受けに行った時以来なのだ。
(もうすでに、イーディアの丘が懐かしく、早く帰りたい………)
そう思いながらも、アルの足は一応、止まらずに進んでいた。
手紙にあった通りの道順を、できるだけあたりを見渡すことなく、ずんずんと進んでいたのだ。
『王都の門をくぐってまっすぐ』
この通りは、門を入ってすぐの通りであり、王都にたどり着いた旅装姿の人々が多く見かけられる。今の時間帯が、おそらく一番の人通りなのだろうか。多くの店がにぎわい、人々が集まってきていた。そんな賑やかで、活気のある人々の流れの中、アルはできるだけ端のほうを、ひっそりと歩いていった。
『王立図書館が見えてきたら、それを右に』
王立図書館が見えてくれば、いったん人の数が減る。もちろん皆無、にはならない。図書館に用がある人々が、その建物に出入りしているが、その数は圧倒的に先ほどの通りの人数よりも少ない。
ほんの少しではあるが、人の通りが減ったことに、アルは若干、気持ちが楽になった。
これからおそらく魔法使いの家までは、人の数はどんどん少なくなるだろう。
なんといっても、これから会いに行くサルディナは、魔法使いが一番嫌われている王都の、魔法使いなのだから。
『そして、次に左―――』
に曲がろうとして、彼はどしん、と前から駆けてきた人物にぶつかる。
「っ、ごめんなさい!」
ぶつかってきたのは、女性だ。
長い茶色の髪を一つにくくり、すっぽりと身を包む上衣を着た女性だ。
その瞳は晴天の青だ。
大きな瞳が、アルを見上げた。
女性と目が合ったアルは、彼女の胸元に王国軍の紋章が刺繍されていることに気付いた。
王国軍の騎士。
関わり合いを持たないように、面倒くさいごたごたに巻き込まれてなるものか、と彼女ににこりと笑いかけ、無言で道を譲ろうとした。
それなのに、彼女はいきなりアルを壁に押さえつけたのだ!
「っ!」
びっくりして、アルは声が出なかった。動くこともできなかった。
彼女に押さえつけられたと同時に、アルは、壁に肩をぶつけた。
(あ、痛っ)
と、アルが思った瞬間に、目の端になにかがかすめた。
何かが、道に突き刺さったようだ。
それが何なのかと、アルは嫌な感じを持ちながら、そろそろと顔を向けた。
そしてその目に、矢が映った。
彼が立っていたところ、正確に言えば彼と彼女がぶつかったところに向けて、弓矢が飛んできていたのだ。
「ごめんなさい、そしてさようならっ!」
先ほどの女性は何の説明もなく、アルを押さえていた手を離し、風のように別の路地へと走り去っていった。
アルは、呆然と、その弓矢を見ていた。
弓矢が消えることはなかった。
(幻、では、なさそうだ)
そして、女性が逃げた方角を見やる。
その姿は、もう見えない。
少し離れたところで「二手に分かれたぞ」、そんな声がした。
彼は、まさか、と思いながら声のする方角に顔をやり、こちらに向かってくる数人の男たちの姿に、やはり、と思わず顔をしかめる。
(だめだ、そんなこと起こってはいけない。こんな事態になったら、イーディアの丘にすぐに帰れなくなる!)
