人と人との縁って、つまるところは好感度:後編
色々と加筆に修正を重ねて、気付けば更に二話に分けたくなる位の長文化。
しかし今回は分けたら流れが途切れるなーと思いつつ、ようやく投稿完了です__("_´ω`)_
―――ドドドドドドドド。
擬音に表してみれば、きっとこんな感じにキャラの彫りも深く地鳴り響いているだろう、修羅場も最中な我が心象。
眼前にはお狐様。完全に醒めた目付きで俺を見下ろす様からは、選択一つをしくじっただけでも即様立ち去ってしまいそうな、呆れを通り越した拒絶にも近い何かを感じてしまう。
現に、揺らいで見えるもやっとした感情の発露からは……あれ?
「それ程でも、ない……?」
零してしまった呟きに、普段あれ程感情を表していた、見慣れた筈の狐耳は微塵の動きを見せることなしに。
それでいて、不信の証に細められた――と、思い込んでいたその片目蓋の下部分をぴくんと震わせた。
「皆さん、落ち着きましょうっ!」
その意味を考える暇もなく、横合いからは見かねたらしきピアの声に、はっと我に返った。
瞬き一つをした頃には、変わらず細めてみせる冷めた視線。心なし屈み調子となってしまった俺を見下ろすそれからは、先と変わらず冷たいという程ではない微妙な温度。
「そもそもが、お前があの狐女を連れてこなきャ良かったんじャねーか……?」
「だよネー。ただでさえ姉ちゃんってば苦労性なんだかラ」
「あなた達、今は口を閉じててぇー!」
すかさず挟まれた軽口に、悲鳴の様な声を上げた後に。取り繕う様に扶祢へと小走りに駆け寄ったピアは、何やらその耳元でもしょもしょと。
対する扶祢はといえば、憤慨というよりはつまらないといった様子の冷めた目付きで横目にじとりと睨めつけて。フンと一息これ見よがしに吐いてから、興味が失せたとでも言わんばかりに巫女御付きのフェアリー達に先導されて、広場に据え付けられた別の席へと腰を下ろした。
「ひ、一先ずはこれでっ。対策会議に入りましょうっ、いいよね二人とも!」
「お、おうッ……」
「姉ちゃんってバ、本当」
やがてぺこりと人の好さげにも一礼をして、今度は取って返す様に翅をはためかせ文字通り一足飛びで戻ってくる。そして頭が半分以上真っ白になってしまった俺と、扶祢を交互にちらちらと。その横ではあーだこーだと好き勝手な論評を投げつけ合っていた二人の首根っこを予想外の圧と細腕で抑えつけ、俺達の座る席に備え付けられていた黒板へと何やら書き殴り始めた。
それを半ばぼうと眺めながらに、ややばかりの平静が残っていたらしき頭の片隅で思う。妖精族って、文字を持たない文化だと聞いていたのだが。
「そりャあ、数こそ限られてるけどよ。あたし等の立場としちャ外の連中に騙されない為にも、最低限の読み書き位は出来なきャな?」
成程、ごもっとも。
残る二人は元々近代共通語を学んだ者、そして異邦の知識を刻まれた元代表者であるし、この場に居合わせる面々であれば文面での機密のやり取りも十分可能ではあったらしい。
思い返してみれば、パピヨン達も黒板と白墨を用いた文字の書き取りに大した抵抗も示さずに、あっさりと使いこなしていたものだ。こういった要素要素に妖精族の識字経験といったものが見えていたのだと改めての認識を覚えつつ、気付く事の出来なかった当時の自身の迂闊さに、改めて肩を落としてしまうのであった。
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「――つまり、自身に非があると思えてしまったならば。時には素直にそれを認め、誠意をもって謝る事も必要なんですっ!」
「お、おうっ?」
勢い込んでばんっと黒板を叩き、結論らしきお題目を語るピア。その目力は尋常ではなく、これでもかという程に身体を押し出してくる。近い、近いって!
