その9
危ないからと止める姫を手で制し、王妃は飛ぶ体勢に入った。
途端恐怖が湧き上がる。
____恐い、ものすごく恐いわ。
おそらくバック転は成功する、なぜだかは分からないけど飛ぶ前から確信が持てるのよ。
ああ、それでも怖いの。
だってそうよ、私が本当に恐れているのはケガや失敗じゃない。
白雪姫に嫌われ軽蔑される事だ。
でも、……でも、これは私の罪と罰、飛ばない訳にはいかないの……!
流れる汗を手で拭い、王妃は上げた両腕を勢いよく下ろすと同時に腰を落とした。
そして、膝をバネに思いっきり大地を蹴る。
体が宙を浮いて逆さになった視界の隅に白雪姫の驚く顔が見えた次の瞬間、ダンっと両足が大地を踏んでいた。
どうやら成功したらしい。
あっという間の事だった。
キャーキャーと飛び跳ねて喜ぶ姫にがっしりとホールドされた王妃は、一瞬姫を抱き締めてから、そっと体を離し、震える声で自身の重ねた罪を告白した。
すべてを聞いた白雪姫は、
「お継母様……話してくれてありがとう。……だけど、私それ知ってたよ。あのね、お継母様の作った最強の解毒剤、元々は毒薬をベースに改良したものだって聞いた時から、普通の王妃であるお継母様がどうしてそんなもの作れるのかって疑問に思って……色々と調べちゃったんだ。毒薬……変装……物売りのお婆さん……調べれば調べるほど、もしかしてって思って……それで、ごめん、」
そこで言葉を切った白雪姫は、数瞬の沈黙の後、気まづそうに眉を寄せると続きを話した。
「本当にごめんなさい、……私、森小屋からお城に帰って、お継母様がいない時に勝手に部屋に入ったの。そしたらね……魔法の鏡さんが私に話しかけてきて、真実を教えてあげるって……その時にすべてを知ったんだ。すごくショックだった。間違いであってほしいと思った。私を襲った暗殺者がお継母様だったなんて……」
震える声の姫の話を聞きながら、王妃は硬く目を閉じて自分の罪を後悔し続けていた。
不思議な事に、勝手に話した魔法の鏡を責める気にはならなかった。
鏡は何度も言っていた、『二位でも良いじゃありませんか』と。
それを聞かなかったのは他の誰でもない、王妃自身であると痛いくらいの自覚があった。
「あの時はすごく悲しくてめちゃくちゃに泣いたんだ。そしたらね、鏡さんにこう言われたの。『卑怯で嫉妬深くてイヤな奴だったんですよ、王妃様は。でも、あなたに命を救われてから変わりました。ですからどうかお願いです。これからの王妃を見てやってくれませんか?』って」
王妃は心で毒づいた。
____鏡のヤツ、そんな事があったなんて一言も言わなかったのに、
と同時、鏡の言葉にどうしようもなく泣きたくなった。
「最初は正直わだかまりもあったよ。だけど思ったの、昔と今は違うって。昔、私達がお城で暮らしてた頃、ほとんど話もしなかった。お互い何を考えてるか分からなかった。でも今は? 今の私達は一緒にバック転の練習したり、ご飯を食べたり、お喋りしたりするじゃない。一緒にいると楽しいじゃない。そりゃあ、たまにはケンカもするけど嫌いにはならない。それってお継母様も同じでしょ? だから、過去は過去だって思う事にしたの。それに……もし、今でも悪い人なら、こんなに辛そうな顔はしないと思うし、そもそもずっと内緒にしたと思うんだ。それをわざわざ私に話して謝ってくれた……だから私、今とこれからのお継母様を信じる。大好きなお母さんを信じるよ」
どう考えたって王妃が悪い。
それなのに白雪姫は、すべてを分かった上で王妃を許してくれていた。
とは言え、……まだほんの少女である白雪姫がその真実を知った時、どれほど傷ついた事だろう。
____なんて娘だ……愚かな私には勿体ないくらいの優しい娘、
王妃は涙をボタボタ落とし「ごめんなさい」と何度も謝り白雪姫に縋りつく。
姫と出会ってから十数年。
王妃はこの日初めて、白雪姫の良い母親になりたいと、強く、強く願ったのだった。
◆
「次の方、スタンバイしてください!」
ダンスコンテスト係員の呼びかけに、我に返った王妃がゆっくりと顔を上げた。
いよいよかとステージ横から観客席を覗いてみると、愛しい娘と友人達が見てとれた。
それと大きな横断幕も。
「お、横断幕!? ん? 待って、なにか書いてあるわ……なになに? ”お母さん頑張って!” ……って、ちょっとやだ! 恥ずかしじゃなぁい! ああもう、あの子達は……! もう、もう……だけど……ふふふ、気持ちが嬉しいからいっか。みんな、ありがとね」
独り言ちで幸せ気分。
そうこうしてると娘と選んだ音楽が大音量で流れ出す。
出番だ!
しょっぱなからアクロバティック、バック転の連続技でステージに踊り出た。
耳に響くは割れんばかりの大歓声と、それに負けない白雪姫の雄叫びだ。
「お母さぁぁぁぁん!! 楽しんでぇぇぇぇぇ!」
野太い声に笑った王妃は力が抜けて、心と身体が羽のように軽くなる。
王妃は白雪姫と……いや、平凡で未熟な母は、可愛い娘と共に励んだ練習成果をこのステージで表現しようと高く飛ぶ。
優勝するとかしないとか、そんなのは些末な事で一位も二位も順位なんかに興味はない。
ただ今は、愛する娘と大事な友と一緒に笑って楽しむのだ。
さぁ、飛んで跳ねてステップ踏んで、バック転は得意技。
一つ一つの動きのすべてに娘の笑顔と思い出が詰まっている。
____ああ、なんて楽しい!
____なんて私は幸せだろう!
……
…………
………………
踊る王妃の赤いシューズにスポットライトが反射して、スパンコールの綺麗な飾りがキラキラと輝きだした。
ターンを決めてクルクル回れば光は繋がり線となり、王妃が踊れば踊るほど足元には光の尾っぽが絡みつく。
光りの残像、それがいくつも重なり合って煌めくさまは、まるで真っ赤に燃える炎のように見えたのだった。
了
読んでくださりありがとうございました (*´人`*)
この後はもう1つお話が続きます。
少し休んでから更新する予定なので、もしよろしければお付き合いいただけると嬉しいです。