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初めて家を出ますわね

 キマイラは学院の寮に入るため、家を出る準備をしていた。

 自室の床に座り込んだ彼女は、大きなトランク一つに必要な荷物を無理矢理詰め込んでいる。

 今にも破裂しそうなトランクの蓋を何とか閉めると、深く溜息をついた。

「はあ・・・。」

 今朝方、イエリエリ家に一通の手紙が届いた。

 真っ白な封筒に花の模様を描いた蝋が押され、送り主はマドマリ・クロノスの名が走り書きされている。

 クロノス中等学院。

 貴族の子息や令嬢たちが十二歳を迎えた春に入学を許される、三年制の私立学園。

 現在、社交界に名を馳せる大半の貴族たちはこのクロノス中等学院の出身であり、王族の血縁者たちが多く通っている名門校だ。

 さらに、クロノス中等学院は優秀な成績を収めた者に王立ハインリヒ高等学園への入学を許可する権利を持っている。

 王立ハインリヒ高等学園とは、その名の通り国王が直々に建設した正真正銘の名門校だ。

 世に出た英雄や賢者と呼ばれる類の人々は大半がこの学園の卒業生であるとされている。

 貴族の中から優秀な人材を育成するだけでなく、王直属騎士の育成、王城使用人の教育まで幅広く行う、エリート中のエリートだけが入学を許された場所。

 そして、まさしくその場所こそが、キマイラ・イエリエリがゲームの主人公チーズに悪逆の限りを尽くし、最悪のバッドエンドを迎える舞台。

 もしも、キマイラがクロノス中等学院で優秀な成績を収めたことが認められれば、彼女は強制的にこの学園に入学することになる。

 そうなれば、キマイラの未来は文字通り真っ暗になるのだ。

 持っていけそうな服や靴だけをジーニーに選んでもらい、準備をしていた彼女からはここ一時間で二十二回ほど溜息が零れている。

 それはことの深刻さを告げようとしているような深く、長い物ばかりだ。

「はああー。」

 再び溜息をつき終わったキマイラは頭を下げて俯き、暫く何も喋らなかった。

 部屋に沈黙が立ち込める。

「ふふ、ふふふふ・・・。」

 昼間にも拘らず、不気味な笑い声がキマイラの口から零れたかと思うと彼女は大手を振って、顔を上げた。

「しかし、何一つ問題ありませんわ!!だって私、全くお勉強できませんもの!!」

 背後にはまさにドドーンと言う文字が浮かんでいたことだろう。

 そう、キマイラは馬鹿なのである。

 長年の我が儘生活により、両親が雇っていた家庭教師の言うことなどまるで聞くはずがなく。

 適当な礼儀や最低限の知識だけを詰め込んで早十二年!!

 幼い頃から爵位を継ぐべく、熱心に勉学してきた子息令嬢の足元にも及ばない成績を出し続けてきたキマイラは恥じつつけた自身の過去に初めて訳の解らない自信を持った。

「この低知能な頭では王立ハインリヒ学園になんて入学できるはずがありませんでしょう!おほほほほほほー!!何故この手を早く思いつかなかったのかしら?これでわたくしの将来は安泰ですわあ!!」