あわや接触事故を避けるついでに広間の奥へと目を向ければ、そっぽを向いたままに寝起きであるらしい狐耳のお手入れに勤しむ扶祢の姿。濡らした手拭いの感触に時折ぶるんと不満げに耳を跳ねさせては、それを掌で無理繰り抑えつけて寝癖を整えようとする仕草からは、少なくない苛立ちが見て取れた。
「あれ、相当ナお冠だヨ?」
「むぐっ」
ピノの囁きに思わずぐっと呻きを上げつつも、その一方でどうにも違和感を覚えてしまう。
では実際にどうなのか、と問われれば答えに窮してしまおう程度の、ほんの些細なもの。喩えてみれば、そうだな……ベッドに寝転んだ際にパジャマの裾が一部分のみめくれてはみ出て、敷布団との間に一枚挿し込まれた半端な感触に寝心地悪くも寝返りをうつ様な。
そんな、何とも言えない歯がゆさながら、ぼんやりとモフリストとしての眼福を眺める事少し。ついで剛速球で投げ返されたどぎつい視線にそっ…と目を逸らす。
「これはっ……一刻も早く、我らが秘奥を以て立ち向かわねばならない、深刻な問題ですっ!」
気持ち更に膨れ上がったらしき苛立ちの気配。不肖この俺、陽傘頼太っ!たとえヘタレと言われようとも、今なお以て好んで針の筵に正座で待機をするほど被虐趣味ではないッ!
「「と、いう訳でっ!!対策を、練ろうっ(ましょうっ)」」
「無駄に、シンクロしてんなァ……」
えいえい、おーと二人一拍気勢を上げて。何とかには蓋をするの理論で怒れるお狐様から目を逸らす。
とはいえ、だ。
「ふーン?」
こちらはこちらで思わせぶりに。気分を害したという程ではなくとも、何やら言いたげにも横目に腕組み呟く姿勢は、やはり意味有りげな視線と共に。どうにも、この手の空気には慣れないものだ。
「このわたしに刻まれし、異邦の知識が囁いてきます――」
今、この時ばかりは昏くも寒い……あの、冬の日を想い起こすべく。
華奢なその裡に刻まれてしまった、癒える事のない取り返しのつかない傷痕。
「――この手の情愛もつれる難儀な問題では、まずは相手の共感を得るべくにっ。褒めて、褒めて、褒めちぎるべきであるとッ!」
「その知識、ちょッとどころじゃなく偏見でねじれ曲がって根元から腐り落ちちャいねェか…?」
正直今となっては、ぼくもそう思います。
否ッ、しかしながら心底褒められて嫌という者はそうそうおるまいて!
そう、思えてしまうくらいには。その時の俺は、精神的に追い詰められていたのだろう。
お目々ぐるぐると良い塩梅に鬼気迫ったピアに謎の説得力を感じてしまい、説得材料として使えそうな歯の浮く台詞をその場で募り始める。
すると、ピアの御付きらしきフェアリー祭祀見習いの面々のみならず、そのちょっとした賑やかさに目を付けたらしき年配の妖精族達までもが何だ何だと集り始めてきた。
「何ダァ?巫女サマモコウイウノニ興味心身ナ、オ年頃ッテカ~?」
「言ッテヤルナ。タダデサエ責任感ニ押シ潰サレカネナイ、重イオ役目ヲ担ッテタ子達ナンダカラヨ……時ニハ気晴ラシニハッチャケタクモ、ナルッテモンサァ」
「あんたら誰よ!?」
具体例を挙げればこの通り、例えば無闇やたらに訳知り風な空気を醸すモブフェアリーのAとB。見た目こそ齢経て尚変わらぬ愛らしさを種族全体で溢れさせる癖に、その素振りだけを見れば一目で齢経た経験らしきものを感じさせてくれた。
その頭には海賊風のキャプテンハットを被り、頬には黒墨の傷痕がわざとらしくも描かれていたり。あるいは萎びた風な長い草の茎を咥えて斜に構えてみたりと、根本的には薄っぺらい事この上ない印象を持たせるという、矛盾した在り様が実にイラッ☆とさせてくれる。ちなみにそいつらが元居たらしき席のモニターからは、ひと昔前に何期目かの再放送をやっていたらしき宇宙海賊アニメのエンディングテーマが流れていた。
「坊主、イイカイ?女ッテナァ、イツノ時代モ優シク構ッテホシイ生キ物ナノサァ」
