第三十九話 スキレット(後半)
午前十時。私は旦那様の執務室の前で、決意していた。で、できる。この方法なら、旦那様とキスできるはず。イ、イケるわ! この方法で私は旦那様との三回目のキスをして見せる! と左手に紅茶セットを載せた私は、右手でドアをノックした。
すると中から「はい」と返事があったので、私はドアを開けて中に入った。そして旦那様に、声をかけた。
「旦那様。午前十時です。なのでお茶でも飲んで、休憩しませんか?」
「はい、そうですね。うーん……」
と旦那様は背伸びをしてから、こちらにきてソファに座った。おや。今日の旦那様は、いつもよりお疲れのようだ。そう思いながらも私もソファに座って旦那様と向き合い、二つの白いカップに紅茶を注いだ。そしてそのうちの一つを、旦那様に勧めた。
「どうぞ、旦那様」
「はい、いただきます……」
と旦那様は、早速紅茶を一口飲んだ。なので私も紅茶を一口飲みながら、チラリと旦那様を観察した。するとやはり旦那様は、いつもと違って少し疲れた表情をしている。うーん、どうしたんだろう? 気になった私は、旦那様に聞いてみた。
「あの。どうなさいましたか、旦那様? なんだか少し、お疲れのようですが?」
「え? えーと、そうですねえ。ちょっと、疲れているのかも知れません……」
いやいやいやいや。疲れてますよ、旦那様は完全にお疲れですよ! なので旦那様が少し心配になった私は、更に聞いてみた。
「何をそんなに、お疲れでしょうか? よかったら、私に話してみてくれませんか? もしかしたら、旦那様のお力になれるかも知れないので!」
すると「そうですね……」と呟いた旦那様は、話し出した。
「実は例の、機械で工業製品を安く作る企業に投資をして応援することなんです。以前もお話ししましたが、今この王国の工業製品は売れなくなってきました。人件費が高くなり、工業製品の値段も高くなったので。それで人件費も安く、値段も安い他国の工業製品が買われるようになったので」
そこまで話した旦那様は、紅茶を一口飲んで一息ついて話を続けた。
「そこで私はレコアさんのアイディアを取り入れて、この王国の文化や芸術や観光地や農作物などを売ることに力を入れることにしました。それには内政を担当している高官たちも、賛成してくれました。なのでその話は、上手く進んでいます。でも機械で工業製品を安く作る企業に投資をして応援することには、高官たちは反対しています。そこに投資をするなら、もっと文化や芸術を売る方に投資をした方が良いと……」
うーん、なるほど。そういうことか、と私は納得した。それで旦那様は、悩んでいるのかと。高官たちが言うことも、分かる。それも一理、あるだろう。でもやはり私は、機械で工業製品を安く作る企業に投資をして応援した方が良いと思う。そもそもそれに私は、賛成したし。なのでどうにか、旦那様の力になりたい。うーん。そのためには、どうしたら良いんだろう?……。そこで私は、旦那様に聞いてみた。
「ところで旦那様。その企業では一体、どんな工業製品を作っているんですか?」
「えーと……。スキレットです。この王国で古くから使われてきた、小型のフライパンです」
なるほど。スキレットか、小型のフライパンか……。と私は、ふと気づいた。旦那様は今、スキレットと言った。つまり、『スキ』と言った。だから今回は、旦那様の負けだと。でも私は、考えた。いやいやいやいや。今は、そんなことを気にしている場合ではない。私は何とか、旦那様の力になりたい。うーん……。すると私は、ひらめいた。お。これなら、どうだろう。なので私は早速、旦那様に提案してみた。
「旦那様。こう言って高官たちを、納得させたらどうでしょう?」
すると旦那様は、「え? 何ですか?」と食いついた。なので私は、説明した。
「高官たちは、この王国の農作物を売る投資には賛成しているんですよね。それなら、こういうのはどうでしょう? 農作物にはそのまま食べられるモノと、調理が必要なモノがあります。そしてこの王国の農作物を調理するなら、やはりこの王国で使われてきたスキレットを使うのがベストだと思われます。つまり農作物とスキレットは、セットで売ることができるのではないかと思います。なのでスキレットを作る企業にも、投資をした方が良いのではないかと」
すると旦那様は、真剣な表情で頷いた。
「うーん、確かに……」
そして私は、付け加えた。
「確かにこの王国の芸術や文化や観光地や農作物を売ることに、力を入れることは大事だと思います。でもやはり、それだけに集中しすぎるのも良くないと思います。それらの人気が無くなったら、困るので。なのでやはり、工業製品を作ることにも今から力を入れた方が良いと思われます」
そう言われた旦那様の、表情は明るくなった。
「なるほど、レコアさんが言うことはもっともです。これなら高官たちも、納得してくれるでしょう。レコアさん。良いアドバイスを、ありがとうございます」
いえいえ。旦那様のお役に立てたようで、何よりです。そしてこれは、チャンスだ。旦那様は今、機嫌が良い。高官たちとの仕事が、上手く行きそうだからだ。だから今は、旦那様にキスをしてもらうチャンスだ! と私は旦那様に、話しかけた。
「それにしても、旦那様。今日の紅茶も美味しいですね。これは茶葉から、良いエキスが出ているからではないでしょうか?」
すると旦那様は、上機嫌で答えた。
「そうですねえ、きっと良いエキスが出ているんでしょうねえ」
と旦那様は、紅茶を飲み続けた。あれ? 私は今、エキスと言った。そして旦那も、エキスと言った。つまり旦那様も私も、『キス』と言った。これって、良いムードじゃないの?! 私と旦那様がキスをする、良いムードじゃないの?! しかし結局、私と旦那様は黙々と紅茶を飲み続けた……。




