タテ糸をヨコにハメ、ヨコ糸をタテにハメ(5)終
――大型の三つ首《人食鬼》、3体。
巨大化した場合ほどの体格は無いが、それでも充分以上に脅威。
ウフン団長クッサイ氏は、叫び声を上げる手間もかけぬまま、脱兎のごとく、沈黙の逃走を成し遂げた。
間近に『死の恐怖』を見た人間としては正しい対応だ。宮殿の衛兵団長としては、完全なる職務放棄にして敵前逃亡であるけれど。
「逃げなきゃ」
きわめて正しい行動方針を、ミリカが呟く。
一方で、非常に異例な事象が立ち上がっているのを、無視することは出来なかった。
ケサランパサラン――無害な邪霊にして謎の精霊――多数が、不意に出現しているのだ。
四色モコモコ毛玉が、暗い黄金色をした《人食鬼》3体を取り巻く空間の一帯で、ホタルのように幻想的に点滅している。満月の夜でも無いのに。
アルジーは真っ青になったまま、動けなかった。
大型の三つ首《人食鬼》。
人類では有り得ないほどの首回りの太さ。三つ首を支えるための強大な筋骨ゆえだ。
ガチムチとうごめく怪異な球体とも見える、それぞれの頭部に……それぞれ、ひとつずつの、炎のように赤々と燃える――これまた不気味に大きな邪眼。
いやに三日月刀に似た9本のカギ爪が、巨大熊を思わせる恐ろしい異形の指先から、飛び出している。
注目すべきは、そのバカでかい怪物の、手の甲に……刺青よろしく刻まれた、おそろいの《精霊文字》だ。
『王の中の王ジャバへ献上するや。トルジン第13室《婚礼の儀》。条項継続のうえ』
――なにを意図しているものなのかは、「あちら側」事情に詳しくない人類には、判らないが。
御曹司トルジンとアリージュ姫の、離婚の手続きに際して派遣された、邪霊の側の立会人ないし目撃証人なのだろうと知れる。言い方は奇妙だが。
アルジーの相棒《精霊鳥》白文鳥パルが珍しく「キロロ!」と怒り出した。
『カムザング派閥の「特定やらかし」もカスむ、いじきたない手続き、ピッ』
『さだめし例の、謎の黒装束「宝冠魔導士」の入れ知恵ニャネ』
高速《精霊語》が終わらないうちに、大型の三つ首《人食鬼》3体が、何者かに指示されたかのように――アルジーの方向へと向き直って来た。
白タカ《精霊鳥》シャールが、電光石火で牽制を仕掛けた。
純白に輝く《風の精霊》軌跡が空中に掛かった通行止め用ロープのように広がり、三つ首《人食鬼》が、苛立ちのようなブツブツ騒音を洩らす。
――どうやって倒せば……?
アルジーは焦りのままに、サッシュベルトの間や袖の中を探った。なにか、退魔調伏のためのオマジナイ道具は……
――無い。
紅白の退魔調伏の御札はこれから作成する予定だった。在庫は無いのだ。筆も、インクも、種類が揃っていない。筆箱も。御札の在庫と仕事道具をまとめて運ぶための、かつてのような丈夫な荷物袋も無い!
老ハムザ氏とスージア夫人の通夜のための、ささやかなお供え物を包んでいた風呂敷。
いまやその風呂敷の中身は、ハンカチや鼻紙といったエチケット小物と、替えのターバン兼ベール布と、若干の筆記道具、財布だけだ!