「ナァニ。オ前サンノ滾ル若サッテナ、財産サ。ソレニモノイワセチマッテ、グイグイ押シテイケバ大抵ノ場合、気ガアル相手ナラコロットイッチマウモノナンダゼェ?」
「そ、そうなのですかっ……頼太さん、これはいけます。いけますよっ!」
助けを求めるべく送った視線は、これ見よがしに蒼と藍の瞳持つ二者二様のディフレクションバリアーに逸らされてしまった。
はたと空を覗けば、そこには吸い込まれる様な水色のキャンバス。どうやら俺は気付かぬ内に、陽の精霊支配するSAN値直葬空間へと迷い込んでいたらしい。この妖精郷に深く根付いてしまった、その発端。澱を生み出し現実へと影響を引き摺らせる想いの力、恐るべし。
「さあッ、往くのです!そして貴方自身の想いを語り、今こそ願いを成就すべくっ!!」
やたらテンション極まったピアの声にはっと振り向く。
そこには何処か逝っちゃった感じにも見えるピアを筆頭に、騒動の当時には真面目一辺倒で凡そ妖精族らしくなかった御付きの見習い祭祀達までもが、期待に溢れた表情を張り付けて。
有り体に言ってしまえば、他者の浮ついた噂話に黄色い声を上げる女子生徒、そのもの。
「あ、あノォ。どうせナラ、手をソッと取って耳元で懺悔を囁いてミルなんて、どうでスかっ?」
「あっ、はい……君は、たしか白の後継の」
「でスぅ。きゃ~、話しチャった!」
御付きの中でも最も控えめに見えた子が、妙に興奮した口調で話しかけてくる。その子は、これまでただの一度も俺個人に対しては話しかけてきた事のない、ミキの後輩となる白の一族の祭祀見習いだと記憶している。
翁達の厳しい目があったつい先日までの頃には考えられなかった、祭祀達の変化。見習いとはいえ、ゆくゆくは郷の代表としての責任を背負う立場として、自身の属する一族の長の意向は絶対にも近いものであったろうに―――
「だって、もっとエラい初代サマが戻ってキマシたし?」
「……あぁ、そう」
どうやら思考は案外柔らかかつ、中々にちゃっかりさんであったらしい。
「とうに郷を捨てた無責任女の話なんか、聞くんじャねぇッ!」
「ぴゃああっ!?マニさまコワいぃ…」
「マニっ!子供達を怖がらせちゃ駄目でしょっ」
白さんの話題が出た途端に、剣呑さが何割か増したマニからのお叱りを受けて涙目になるまでが一セット。それでもきゃいきゃいと騒ぐこの子達にとって、模範となるべき巫女様からして率先して煽っているこの状況だ。存分に騒ぐ免罪符を得たと思ってしまっても、仕方のない事だろう。
それからも、出るわ出るわ。どこぞの映像媒体からの受け売りに始まって、恋に恋するお子ちゃま達のナンパ待ち妄想論から、年配らしきモブフェアリー達による若かりし頃の武勇伝まで。
「俺ガモット若カッタ頃ニハ、何人モノ女ヲ泣カセチマッタモンヨ……フフ……ア、アレッ?ドウシテ君達、ソンナ腐臭ノ立チコメル生ゴミヲ見ルミタイナ目ヲ向ケテクルノカナ?」
果てはこの通り、木の枝楊枝にニヒルを気取ったチャラ男が一斉に石持て投げつけられていたりと。十人十色に様々な提案をしてくれる。
共通するのは、少し前まで見ず知らずであったいち異邦人相手に、ここまでの屈託の無さで受け入れてくれた、妖精族の面々の御人好し。そんな彼等がこうまで一肌脱いで、様々な提案をしてくれたんだ。
だったら、俺だって。その暖かみに報いるべく、一歩を踏み出さねばならない時がある。
深呼吸を一つ。片手を胸に、軽く握って歩み出した。
その足の向く先など、決まっている。元より、これは俺の為さねばならない責務であり、そして今ここでのみは、俺にだけしか出来ない一つの見せ場でもある。ましてや、その中身の実用性はどうあれ、ここまでの後押しをされたんだ。残るはやるべき事を、やるのみで。
目的地までは僅かに数歩。歓迎をされていないであろう証は変わらず、心を刺し貫いてくる様で。
