あの時はお世話になりました。
翌朝、俺は馬車に乗って王都を離れた。
向かうはフェローム地方、レンヌの町にあるロイス公爵の屋敷だ。
レンヌには以前ギルドの仕事で訪れたことがあるが、ゴミゴミした王都と比べてのどかで平和な町だったのを覚えている。
あの時は確か、国境付近に出るモンスターの討伐だったかな。
それなりに苦労したような気もするが、仕事自体より仲間と過ごした思い出の方が強く心に残っている。
俺は馬車に揺られながら、当時の楽しい記憶をあれこれほじくり回していた。
ポンズの奴が飲み過ぎてレンヌの宿屋で寝ゲロをした事。
酒場でリリーナがガラの悪い冒険者にナンパされ、それをテッドが守って大喧嘩になった事。
バルバスにトランプでカモられた事。
眠っているフォックスの顔に落書きをした事。
デネブのお風呂をみんなで覗いた事。
思い出を数え上げればキリがなく、長い馬車の旅の暇つぶしになった。
落ち着いた暮らしができるようになったら、みんなに手紙でも出そしてみようかな。
「……お客さん。着きましたよ」
「ん……あぁ。ようやくか」
「ええ。ロイス公爵の屋敷で良かったんですよね」
「そうだ。……ずいぶん立派な屋敷だな」
「まぁ、こっちはイナカですからね。土地だけはいくらでも余ってるんでさぁ」
ロイス公爵の家は、王都のに住む貴族の家に引けをとらないどころか、むしろそれよりもはるかに大きかった。
家だけじゃなく、まずその敷地が広い。
玄関に向かうまでの前庭には一面のバラの花。
庭の中には小さな噴水があり、これまたずいぶんと趣味がいい。
重厚な正面玄関は巨人が行き来するのかと思うほど大きい。
そして大砲を撃ち込まれない限りは壊れそうにない、丈夫な煉瓦造りの壁面。
話によればロイス公爵とその妻カタリナ、そして娘のリュクシーヌの三人暮らしのはずなのだが……。
建物の窓の数を見れば、大家族ですか? と言いたくなるほど部屋数も多そうだ。
おそらく使用人たちも同じ棟に住んでいるのだろう。
「おたく、ロイス公爵の家で働くんですかい?」
「そうだ。今日からここの使用人ってことになってる」
「国の英雄がイナカ貴族の使用人とはねぇ……時代は変わるもんでさぁ」
「なんだ、俺を知ってたのか」
「そりゃまあね。おたく、当時はよく新聞に載ってたでしょう」
「この間も載ったぞ。冒険者ギルドでの暴行事件の顛末を一部始終書かれた」
「ははは。ま、若い時にゃ失敗もありますよ。応援してますから頑張ってください」
「ありがとよ」
御者はそう言って、馬車を急ぎ走らせ去って行った。
王都に戻る前にレンヌの町で一泊しなければならないのだろう。
なんせ今はすっかり夕時で、もう間もなく日が落ちる。
俺もぼんやりと佇んでばかりもいられない。
これまた豪華に備え付けられたドアチャイムの紐を引き、来訪を知らせた。
おそらくこの紐を引くと屋敷の中で鐘が鳴り、使用人の誰かが出てきて応対してくれると思うのだが……。
「はい」
来た。
ドアを開けて出てきたのはメイドらしき女性。
俺とそう年も変わりなく、なんなら少し年下なのかもしれない。
なかなか可愛い容姿なので、ここでメイドとして働くには美しさも大事なのかもしれないな。
「初めまして。ロイス公爵は在宅かな」
「あの、訪問のご予約は御座いますか?」
「あると思う」
「失礼ですが、お名前をお伺いしても宜しいでしょうか」
「ネロ・アーデルハイト。今日からこの屋敷で世話になる事になってるんだけど……」
「アーデルハイト……ネロ? あなた、ネロ様?」
「そのつもりだ」
少しだけ驚いた素振りを見せるメイドの少女。
その大きな瞳が一瞬まん丸になったが、すぐに平静を装った。
その様子から来客相手の対応は手慣れたものと予想する。
「あなたがこの国の救世主にして、今は無職のネロ・アーデルハイト様?」
「そうだけど」
「屋敷も財産も失い、最終的に牢に入れられたというアーデルハイト様でお間違いないですか?」
「それは何かの間違いであって欲しいが、事実だ」
なんだなんだ、このメイド。
言われたくない事をズケズケ言ってくるな(しかもなんでそんなに詳しいんだ)。
かなり可愛いわりに、口調はずっと淡々と話す。
どうもこのメイドは感情の起伏が少ないようで、とっつきにくい。
が、今の俺はその程度の事ではへこたれないぞ。
「失礼いたしました。以前見た時と少し印象が違うような気がしたものですから、本当にご本人なのかと」
「本当に本人だ。王からの書簡もある」
「お預かりします。……確かに、フォート・リア国王の親書のようですね」
「ロイス公爵につないでくれ。まずは彼に会うように言われてる」
「旦那様はお部屋におります。ネロ様のお越しを今朝からお待ちです」
「今朝から?」
「旦那様はネロ様が来るのを非常に楽しみにしておりました。レンヌ街道のモンスター討伐の時から、ネロ様の大ファンなのです」
「それってずいぶん昔の話だな」
「せわしない王都と違い、こちらは時間の流れがゆっくりです。昔の出来事も、まるで昨日のことのように語り継がれます」
「そういうものか」
「そういうものです。ネロ様は、あの時の事を覚えていませんか?」
「それほどは。苦労した記憶は嫌になって忘れちまう性質なんだ」
「そうですか。忘れてしまいましたか」
「何かまずいかな」
感情の起伏の少ないメイドがすうっと目を細めた。
それがどんな気持ちを表しているかは、俺にはよく分からなかった。
「ミアです。お久しぶりです。その節はお世話になりました」
「誰がミアで、どの節だ?」
「私がミアで、モンスター討伐の節です。あの時、私はネロ様に命を救っていただきました」
「……あ」
「旦那様がお待ちです。……では、二階へお越しください」
それ以上ミアは何も言わず、背を向けて歩き出した。
俺は慌ててその後を追った。