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百合ショートストーリー集 ~百合好きなのでさまざまなジャンル・シチュエーションの百合を描いていきます~  作者: 霧崎薫


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第793編「永遠の眠りに口づけを」(この手で触れる最後の瞬間——敬意とともに解き明かす、命の記憶)

 手術灯の白い光が、静かな解剖室に降り注いでいた。無影灯の下、ステンレス製の解剖台の上には、シーツに覆われた一つの遺体が横たわっている。


 白衣をまとった二人の女性が、その前に立っていた。


「今日の献体は、87歳の女性。死因は心不全。ご遺族の意向により、解剖後の臓器はすべて適切に処理し、再びご遺体とともに埋葬されることになっているわ」


 淡々とした口調でカルテを読み上げたのは、法医学者の桐谷きりたに 玲奈れな。細身のフレームのメガネをかけ、黒髪をすっきりと束ねた彼女は、いつも冷静沈着だった。


 その隣で、もう一人の女性が静かに頷く。


「わかりました。まずは表面所見からですね」


 そう言ったのは、法医学研究員の藤咲ふじさき 透子とうこ。柔らかな栗色の髪を後ろでひとつに結び、手袋をはめた手を慎重に動かす。


 玲奈は小さく微笑んだ。


「透子、今日はあなたが主導して」


 透子は驚いたように目を瞬かせた。


「いいんですか?」


「ええ。あなたの技術は信頼してるもの」


 透子は静かに頷き、深呼吸をしてから遺体のシーツをめくった。


###


「まずは皮膚の状態を確認します」


 透子は遺体の腕を優しく持ち上げ、その皮膚の質感を確かめる。


「加齢による萎縮が見られますが、大きな損傷や褥瘡はありませんね。ご家族がよくお世話されていたのでしょう」


「ええ。爪の清潔さからも、それがわかる」


 二人は静かに手を動かしながら、献体者への敬意を忘れない。


「じゃあ、切開に入るわね」


 透子はメスを手に取り、ゆっくりと胸部に切り込みを入れる。皮膚、皮下組織、そして筋膜を順番に剥離していく。


 玲奈がそっと声をかける。


「臓器を傷つけないように、肋骨の上を滑らせるように」


「……はい」


 透子は慎重に、胸郭の中心を切り進める。すると、肋骨の下から心臓が現れた。


「心臓、取り出しますね」


 彼女は鋏を使い、慎重に大動脈と静脈を切断し、心臓を解剖台のトレイに移した。


「心筋の肥厚がある……これが心不全の直接の原因でしょうね」


 玲奈が心臓を手に取り、表面を丹念に観察する。


「長年の負荷が蓄積した結果でしょう。けれど、見事なほど整った組織。……この方は、最後まで強く生きられたのね」


 透子はその言葉に頷き、次に肺へと手を伸ばした。


「肺も取り出します。……あ、軽度の線維化があります」


「加齢性のものね。生活に大きな影響はなかったと思う」


 玲奈は透子の手際の良さに満足げな表情を浮かべる。


「透子、素晴らしいわ。あなたの解剖は、まるで芸術ね」


 透子は恥ずかしそうに笑う。


「玲奈さんにそう言われると、なんだかくすぐったいです」


「でも、私は本気よ」


 玲奈は透子の指先にそっと触れた。手袋越しでも、玲奈の体温が伝わる。


「解剖をするたびに思うの。人の体は、こんなにも美しく、こんなにも脆い」


 透子は玲奈の言葉をかみしめるように、静かに遺体を見つめた。


「……玲奈さん、私、この方に感謝したい」


 透子はそっと目を閉じ、静かに言葉を紡いだ。


「あなたが献体してくださったことで、私たちは学ぶことができます。この知識を、次の命へとつなげます。本当に、ありがとうございました」


 玲奈も透子の言葉に続いた。


「私たちは、あなたの生きた証を尊重し、誠意をもってこの仕事を全うします。安らかにお休みください」


 二人は深く頭を下げた。


###


 すべての解剖が終わり、遺体は綺麗に縫合された。傷跡が最小限になるよう、細い糸で丁寧に縫い合わせる。


 玲奈が最後のひと針を締め、そっと言った。


「これで、あなたの体は元通りね」


 透子は小さな花を一輪、遺体のそばに添えた。


「ありがとう。そして、おやすみなさい」


 解剖台の上の遺体は、静かに眠っているように見えた。


###


 解剖室を出ると、夜の冷たい空気が二人を包み込んだ。


「……疲れた?」


 玲奈が尋ねると、透子は首を横に振った。


「ううん。でも、なんだか……胸がいっぱい」


 玲奈は優しく微笑み、透子の肩をそっと抱き寄せた。


「それはね、あなたが真摯に向き合った証よ」


 透子は玲奈の肩にもたれながら、静かに目を閉じた。


「玲奈さん……ずっと、一緒に解剖してくれますか?」


 玲奈は少しだけ驚いたように目を瞬かせ、それから優しく透子の髪を撫でた。


「ええ。あなたが望む限り、ずっと」


 透子は玲奈を見上げ、そっと囁いた。


「……ありがとう」


 次の瞬間、ふたりの唇が静かに重なった。


 それはまるで、生命の神秘に触れた後の、深い余韻のようだった。


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