最後に一度、背中越しに。憎むに憎めなかった、妖精族の面々へと顔を向ける。帰ってきたそれは、言わずもがな。
先頭で見送るピアは先程よりも大分落ち着きを取り戻した様子で、少々顔を赤らめながらも、それでもうんと頷いてくれた。
じゃあ、往って来る。心の裡でそう残し、後ろ髪引かれる想いを振りほどいて正面へと視線を戻す。
そこには今も不機嫌と呆れにも近い感情の色靄を醸し出しながらも、小袖風味な民俗衣装の足を組んで座る扶祢。気怠げな姿勢のままに腕組み、無言で椅子の背もたれに身体を預けている。
「――扶祢、聞いて欲しい」
まるで、話すのであればお前からだと言わんばかりに無言のまま。
だから俺は、今ある真摯を込められるだけ込めて、絞り出す様に口にする。
「俺は――「全部、聞こえてたんだけど?」――へ?」
挿し込まれたその言葉に、全思考が停止した。
「な、なんッ……」
「ねぇ、陽傘くん?」
「はヒッ!?」
どっと溢れる冷えた汗。
またも言葉の出かかりに、被せられる声は実に冷ややか。
それに反比例するかの如く、ある種の熱が目力へと篭められていくのが解る。解ってしまう。
―――とん、とんっ。
「……ヒイッ!?」
目の前では片腕を上げて、その指先が見慣れた狐耳をこれ見よがしに強調させる。
その仕草の意味。数瞬の後にそれを理解すると同時に、俺の口から漏れ出たのは、我ながら情けなさ極まる悲鳴。
「救い難いケモナーな陽傘くんのだぁ~いすきな、この狐耳――いったい何の為に、付いていると思うのかなぁ?」
理解をすればする程に、秘密を暴かれた羞恥に悶える気持ちともう終わったと諦観する心が混ざり、急速に萎びて打たれ弱くなっていくのが自覚出来てしまう。
「私ね、楽しみで仕方がないんだぁ」
「は、は…はは…」
平時はあれだけ癒しを振り撒いてくれた柔らかな美貌は、今や病んでいる風にもねっとりと。
満面に浮かべた一見、柔らかに見える笑みの奥底では、どろりと濁った昏き灯火をその瞳に湛えていて。
そこではっと気付く。衝動的に後方へと首を巡らせた。
その先には案の定――愛らしき満点の小憎たらしさをこれでもかという程に見せ付けて小さな舌を目一杯にべーっと伸ばす、クソ幼女。
「あンのやろ……!」
道理で先の対策会議の際には珍しく、言葉数も少なく大人しくしていた訳だ。
せめて教えるくらいはしてくれたって良いだろう――そう思う反面、あいつもまたそれ程に今回の騒動に関する俺の突拍子もない無鉄砲には内心腹を立てていた。という事なのだろう。
「色々と面白ネタを仕込んでまで私を道化師にしようとしてくれたらしき、陽傘くんは。この後どんな素敵な言い訳をしてくれるのでしょーか?」
「………」
「あっ、今回ばかりはいつもの有耶無耶な自爆芸で逃げられるとは思わないでね?」
「あの、本当……色々とお忙しい中にもかかわらず、御足労頂きまして……」
「声が小さくて聞こえませーん」
こいつ……あ、いえ扶祢さんの言葉を借りる様ですみませんが、今回ばかりは、さっき自分で高性能狐耳アピールしてたじゃん?なんて指摘は、とてもじゃないが出来やしない。
「買い物袋係で済ませてあげると言ったのは、あくまであのひとを現実に掬い上げる為の協力についてのみ、ですしー」
元はと言えば、俺の無鉄砲が銃口引き当ててしまった、無謀に連なる最後の信徒が想いの二十日間。結果として、その本望こそ歪み変質してしまったけれど、白さんが今も消えずに飄々と、思わせぶりを存分に発揮出来ている現状は、俺にとっては歓迎すべきものであるのは間違いない。
「なのに陽傘くんってば、あれだけの絡み合った枝葉の想いを観ておいて。その上で、どれだけ待てども変わらず好き放題にやりたい事ば~~~っかり」
だがしかし、それは本来俺だけが引き摺られるべき、無貌の縁。
独りではどうにもならない程に拗れてしまった、枝葉の向こうの茨の迷路をこじ開けられて、仮にも生還を果たせたのは、誰のお蔭だ?