「そのまま結界の中で待機してて」
セルヴィン青年の、鋭く低い声が、耳の中に飛び込んで来た。同時に、その場に降ろされて、アルジーの足が地面につく。
ポカンとして、セルヴィン青年を見上げるアルジー。
訳知り顔をしたミリカが、ガシッとアルジーの腕をつかんだ。傍にあった適当な石積みを防壁と見立てて、アルジーを引きずり込む。すでにオーラン青年から、そういった指示を受けていたらしい。
当座の防壁とする石積みを見れば、爆発実験の試験場の定番の、防火・防爆の仕立てだ。仕上げに、要所・要所に《防火の御札》《見張り御札》を貼り付けてある。すでに《火の精霊》が活性化していて、真紅に輝いている状態だ。
その辺のどこにでも居る傭兵の姿をした2人の青年は、想像以上に息の合った、強力なコンビであった。
どちらが先に三日月刀を抜いたのか判らない。
大自然の疾風迅雷であるかのように……退魔紋様の真紅の閃光が走った。
――大型ないし巨大化《人食鬼》打倒の戦闘力を持つ人材ともなると、身体能力の鍛え方が違う。
次の瞬間には。
第1歩を踏み出しかけていた三つ首《人食鬼》1体が、真紅に輝く「ネコミミ型」火柱を立てて、姿形を崩壊させはじめていた。
その三つ首《人食鬼》1体目は、複数の急所への集中斬撃のうえに、高位の《火の精霊》火吹きネコマタに、退魔調伏の炎を付けられている状態。
「い、いつ、斬ったんだっけ?」
「そんなの素人に判るわけ無いでしょ、アルジー、あ、手首」
目ざとく、ミリカは、アルジーに取り付いている不気味な呪物の変化を見て取っていた。
促されて見るなり……息を呑むアルジー。
音も無く、その暗い黄金色をした腕輪の一部が、ひび割れていた。
目の前では、今まさに、セルヴィン青年とオーラン青年の三日月刀によってとどめを刺された黄金色の巨人が、断末魔の踊りを始めている。
その大型《人食鬼》の周りで、《邪霊の大麻》由来と思しき魔導陣が、光背のように燃えていた。不気味にねじれた異形の枝葉のような物が、断末魔の踊りと共にグルグル回っていて、逆に大型《人食鬼》に接近できない。
なおかつ非常に異例な現象は、つづいていた。
対決の場となった結界の外側を取り巻くように、数多の四色の毛玉ケサランパサランが浮遊していて、ひっきりなしに点滅している。その異例な点滅にともなう光は、なぜか、銀月の色をしているのだ。
聖性と魔性を揺らぐ、妖しいまでの銀月の色。
――かの神話伝説の《銀月の精霊》――銀月のジン=アルシェラトが、毛玉ケサランパサランの点滅を通じて、立ち会っているかのように見える。
残り《人食鬼》2体が早くも奇襲に出て、胴体にガバァと開いた怪異な口から、無数の触手を出している。
いつしか近くに居た白タカ《精霊鳥》が集まって来て、《風魔法》防御を繰り出していた。触手の勢いを押し返しているところだ。
2人の青年の神速の太刀筋に沿って火吹きネコマタによる退魔調伏《火魔法》が発動し、無数の火花が舞っている。
一方で。
アルジーの無気味な腕輪のヒビは、手首を取り巻くように、円周を描いて拡大した。三つ首《人食鬼》1体の断末魔と、同期しているかのようだ。
怪異な腕輪は、遂に、3分の1ほどの断片が、グルリと分離した。ヒビは拡大して……次に、縦方向の、ひび割れが生じた。
「分離した部分、外れるかも……?!」
「やるよ、アルジー」
ミリカが一気に、3分の1の断片の取り外しに掛かる。元・遊女なだけに、装飾品の取り扱いは巧み。
いつしか、アルジーの肩先で、相棒の白文鳥《精霊鳥》パルが、ひっきりなしにピョコピョコ跳ねている。
「いてててて」
割れた腕輪を引っこ抜こうとすると、以前よりは肉付きが回復している手首の肉が、つっかえてしまう。
「手首をちょいと回してよ、この幅いけるよ、アルジー」
ミリカが瞬時に角度を調整した。通常の腕輪――C型バングルを外す時のように、ヒビ割れで出来た空隙を、手首の最も細い部分へと押し付ける。
意外に、なめらかに……手首の細い部分が、ヒビ割れの空隙を通った。
「あ、抜けた」
思わず、アルジーとミリカとで、暗い黄金色をした不完全な輪っかを見つめる。
おおむね手首から肘まであった、異様に幅広の腕輪。その3分の1が、断片となって取れていた。アルジーの手首に取り付いているのは、残りの3分の2の部分。
断片を手に持っているミリカの顔色が、明らかに悪い。すぐに、その手が震え出した。
触れているだけで、説明のつかない何か――特級呪物ならではの、おぞましいナニカ――を感じるらしい。
――信じがたい事に、アルジーから完全に分離した、暗い黄金色をした怪異が、そこにある。3分の1程度の異形の断片だけど。
間を置かずして白文鳥パルが、アルジーから分離した「3分の1の呪物」へ飛び掛かった。《精霊鳥》の証である真っ白な冠羽を、勇ましく振り立てて。
薔薇色のクチバシで「ドドッ」とつつくと共に、冠羽で銀月の光が閃き……
3分の1の黄金色の断片は、見る間に錆びた鉄のような――皆既月食の月の色を思わせる――赤さとなり。
……風砂のごとく崩れていった!
