2-13.旅の終わり
ハンドルをぐるぐる回すと、歯車と滑車が連動して昇降台が上がる。
工房中から歓声が上がった。
「リモナ! これすごいですよ! かなり安定感あります!」上からエンリコが叫ぶ。
「本当? やったね」リモナは近くにいたエンリコの親方を見る。「ねえ、試しにハンドル回してみてよ」
「こ、こうか?」親方は恐る恐るハンドルを握った。「お、か、軽い。こんな軽くて大丈夫か?」
「大丈夫! オイル塗ってあるし、歯車がちゃんと噛み合ってるからだし」リモナは満足げに鼻を揺らした。「しかも、ここで固定すればちゃんと止まるよ」止め具を親方に説明する。
「こうか?」
親方は恐る恐るハンドルから手を離す。
昇降台は上に止まったままだ。
「エンリコ! ちょっと飛んでみてよ!」リモナはエンリコに向かって叫ぶ。
「えええ……やですよ、怖い……」
「もう、落ちてもアズがいるから大丈夫だって」リモナは両手を腰に当てた。
「いや、なら俺がいなかったら成立しないだろ、このからくり」アズラクは工房の端で眺めながらつっこんだ。
ハンドルを逆に回すと昇降台が下がり、エンリコが地上に降りた。エンリコはリモナに頭を下げた。
「リモナ、本当にありがとうございます。アズラクさんも」
アズラクは片手を上げた。出来た部品は、アズラクの風であっという間に組み上がった。人間任せでは重くて時間がかかり、完成が引き延ばされるからな。
「ヴェントーリ卿もありがとうございます」親方も頭を下げた。
「いや、こんなの安い投資だ。良いものを見させてもらった」ヴェントーリ卿は、感動冷めやらぬ目で昇降滑車を見上げた。
「完成品を見ると、ますますリモナの才能が惜しいよ」ルカは目を輝かせて首を振った。「あぁ、リモナが沢山いてくれたら……」
「えへへ、えへへ」リモナは得意げに鼻を揺らしながらも、首を揺らして照れた。
「あんなのいっぱいいたら、人類終わるんじゃないか?」アズラクの隣でラシードがぼそっと言う。
「いや、でもリモナがいっぱいいたら、退屈しなそうだけどな」
アズラクは昇降滑車をまじまじと眺めた。想像もつかないような魔法を沢山生み出すだろう。
その分、オレンジが必要になるだろうけどな。
「アズラク。僕はお前に失望したよ」ラシードは鋭い目を寄越した。
「何で?」
アズラクは親友を見た。
ラシードの冷めきった様子には気付いていた。だが、ずっと閉じ込められていたせいなのと、リモナを見た困惑と落胆によるものだと思って、深く考えなかった。
ラシードは眉を顰めて鼻に皺を寄せた。
「僕達は主人を選べない。従う必要がある。だからどんな命令にも従い使われてきた。あらゆる欲も汚い人間も見てきた」
「……そうだな」そしてランプと指輪を奪い合う醜い争いも。
「新しい主人が現れるのは仕方ない。そういうものだ。だがアズラク、お前いったいどうしたんだ?」
「何が?」
「あんな何の力も持たない小娘に骨抜きになっている。オレンジとからくり如きに絆されて。どうかしている」
ラシードは忌々しそうに顔を歪めた。昇降滑車の前で浮かれるリモナと人間たちを、軽蔑の眼差しで眺めている。
アズラクは息をついた。
「俺は、そんな風に考えるお前に失望したよ」
ラシードが困惑の目をこちらに向ける。
「むしろ俺は、お前もリモナを気に入ると思ったんだがな」
アズラクはそう言って、昇降滑車の方へ向かった。
親友の背中を、ラシードは不可解そうに眺めた。
「リモナ、僕絶対にミラージャに行きますね!」エンリコはリモナの手を両手で握りしめた。
「うん。エンリコの絵、楽しみにしてる!」
「リモナ、アズラク殿の親友が戻ったなら、しばらく滞在出来るよね?」今度はルカがリモナの手を両手で握りしめた。「なんならずっといてほしいくらいだよ」
「うん、まぁ」ルカたちとからくり談義するのは楽しいけれど。
「リモナ」アズラクが野次馬の中を割って入った。「疲れたんじゃないか?」
リモナは言うほど疲れてはいなかったが、アズラクを見ると、うちに帰ってきたような安心感を覚えた。
そういえばミラージャを出てから随分経ったな。
「ルカ、興奮するのは分かるが、リモナも今日帰ってきたばかりなのだから」ヴェントーリ卿が諌める。
「そうですね、すまないリモナ」ルカはしゅんとする。
「ううん、大丈夫」リモナは首を振った。「でも昇降滑車も出来たし、ラシードも来たし、そろそろミラージャに帰ろうと思うんだけど」リモナはアズラクを見上げた。
アズラクは頭を傾けてフッと笑った。「うん、良いんじゃないか?」
ルカがあからさまに動揺した。「いや、待って。それはいくらなんでも急過ぎる。せめて今晩は晩餐食べて泊まっていって」
リモナは大きく笑った。
その日のヴェントーリ邸の晩餐会では、リモナとアズラクのイルサーム冒険譚で盛り上がった。リモナがひっきりなしに喋り、ヴェントーリ卿とルカが驚き、怒り、大笑いした。
大袈裟だなと呆れるアズラクの横で、ラシードは終始理解不能な目でそれらを眺めていた。
「ふぅー食った食った!」
晩餐が終わると、リモナはベッドにごろんと横になった。昨日の砂ベッドも悪くなかったけど、やっぱりベッドは今のところヴェントーリ邸のが一番だった。
色々あった旅だったな。
リモナはベッドに寝転んでふふっと笑った。
あれ、そういえば今日の晩餐会にチェザーレ夫妻がいなかった。彼らも別のところに旅立ったのかな?