「おかげで私達が後始末にどれだけ奔走させられたか……あの夜のお返しも、まだ出来てはいないし?」
無論、目の前で静かに憤りを吐露する扶祢だけではない。遠く帝都の地より、何かといえばちょっかいをかけてくれる御使いやその僕、あるいはあの夜を共に手を取り歩んでくれた、マニや白さん……そして見守り続けてくれたピピといった、妖精郷の皆の想いあっての今の俺だ。
それでも、もう一つの器としての役割を果たして、見事に正気を取り戻させてくれた。その、一番の立役者は。そう自問自答をすれば、答えはすぐそこに。
「私って、そんなに都合の良い扱いなのかなぁって「それは違うっ!」……」
先程のやり取りとは真逆に、発作的に差し込む様に吐き出してしまった衝動。一つの感情のみではとても言い表せないそれを、言葉にする事ではっきりと自覚する。
「それだけは、絶対にない…と、思う…」
「………」
どうにも気まずい沈黙の数秒間。だからこそ、目線はせめて逸らすまいと。
向かう側には、打って変わってじっと見つめ返す瞳。気持ち揺れて見えるようで、言葉なしにもまるで何かを待っているかな―――
「この期に及んで、言い訳にもならないのは自覚している。でも、さっきのその、仕込んでいたネタっていうのだって決して嘘偽りではなくって、さ」
今こうしてどもりながら話す内容だって、ここに来ての更なる恥の上塗り。そんな事は分かっている。
けれど、どんなに理由を論おうとも、彼女を蔑ろにした形となってしまったのは言い逃れしようもない事実。
であれば、出遅れた謝罪を込めての乙女回路に対するサービスをしてみせよう。
きっと、後になって思い返せば黒歴史も甚だしい、悶絶八倒してしまう様な酷いカミングアウトになってしまうだろうけれども。
「――だから、こんな俺だけど。扶祢と出逢えて本当に良かったと思うこの気持ちだけは、誰にも負けやしない」
突如始まってしまった、ある種の非日常とも言えよう想いの告白。それからも、仲間になってくれてありがとうとこみ上げてくる感謝の気持ちを、はっきりと伝えられた――と思う。
それ以外の好意だって、無いと言えばきっと嘘になる。
まるで、これでお別れであるかの如く。いつそうなったとしても、決して後悔の無い様に。顔の表面が熱く火照ってしまう感触に、むず痒くもこの場から逃げ出したくなる衝動を抑えつけて、ここが正念場だとぐらつく足許を強引に踏みしめる。
「―――」
明らかに、その瞳が潤んでいた。気恥ずかしさに、思わず顔を背けそうになる。
「それでもっ……私だって、信じたいけどっ!こんなのじゃ不安、だよ……」
(……へぇっ!?)