異例な現象は、セルヴィン青年とオーラン青年が対峙している先の、三つ首《人食鬼》のほうでも起きていた。
断末魔を踊る《人食鬼》の暗い黄金色をした全身を、瞬時に、黒毛玉ケサランパサランが取りまいた。銀月の光をまといつつ。
激しい死の舞踏をしていた巨体は、黒毛玉に取り巻かれた黄金岩塊と化したかのように、硬直して動かなくなり……
そして、ワチャワチャしていた黒毛玉が、ワッと散開して離れる。
――《人食鬼》ならではの怪異な黄金色が、螺鈿のような虹色に変色していた。黒毛玉ケサランパサランが何かをしたのは確実。全体に、亀の甲羅のような六角構造。
次の瞬間。
螺鈿細工さながらの《人食鬼》岩塊は、六角構造となった全身の継ぎ目を、裂け目と化して……
不気味な光背としてうごめいていた、邪霊の大麻の《魔導陣》もろとも。
……白金の炎を出すや、粉々に爆散した!
2人の青年が唖然としている間に。
残り2体の《人食鬼》は、至近距離に出現した白金の炎に恐れおののき……別次元へつづくと思しき洞穴をつくって、そこへ消えていった。
おなじみの邪霊害獣《三つ首ネズミ》が神出鬼没をやらかす時に使うのと同じ、異次元の通路。
邪霊害獣《三つ首ネズミ》の、相当数の無残な死体が、その場の地面に積み上がったのが、証拠だ。強引に召喚されたうえ、理不尽にも、逃走の際の踏み台にされたのだ。
――ただ、邪霊の種族としては、偉大なる《人食鬼》様のお役に立てて光栄、というところなのかも知れない。真実は、判らないけど……
…………
……
火吹きネコマタ《火の精霊》による退魔調伏の真紅の炎が、一帯を清めはじめる。
とうに、とっぷりと暮れた夜闇の中、一面に火花が広がっているかのよう。
一角に積み上がった邪霊害獣《三つ首ネズミ》死体の山も、退魔調伏の火花に包まれる。
そこらじゅうに、邪霊の要素を焼いた後の煙のにおいが広がった。通常の煙よりも金属くさい……戦塵を思わせる類。
――しばしの静寂。
「どうやら、しのいだらしい」
「かなり不利な状況だったから、最悪の場合も考えたんだが」
ふーっと、息をつくオーラン青年であった。
その足元で、見た目、亀甲模様をした石にしか見えない《精霊亀》と思しき物体が、チラリ、チラリ、と螺鈿の光を仄めかせた。精霊語を発しているかのように。
セルヴィン青年の相棒《火の精霊》火吹きネコマタが、『ニャンと!』と声を上げながら、元・邪霊ネズミ死体の山の、ほど近くへ駆け寄る。
程なくして、ちっちゃな火吹きネコマタは、なにかを口にくわえて……セルヴィン青年のもとへ戻って来た。
「なんだ? 相棒」
ちっちゃな子ネコの、持ち上げてくれ、といわんばかりの挙動に応じて。セルヴィン青年は三日月刀を素早く鞘に収め、ついで手を差し伸べた。
青年の片手のひらのうえに乗った子ネコは、金色の目に驚愕の表情を浮かべていて……くわえているものをヒョイと見せる。
――銀月色をしてきらめく、水晶玉の破片のような、ナニカ。パッと見た目には、球体を6等分した後の、その一片となる幾何学的構造体。子供の目線で見れば、6分の1カットの、透明で小さなスイカの断片だ。
「あの三つ首《人食鬼》の腹の中にあった……? にしては奇妙な品だな。ん? アリージュに見せるべき物……?」
オーラン青年が首を傾げた。精霊語については、セルヴィン青年よりは一日の長があって、意図を正確につかんでいた。
そんなところへ。
当座の後方防壁――ささやかな石積みの間から、ヒョコリと顔を出して、ミリカが声をかけた……
「おーい、《人食鬼》どこ行ったの? アルジーの例の腕輪が大変化して……大丈夫だったの? 2人とも」
諸般事情により更新休み入ります。