………いっそ魔法を使って、目くらましをしてやろうか。
と、思いながら、アルはみるからに“ごろつき”といった風貌の男たちが、走って来るのを眺めた。
一般人相手に、攻撃的な魔法を使うのは、基本的には禁じられている。そのためにアルが今できることは、おそらく自分に魔法をかけて、彼らの眼に映らなくすることくらいだろう。
しかし、この王都でのやみくもな魔法の使用は、それこそ厄介事を巻き起こすことにしかならない。
王都を包む鉄壁の魔法の防御。
それはこの王都全体を包むものであり、その中で起こった予定外の、予定にない魔法の力を察知した場合には、王都中の魔法使いに警告が発せられると言われている。特に、大がかりな魔法を使ったものは、直ちにその異常を察知した魔法使いたちに全力を持って捕えられ、場合によってはギルドから厳格な裁きがなされるといわれている。
(それも厄介だ)
そう思いながら、アルは自分を取り囲む彼らを見た。
その数は三人。
残りの男たちは、ばたばたと足音高く、女性を追いかけて走り去っていった。
「いい加減、観念しやがれ!」
男たちは、丸腰のアルを追い詰めたことで、優位になっていると思っているようだ。盛大にすごみながら、剣を振り上げている。
「ちょ、ちょっと待ってください。いったい、何のことですか?」
アルは、とりあえず彼らに主張してみる。
男たちの勘ぐりは、まったくの勘違いだ。
さっきの女性とは、会ったこともないし、見たことも、ない。
無害を示すためにも、両手を挙げて示しながら、言ってみた。
しかし、男たちは信じない。
「ふざけるな」
「さっきの女から、宝玉を受け取っただろう!」
(宝玉?何のことだ?)
アルは思った。
しかし、その脳裏に浮かび上がる光景。
水晶。
大小、色とりどり。
赤、青、桃色、さまざまな色の、大きさの水晶
所狭しと並んだ色の洪水。
(まさか、まさか………)
そう思いながらも、はたから見るとぼんやりしているような彼に向けて、切りかかろうと男の一人が剣を振り上げた。
すると。
「ぐえっ!」
奇妙な声を上げて、その男が崩れ落ちた。
同時に、後ろから男を踏みつけて、先ほどの女性がこちらに駆け寄ってきた。
そして、アルを背中にかばうように立つ。
「ごめんなさい」
そう言う彼女の表情は見えない。
彼女はアルを背にして、男たちに対面していたのだ。
かばいだてすればますます怪しくなる、しかし何の関係もない市民を巻き込むのは、王国軍の騎士としてはおそらく、矜持に障るのだろう。
優男だけだ、と思っていた荒くれ者たちは、後ろから現れた女性に、表情が変わる。彼らは妙に憎々しげに女性を見る。
しばらく睨みあっていた両者であったが、男のうちの一人が、
「この、野郎っ」
と、言いながら飛びかかってきた。
しかし女性は、飛びかかってきた男の初太刀を、するりと避けた。
振り下ろした男の手をすんでのところで避けた、かと思うと、横ざまに男の手をとり、相手の男を投げ飛ばしつつ、剣を奪ったのだ。
「なっ!」
一瞬の出来事に、飛ばされた男は、なぜそうなったのか分からず、けり倒された男の上に重ねられるように飛ばされてしまう。
奪った剣は、彼女は遠くに投げた。
倒された男たちは、すぐさま起き上がり彼女に向かおうとする。しかし、女性はもうすでに、もう一人の剣を構えていた男に足払いをかけて、襟元も持って、その男も投げ飛ばそうとしていたところだった。
男たちが気付いた時には、避ける間もなく、投げ飛ばされた男が二人の男たちの上に飛んできたのだ。 三人の男たちは折り重なるように、崩れ落ちていった。
男たちの粗野な、荒々しい所作とは、彼女の動きはまったく違う。
洗練された、動作の少ない動き。
しかし確実に男たちを倒す彼女の姿にアルは、ぽかんと口を開けてみとれていた。
もちろん倒した三人には致命傷を与えたわけではないので、三人がもつれながらも立ち上がろうとしている。
どうするのかな、と思いながらもまるで他人事のように見ていたアルだが、その目の前にさきほどの女性が現れた。
「ごめんなさい、説明はあとでするので、今は少しついて来てくれないかしら」
大きな目で彼を覗き込みながらそう言うと、彼の手を引き、走り始めた。
思わずひかれるがままに、アルは走り始めてしまった。
一瞬その手を放してしまおうかと、アルは思ったが、彼女を追ってこちらに向かってくる男たちの声が聞こえてきたために、今だけは、と思い彼女に従った。