内心そんな、みっともない悲鳴を上げてしまったのはきっと、誰にも明かす事の出来ない永遠の秘密となるだろう。
いや、ちょっとまて。何だこの展開は。急速に怖気を伴って冷めていく思考の一部。
あの、扶祢が。誰よりも複雑怪奇な乙女回路を搭載するという、出自に比してその在り様は極めて人畜無害かつ、難儀な業持つこの扶祢が。俺の拙い言葉に涙を零して、ここまで訴えかけてくるだなんて。
どこか現実離れして思える、後戻りさえ出来ない現状。その元凶となってしまったのは、きっと俺自身なのだと。
「ごめん、気付けなかった」
「………」
思う、その反面で。そこまで追い詰めてしまった事さえ気付かない、自らの鈍感具合に反吐が出る。
そっとその肩へと手を伸ばす。触れた指の先からは、ぴくんと一瞬、震えるかな感触。
「俺は、本当に取り返しのつかない事を……してしまったんだな」
刹那を躊躇って、その上で震える肩をかき抱いてみせる。この際、恥ずかしさなど知った事か。
俯き加減に目を伏せている、扶祢の濡れた頬へとそろそろと――指の先を伸ばして―――
おませな幼子達による、複数黄色い声が背中へと当てられる。
もう、好きにしてくれ。こっちは今それどころじゃあないんだから。
―――ぐいっと。
「……へっ?」
そう、心の中で零すと時を同じくして、顎の下から押し付けられる、予想外にも力強いベクトル。
今度こそ疑問符が頭の中で上で、踊り狂って。
そんな中でも、どうにか状況を理解しようとする俺の心が、認識が、目の前の光景を一つ一つ、分析していく他人事の様な平坦。
「……陽傘くんって」
「え、ええぇっと?」
有り体に表現をするとすれば、ジト目。涙の跡は腫れぼったくも、尚変わらぬその魅力を引き立たせて。
だのに、その貌は。数瞬前まで見せていた、あの盛り上がりからは縁遠くも平坦に。
「そんな、チャラいゲス男な真似もしちゃうんですねー」
「ふぁっ!?」
ぎりぎりと、明らかに人間離れをした、膂力とさえ呼べよう程の力強さを顎に感じて。その分だけ、徐々に、訳も分からず抵抗を続ける俺の顔は不細工にも細腕に押し戻されて、物理的に歪んでいく。
「違う誤解だそうじゃなっ……!?」
「へ~え~?この期に及んで物欲しそうに私の唇から目が離せないひとが、そういう事言っちゃうんだー?」
既にその瞳からは濡れるものも、揺れていた名残さえ感じなくって。
今や俺達二人を取り巻く状況としては、迫る男を力無く押し留める濡れ場の予感から、下心満載野郎の行為を糺さんとする片腕ネックハンギングツリー会場に。
反射的にもがいてしまったのが、また火に油を注ぐ結果となってしまったのだろう。いつの間にか溢れ出す霊気の煽りを受けて、しっとりと濡れていた筈の黒髪はざんばら風にもざわざわと。
迫力満点と言えよう双眸の雰囲気も相まって、取り巻いていたギャラリーが蜘蛛の子を散らす様に非難していく足音と、気配。このっ、薄情者どもっ!
「待ってっ、本当っ、本心っ……そうッ、これまで言った事全て、本心だからッ!?」
断頭台に晒されたままに、どうにか逃げ出さねばと無い頭を捻って知恵を絞り出そうとする反面、口から出るのは薄っぺらくも聞こえよう、場合が場合であれば砂糖山盛りにも甘ったるい褒め言葉ばかり。
「まぁだ、そういう事言っちゃうんだ――今の私は、人の怖れる妖怪変化、そのものだよ?」
めきり、と掴まれた胸元の軟骨が、嫌な軋み声を上げる。
普段はあれ程に、自らの出自を隠したがって、生来の穏やかな性格から人を傷つけるを厭うこの扶祢が。明らかに一線を越えた、畏怖にも近しいモノを圧し出してくる。
感情を遥かに超えた、根源に根差す本能が警鐘を上げる。どっと吹き出す脂汗。
裏を返せばそれ程に、今回のこの様は、こいつにとって度し難い、裏切られたにも近い思いだったのだろう。
―――そう。だったら、好きにすればいい―――
