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「……リアム?」
「悪い」
シアの顔を見るなり、リアムはそれだけ言った。敬語でも何でもない、いつもどおりの声だ。
「何でリアムまでいるの!?」
「俺に聞く前に、そっちにも聞いたほうがいいんじゃないか」
リアムが顎で隣を示す。嫌な予感がして、シアは三位の人物が纏う黒い外套へ顔を向けた。
「いやあ、二人とも強かったねえ」
聞き慣れた声とともにフードが外され、少し乱れたオレンジ色の髪と緑の瞳が現れた。
「ゼノ!」
「おはよ、聖女サマ」
「もう昼過ぎだよ!」
「じゃあ、こんにちは」
「そういうことじゃない!」
朝から三人とも姿が見えなかった理由を、シアはようやく理解した。理由が分かったところで、彼らがこんなところで剣を振るっていた意味までは分からないけれど。
リカルドは研究者で、ゼノに至っては剣など持たない。リアムだけならまだ分かるけれど、そのリアムだって今日は警備に当たっているものだと思っていた。
「リアム、警備はどうしたの?」
「昨日のうちに配置は決めたし、今日の担当はほかの騎士に引き継いである。勝手に持ち場を離れたわけじゃない」
「じゃあ、リカルドは? ルーファスの診察があるって……」
「今朝、済ませました。必要な確認はすべて終えています」
「ゼノは?」
「俺? 俺は暇だったから」
「絶対嘘!」
「えー、ひどいなあ」
ゼノが笑い、リカルドが額を押さえる。国王の御前だということを思い出したらしいリアムだけが、咳払いをして姿勢を正した。
「それで」
国王が口を開くと、それまでの賑やかさが嘘のように三人の表情が引き締まった。
「リカルドよ。試合の勝者はおぬしだ。審査を経て任命されれば、明日より聖護騎士として聖女の傍らに立つことになる。研究者であるおぬしが、なぜここまでして剣を取った」
リカルドはしばらく黙っていたが、試合の最中にも外さなかった眼鏡を押し上げると、静かに頭を下げた。
「……聖騎士は、まだ生きています」
思いがけない言葉に、シアは瞬きをした。
「眠っているだけです。明日には目を覚ますかもしれない人間の代わりを、今日のうちに決めておく必要があるとは、俺には思えませんでした」
いつもと変わらない、落ち着いた声だった。感情に訴えかけるのではなく、考え抜いた末の結論を淡々と述べる口調も、いかにもリカルドらしい。
「俺は聖護騎士になるために参加したわけではありません。誰かが勝つのであれば、俺が勝てばいいと思っただけです」
「……それ、ものすごくリカルドらしいね」
「褒めているんですか」
「褒めてるよ」
リカルドは疑わしそうな顔をした。
「そーそー。もしかしたら明日、ぱっと目を覚ますかもしれませんしね」
ゼノがいつもの調子で続ける。先ほどまで剣を振るっていたとは思えないほど軽い声だったけれど、シアは笑えなかった。
明日には目を覚ますかもしれない。今日の夕方かもしれない。だからこそ、ルーファスが帰ってくる場所を、他の誰かに渡したくなかった。
自分だけがそう願っていると思っていたわけではない。それでも三人が、それぞれの立場でできることを考え、こんな大がかりな方法まで選んでいたなんて、想像もしなかった。
「陛下」
リアムが一歩前へ出た。その声は、シアに話しかけるときとは違う、騎士としてのものだった。
「聖女様の警護が必要であることは理解しております。明日の祭りでは、騎士団が責任をもってお守りします。ですが――聖騎士は唯一人。ルーファス様だけです。他に代わりなんていません」
何度挑んでも勝てないと言いながら、それでも次こそ勝つのだと笑っていたリアム。眠るルーファスの剣を、本人が見ればすぐに分かるほど丁寧に磨いていた、あの手を思い出した途端、シアの視界が滲んだ。
まずい、と思ったときには、もう遅かった。
頬を温かなものが伝う。慌てて俯いたものの、涙は次から次へと溢れて止まらない。声を上げて泣いているわけでもないのに、大粒の涙ばかりが頬を転がり落ちていく。
「……聖女よ」
「だ、大丈夫です」
「そうは見えぬが」
「大丈夫です」
まったく大丈夫ではなかった。袖で拭えば拭うほど涙は溢れ、訓練場に並ぶ三人の顔さえ滲んでよく見えない。