「まあいいや。オレンジ、オレンジ」
リモナはベッドから起きて、テーブルの方へ向かった。ヒヒにもらった果物が床に転がっている。
これ、どうしよう……。
流石に今はオレンジ以外入らない。
ふと顔を上げ、リモナは目を丸くした。
「あれ、こんなのあったっけ?」
テーブルの上に、オレンジの形のクリスタルランタンが置いてあった。いつか路地で見たやつとそっくりだった。
リモナはランタンを手に取ってみた。中に青色の蝋が溶けている。
オレンジと青。
リモナは情報屋よろしく手に顎を当てて考えてみた。でもよくわからないから、指輪をこすってみた。
「なんだ?」アズラクが窓枠に現れた。
「あれ、なんか回を重ねるごとに登場地味になってない?」リモナは眉をひそめた。
「知らねえよ。なんか時々で違うんだろ」アズラクは肩をすくめた。「で、どうした?」
「これ、知ってる?」リモナはオレンジ型のクリスタルランタンを持ち上げた。
アズラクは目を丸くすると、気まずそうに目を逸らした。浅黒い肌が、更に黒く見える。リモナの部屋の風が、やけに上下左右にぐるぐるした。
「え、知ってるの? 知らないの?」
リモナはアズラクに近寄って顔を覗き込んだ。
すると、ぐいーと部屋の内側に戻された。
アズラクが咳払いする。
「……前にそれ見たとき、物欲しそうにしてたから」アズラクはもごもごしながら言う。
「うん?」
そんな目してたかな。
可愛いなとは思ってたけれど。
そこまで考えて、リモナは顔を上げた。
「アズが買ってくれたの?」
アズラクはベッドの方を向いて言う。「……まぁ」
リモナはオレンジ型のクリスタルランタンに目を落とした。
オレンジに青色の蝋燭。
ゾクゾクとちくちくとふわふわが、身体の奥で広がった。
「へへへ、へへへ」
アズラクは顔を顰めてリモナを見た。
リモナはほっぺたをオレンジ色に輝かせて、にこにこ笑っていた。
アズラクはそのほっぺをつつく。
「嬉しい、アズ。ありがとう」リモナは身体を横に傾けた。
「うん、どういたしまして」アズラクは息をついた。
「せっかくだから蝋燭付けよ」リモナはテーブルの上にランタンを置いた。一緒に置いてあった青い花の蝋燭を手に取る。「きれいな蝋燭。これが溶けてこうなったのか」リモナはランタンの中で溶けた蝋を眺めた。
横からアズラクがリモナの手を止めた。「その蝋燭はちょっと——」
「うん? だめ?」リモナは首を傾げた。「オレンジに青、映えるよ」
「だが……」
アズラクは眉を顰めて、リモナとランタンを交互に見た。
アズラクの直感が正しければ、この蝋燭が今回のイルサーム行きの元凶だった気がするんだが。
しかしチェザーレは夫妻共々追いやったし、人攫いの男もイルサームの密林で消えたし、ラシードもいるし、大丈夫か?
「ちょっとなら……」
「じゃあちょっとね」
蝋燭にちょっとの意味が分からないけれど。
リモナは青い花の蝋燭に火をつけ、ランタンに入れた。
オレンジの皮に包まれる青い光。
とても良い香りがした。
「神秘的できれいだね」リモナはソファに座って、アズラクに寄りかかった。
「気に入ったか?」
「うん、気に入った」
アズラクと旅に出てきてから色々あったな。
毛皮作ったり織機直したり、エンリコやルカたちに会って、イルサームを旅して、ラシードに会って。
パパが聞くと驚きそうだな。
ぺぺはどうしてるかな。
リモナはふふっと笑った。
「アズ」
「ん?」アズラクは息の抜ける声で返事をする。
「また二人で出掛けようね」
「そうだな」
リモナとアズラクはうとうとしながら、ソファの上で手を握った。
***
間抜けな顔で寝る二人を、ラシードは不可解な目で眺めた。部屋に漂う魅惑の香を、手で握りしめて匂いを消す。
まったく、こんなものを油断もせずに使うとは、アズラクは本当に落ちぶれた。昔はもっと人間不信で、その汚さを飄々と受け流していたのに。
ラシードは涎を垂らして眠る新しい主人を見下ろした。
特別器量がいいわけでも、男を誑かす技量があるわけでもない。策略を巡らす頭も無さそうだ。ただからくり作って食って寝るだけの、原始的な側の人間だ。
いったいこんなののどこに、そんな風に腑抜ける要素があるんだ?
ソファの上でリモナの手を握るアズラクに、ラシードは幻滅した。
仕えるのと心を奪われるのは全く違う。
「お前、騙されてるよ」
だが仕方ない。
アズラクは魔神といえども風しか操れない。
だから僕が代わりに化けの皮を剥がしてやる。




