夕暮れの雛琵琶
うーん、どうしよう。ササナミさんを見ていると、同じコンドミニアムに住んでいた世話焼きおばさんを思い出す。
……そうだ。聞きたいことがあった。
「ササナミさん、結局、何の集団感染だったんですか?」
『あー、話すのを忘れてたわね。ニパウイルスっていう人獣共通感染症ウイルスの一種で、普通は豚から感染するんだけど……シェルター環境でそれはあり得ないわよね」
現代の食肉は全て培養された筋繊維だ。種類も豊富で天然ものより味がいいらしい。
「そんなものをばら撒かれたんですね……」
『人獣共通感染症なんて珍しいから検出が難しかったの。で、その正体が新種のニパウイルスだったわけ』
「教祖ザルヴァを早く検挙しましょう。こんな奴は放っておけない」
『そうね! 私の可愛い住民たちをこんな目に合わせて……終末の審問官許すまじ。保安課の掴んだデータを送るわ』
琵琶湖の映像の一角にウィンドウが現れて終末の審問官の拠点が次々と表示される。
「データを受け取った」
アステルを見ると、彼女もこちらを見ていた。もう琵琶湖に満足したようだ。
「ここって、ヨーゼフが言っていた隠れ家だよね。ヨハンの体がある」
左腕に着けている携帯コンソールで操作ができた。
「そこは最後。停滞カプセルに動力を供給しないとだから」
そうだった。アステルが接触していれば動力の心配は無いが、カプセルを背負ったまま行動するわけにもいかない。
「それじゃ、ここ?」
保安課によると教祖ザルヴァの最有力潜伏場所だ。
「教祖ザルヴァを捕まえるのが目的。有力な場所から探す」
『分かった。私の端末が隠し通路に案内するわ』
調理室からメイドロボットが出てきた。
見た目は人間だが、プラスチックのような肌の質感でロボットと分かる。黒いクラシカルなドレスを着ている。
「移動端末を操る機械知性は珍しい」
『そうね、移動する楽しみが分からない子が多いのよ。男性型には結構いるわよ、ノワールとか。あ、あれは違うか』
ノワールさん、機械知性で押し通しているのかな? 立ち位置がよく分からない。
部屋から出てササナミさんの端末の案内で豪華な廊下を進むと「保守通路・関係者以外立入禁止」のプレートの前で止まる。
『ここを真っすぐ進んで突き当りのエレベーターに乗れば地上に出られるわよ』
ドアを開くと、真っ暗な通路。アステルは気にせず中に入っていく。
「ありがとう、ササナミさん。行ってくるよ」
『ザルヴァを捕まえたらマーカーを設置してね。保安課に回収を指示するわ』
「ふう、ササナミさんって変な人だね」
ゴーグルをかけるとアステルの視覚と同期。暗闇でも周りが見える。
「機械知性はみんな個性豊か」
五分ほど進んだら小さなエレベーターホールに到着。階段もあるが指示どおりエレベーターに乗り込む。
階数表示もボタンも無い怪しげなエレベーター。この隠し通路、何の用途で作ったのだろう。
エレベーターが止まりドアが開く。そこは何とも奇妙な部屋だった。
淡いピンクの間接光、円形のベッド、鏡張りの天井、浴室の脱衣場のドアは透明だ。
振り向くとエレベーターのドアも鏡張りだった。
「ササナミによると、ここはレジャーホテルの一室。雛琵琶の畔に建っている」
レジャーホテル! これがそうなのか。話には聞いていたけれど、想像以上に淫靡な部屋だ……。
まあ、隠し通路の用途も何となく分かった。お忍びでシェルター高官がやって来て女性と会う場所だ。ハニートラップとかいう奴。本当にあるんだ。
「行こう、ベイブ」
この部屋でそんな呼び方をされるとどぎまぎする。
部屋を出て廊下を進む。誰もいない。エレベータホールに着く。ここはレジャーホテルの設備のようだ。人魚の姿が彫刻された鏡貼りのエレベータードア。
ボタンを押すと扉が開く。行先から選べるのは一階だけ。緊急呼び出しボタンもある普通のエレベーターだ。
到着したのはフロントらしい。若い男女がパネル表示された部屋を物色している。
視線を合わせないように横を通り過ぎる。向こうも視線を合わさない。暗黙の了解。大人の世界を垣間見た感じ。
エントランスを抜けて外に出ると、夕暮れに煌めく雛琵琶の姿に圧倒される。
ノーザンエンドと同じく、天蓋パネルで時間や季節を表現しているようだ。
「ようやく雛琵琶に来られたね」
「うん、嬉しい」
空が高い。
誤字修正(2026/04/06)
バイザーをゴーグルに修正(2026/04/05)