何故だか。いつか何処かの舞台で御使いが云った筈の、あの、やるせない別れの声がまた耳に。
きっと、これもまた何らかの分岐点。だから、ここで退いてはいけないのだと。そう、ともすれば萎びれ折れかけてしまいそうな、心を叱咤する。
「そっ、そうだっ……何と言われようともッ、たとえどこまで蔑まされたって言ってやるっ!そのもっふい狐耳と尻尾が大好きでっ!その柔らかそうなふとまゆなんて最高で、着物に包まれたスタイル抜群なボディに、みっちり詰まったおみ足なんか、もう今までどれだけ情動を抑える事に苦労をしたかっ!」
「………」
もう、自分でも何を言っているか分からなくなってきた。
後方からは、明らかに引かれた感じの気配が続々と。五月蝿い、元はと言えばお前らが煽ってきたのが始まりだろうが。
「何より、普段のへにゃったその性格に、癒されるんだぁ~~~っ!」
言い切った。ついに心の裡に隠していた性癖を晒し尽してしまった。
もう終わりだと乾いた笑いを垂れ流す心に、どの道無理だろうと突っ込んでくれる思考。
時の流れは緩慢に、どれ程の時間が経ったかも、もう分かりはしない。
「ぐへっ……ごほっ、ごほっ……」
気付けばいつの間にか、襟首を掴む掌が開かれていた。
解放された証として、地面に転がり咽込む俺に。平坦なるまま見下ろす視線は、やはり冷たくも感情が抜け落ちた、そのままに。
「最っ低ぇ」
「ぅぐ……」
それだけを言って。背を向ける。
追い縋る視線をしかし、肩口越しに見据えるその目は変わらず、一切の情動を感じさせない。読み取る事も出来ないまま。
歩み去るその背に手を伸ばそうとして、伸ばせる力を支える気力さえ抜け落ちてしまったのを自覚する。あぁ、終わった……終わっちまった……。
「頼太さん……今のは、ちょっと……色々と」
「その……まんま、ゲス男だよなァ?」
先程の俺のカミングアウトに関する評価としてはやはり、散々で。
何故、あんな事を言ってしまったのだろう。どうしてこうなった。今更ながら渦巻く思いに後悔の念が積み重なっていく。
「俺って、やつァ……」
それでも、だ。
自他共に認める厳しい現実の無常に、落ち込む気分は隠せないながら。
過程も結果も散々ながら、有耶無耶にし続けた想いの堰だけは切ってみせた。その、場違いな満足感に、何故かほっとする。
「まァ、なんだ。元気出せよッ?」
「つ、次が。きっと、ありますって!」
「ふーん、ダ」
三者三様のその物言いに若干の気遣いを感じつつも、打ちのめされた俺の心は、壊れた発条仕掛けも斯くやに伸びては縮み、ふらふらと。
「俺って奴ぁ、俺って奴ぁ~~~~!」
春の陽光に包まれ木霊する。大失敗野郎の敗北感溢るる遠吠え。
小泉八雲の例ではないが、タブーを口にする恐怖と不安。その誘惑に抗うべくもまた人間関係なのだろうか――などと、すっかり抜け殻となってしまった心の隅でぼんやりと思う。
こんな体たらくで、明日まみえるであろうサリナさん達との対峙……まともに出来るのだろうかと。
春の空には負け「狗」の遠吠え。遣る瀬のなさは、時も経たずに響きと共に、森の中へと吸い込まれ。
ついと視点を変えれば、四つん這いにも自己嫌悪に陥る若者へと目線を送ろう、木蔭にゆらゆら揺れる、七つの尻尾。
幹の裏では狐耳も狐尾もがそよ風を受けて、なお泰然と落ち着き払って何事も無かったかの様に。
しかしながら、その人形持つ、口許は―――
「……ばぁか」
春の麗らに薫る風。足取り軽くも後ろ手に。
それを見送る見えざる精霊達の目にはさて、その様がどう映ったことやら。
最後の2828な落差を書きたいが為だけに、予定を崩した上に延期に延期を重ねて二話にまたがる駄文を創りました( ー`дー´)キリッ
さておき、これにて妖精郷編・閑話の章は完了となります。
次回、楽屋裏。色々と燃え尽きた…ぜ…_(:3 」∠)_