「先程から何をため息ばかりついて、さらには高笑いしてらっしゃるんです?」

「ぎゃあ!?」

 令嬢とは思えないキマイラの悲鳴と共に背後に現れたのはジーニーだった。

 座り込んでいるキマイラの視線に合わせてしゃがみ込んでいる彼女はいつものような無表情で彼女の顔を覗き込んだ。

「ぎゃあとはまた奇妙な悲鳴でございますね?お嬢様。」

「ジーニー!いるならいるって言ってくださいな!!ビックリしたではありませんの!」

「今、入ってきたところでございます!!」

「ノックくらいしなさいな!」

「ドアは全開に開かれておりましたが?」

「え!?」

「お嬢様が開けたままになさったんでしょう?それなのに、ノックしたくても出来なかったこの私をお嬢様は責めるんでございますか?」

「そ、それはあ、」

「うう、」

「ええ!?泣いてるんですの!?」

 立ち上がったジーニーはキマイラに背を向けて涙を拭うようにエプロンで目元を覆った。

「私はお嬢様が開け放っていたドアをわざわざ一度閉めてからノックすると言う知恵すらない、浅はかな侍女。ああ、今回のことは全て悪いのはこのジー、」

「わ、私が悪かったですわ、ごめんなさい!!だから、泣かないで、」

「さあ、お嬢様がご自分の非を認められたところで外に馬車が待っております。早速参りましょう。」

「嘘泣き!?卑怯ですわ!」

「何を仰います。元々悪いのはお嬢様ですよ?ドア、開けっ放しにしたんですから。」

「ぐ・・・それはそうですけど、」

「いつも言っているではありませんか。ドアを開けたままにしていたら、このお屋敷でかつて亡くなった執事長の幽霊があ、」

「さあ!早く行きますわよジーニー!!馬車を待たせてはいけませんわ!!」

 行き成り立ち上がったキマイラは折角詰めたトランクも置き去りに部屋から飛び出して行った。

 取り残されたジーニーがその後ろ姿を見ている。

 置いてけぼりにされた鞄をキマイラの代わりに持ち上げたジーニーがクスリと笑う。

「ただの作り話にございますのに。この話だけは昔からお嫌いですね、ふふ。」

 ジーニーは、キマイラが幼い頃からこういう話を作っては、言うことを聞かない我が儘なキマイラ嬢に聞かせていた。

 どこをどう聞いても在りえない話なのにその話に驚いて、珍しいくらい言うことを聞く彼女が面白くて仕方なかった。

 部屋を出る際、ジーニーはもう一度中を一瞥して小さく微笑んだ。

「夏のお休みには帰ってきてくださいね?お嬢様。」

 イエリエリ家につかえて十数年。

 キマイラが何か月も家からいなくなるのはこれが初めてだった。



 馬車の前では両親は勿論、屋敷中の侍従たちが見送りに来てくれていた。

 執事に侍女、庭師にコックまでもが仕事を放り出して彼女の学院入学に喜びの言葉を述べる。

「お嬢様、向こうでは布団をしっかりと被って寝てくださいましね!お腹出して寝たらダメでございますよ?せめて一ヶ月は頑張ってきてくださいましね?」

「あといくらい学院の寮とは言え、戸締りはきちんとなさってください。爺との約束ですぞ。せめて二十日。継続は力になりますぞ!」

「お嬢、花を育てる時は一日朝と夜に一回ずつ、少しの水で良いからな?大量にやるとまた枯らしちまうぞ!十五日くらいは頑張れ!」

「向こうの料理がマズかったら自分でちゃんと調節しなよ?僕秘伝の調味料の作り方はクルコの実をすり潰した物にキャン蝶の蜜を二滴、そこに、」

「今!?今言うんですの!?ちょ、ちょっと待ってくださいな!今、メモを」

「さらにそれを火で炙って、」

「人の話聞いてませんわね!?」

「あはは、冗談!レシピは鞄の中だ。しっかりやるんだよ。十日は何とかなるだろ?」

「ああ、キマイラ!可愛い可愛い娘!三日で帰ってきては駄目よ?せめて一週間は頑張りなさいね?ママと約束できる?」

「何を言っているんだ愛しい妻よ!!五日頑張れれば十分だ!!キマイラ!五日だ!五日は頑張れ!!」

「三・年・間!!頑張って参りますわ!!」

 キマイラが宣言すると全員から「おおー!!」と感嘆の声と拍手喝采が上がった。

 中には涙ぐむ者もあり、膨れたキマイラはそのまま馬車に乗り込んでしまった。

「もういいですわ!!私、絶対に無事卒業して皆をぎゃふんと言わせて見せますわ!!」

「お嬢様。」

 キマイラが椅子に座るとトランクを持って遅れてきたジーニーが彼女を呼んだ。

 重たそうに両手で荷物を持ったジーニーはキマイラの前の席にトランクを乗せると直ぐに馬車を降りて彼女に言った。

「折角詰め込んだ荷物を忘れてどうするんですか?」

「ああ、そうでしたわ!ごめんなさい、ジーニー。ありがとう。」

「お嬢様。」

「なあに?」

「応援しております。」

 そう言ってジーニーは微笑んだ。

 長年付き合った来たキマイラでも何度かしか見たことのないジーニーの笑った表情。

 一瞬、驚いたキマイラは直ぐに笑い返した。

「ええ、貴方の期待を裏切らないよう、しっかりやるつもりですわ。」

 簡単に握手を交わした。

 馬車のドアが閉まると馬は直ぐに走り出す。

 窓の外に目を向けたキマイラは初めて家を離れる感覚に少しの不安と寂しさと、わくわくを感じた。

  

 本当は三年間、寮でしっかり生活するつもりでしたけど・・・。


 夏の長期休み位は帰っていいかもしれないとキマイラは思った。

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