老いた俳優
俳優たちが劇場入りを始める時間、その時間にいつにない緊張感が漂っていた。
無論本番前の俳優が緊張しないわけがないのだが、今日に限って種類の違う緊張感が漂っていた。
原因は一つ、劇場の前に待ち構えていたのが警察官たちだったからだ。
警察官たちの何かを探るような視線は、たとえ何もやましいことがなくても、居心地の悪さを感じさせずにはおかない。
警察官たちは一様に鍛えられたいかにも頑健そうな身体つきと、いかつい顔立ちをしていた。そばに近寄ろうとするだけで威圧感に負けそうになるのだ。
「こんなことはいずれ起きることさ」
そう冗談めかした口調で一人の老いた俳優が、悠然と警察官に近寄って行った。
「何がお目当ては薄々察しておりますがね、おそらくアリアン・テッドのことでしょうな」
そして優雅に一礼する。
「それではお話を伺いましょうか?」
品の良い笑みを浮かべた彼はそう言って、警察官に笑いかけた。
彼を担当したのは、中堅どころと思われる恰幅のいい警察官だった。
「貴方は落ち着いていますな」
いかにもおどおどと警察官を見ている若手俳優と違って彼は悠然と構えている。
「いやいや、私とて最初は彼らと同じようなものでしたよ、二度目ともなればね」
悪戯っぽく片目をつむってみせる。
「二度目といいますと」
「歳月とは酷いものですな、知らぬものなしといわれた伝説の歌姫の名も今は色褪せた。わざわざ言わねば、誰も彼女の名など思い出さなくなって久しい。イレーヌ・マデア、私にとっては忘れられぬ名ですよ」
警察官にとっては耳慣れぬ名だった。
その時点で、未成年で、親の同伴なしで劇場などに入れなかったので、その名前も聞いたことがあるような気がするどまりだった。
「あの時はこれよりもっと大騒ぎでしたねえ」
かつてを懐かしむような目で虚空を見る。
「あの、それはともかくですね」
はるか昔に終わった事件よりも、最近起こった事件だ。
「アリアンですか、まったく惜しい女優を亡くしたものですね」
再びその俳優は視線を宙にさまよわせる。
「まさかマルテネスと同一人物だったとは、マルテネスは、あの容姿ですからね、結構キャラを作ることが多かった。わざと大仰なことをやっているような感じだったかな、案外アリアンのほうが彼女の演技の本質に近かったのかもしれない」
女優としてのアリアン・テッドに対する批評はあまり事件とは関係がないような気がする。しかしあえてそれを押し殺して話を聞き続けた。
「そう言えば、あの顔を作ったのは闇夜鷹だそうですね。いや、いい仕事をしている。先代と比べてやや見劣りするという噂ですが、実力は確かなようですね」
闇夜鷹の名前は、一般人はあまり縁がない。呪具屋という仕事は、公務員になっている以外は、法外な報酬を要求する。あまり一般的でない人を相手に商売をしているという印象だ。
「呪具屋ですか」
「偉大な先代がいると、二代目以降は苦労するものなのですね、二代目も十分すぎるほど、優秀な呪具屋と思えるのですが」
「それはわかるような」
「ですが先代は動きが派手だった。ああ、でもそう言えば、マルテネスとイレーヌ、演技と歌の差はあれ、立場は同じだったな」
昔を思い出すように、老俳優は目を細めた。