国王はそんなシアをしばらく見つめていたが、やがて訓練場へ並ぶ三人へと視線を移した。遠くでは、まだ結果を待つ参加者たちも静かにこちらを見上げている。
「…………あいわかった」
長い沈黙の末、国王はそう告げた。
「余が必要としたのは、明日の祭りにおいて聖女の安全を守ることだ。聖騎士に代わる者を立てることではない」
その声が、静まり返った訓練場へ響き渡る。
「そなたらの言うとおり、聖騎士は今も健在である。ならば、明日の警護は騎士団に命じればよい。新たに聖護騎士を任じずとも、余の望む備えは整えられよう」
騎士団長が一歩進み出て、深く頭を下げた。
「御意。明日の警備につきましては、すでに配置の調整を進めております。聖女様の警護も含め、騎士団が責任をもって務めます」
国王は頷くと、改めて訓練場へ向き直った。
「此度の試合の優勝者は、リカルドとする。その勝利を称えよう。ただし、聖護騎士の任命は行わぬ」
訓練場にざわめきが広がったが、国王は構わず続けた。
「千年祭における聖女の警護は、王国騎士団が担え。聖騎士の座は今までどおり、ルーファスのものとする。目覚めた折には、余からも祭りを一つ騒がせた詫びをせねばなるまい」
シアは濡れた目を上げた。
「……はい」
今度は、きちんと声が出た。
その後、選抜に参加した者たちへ国王から労いの言葉があり、騎士団長からも明日の警備について改めて説明が行われた。
そしてすべてが終わる頃には、太陽もずいぶん西へ傾いていた。
観覧席を下りても、泣きすぎた目元は熱を持ったままだった。誰にも見られたくなくて俯きがちに歩いていると、横から楽しそうな声が飛んできた。
「おいおい、泣き虫聖女復活か?」
「泣いてないもん」
ゼノが少し身を屈め、シアの顔を覗き込んだ。
「誤魔化しようのないひどい顔してるぞ。すっげえ不細工」
「~~~~っ!」
言い返そうとしたところで、また涙が一粒零れ落ちた。するとゼノは笑いながら、自分の袖でシアの頬を拭った。
「ちょっと、ゼノ!」
「動くなって。拭いてやるから」
「ゼノ!」
今度はシアではなく、リカルドの怒声だった。
「聖女様のお顔に何てものを使ってるんだ!」
「何って、袖だけど? 俺ハンカチ持たない男だからさ」
「見れば分かる!」
「ちっと汗臭いかもな。珍しく剣なんて物騒なもん振り回しちまったし」
「今すぐ離れろ!」
「え、もう拭いちゃった」
「そういう問題ではない!」
リカルドが本気で怒り、ゼノが笑いながら逃げる。つい先ほどまで包帯だらけだった人と、黒い外套を纏った怪しい人が、今度は回廊で追いかけ合いを始めそうになっている。その光景があまりにいつも通りで、シアは涙の残る顔のまま吹き出してしまった。
「笑ってる場合か。顔洗ってこいよ」
隣に残ったリアムが、呆れたように言った。
「リアムのせいでもあるんだからね」
「何で俺だけ」
「三人のせい」
「じゃあ三人って言えよ」
そう返しながらも、リアムは少し笑っていた。
明日になれば、千年祭が始まる。
ルーファスがそれまでに目を覚ますのかは、まだ分からない。今日も目覚めることはなかったし、リカルドが調べている黒い線の正体も明らかになっていない。ルーファスのことは何ひとつ解決していないのだから、本当なら安心できる理由などないはずだった。
それでもシアは、東棟へ続く回廊の先を見つめながら、昨日までより少しだけ胸を張って歩ける気がした。
ルーファスの場所は、まだそこにある。
誰かを代わりに据えることも、ルーファスがいなくなったことにする必要もない。彼がいつ目を覚ましても戻ってこられるように、その場所を空けたまま明日を迎えられる。
そして、それを願っているのは自分だけではなかった。リアムも、リカルドも、ゼノも、同じようにルーファスの帰りを待っている。
「明日、起きるといいね」
シアが言うと、少し先を歩いていたゼノが振り返った。
「起きなかったら?」
「明後日を待つ」
「明後日も駄目だったら?」
「その次」
迷わず答えると、ゼノは目を細めて笑った。
リアムが「その前に原因を見つけるだろ」と言い、追いついてきたリカルドが「見つけます」と訂正するように続ける。
シアも笑った。
明日の祭りに、ルーファスはいないかもしれない。それでも、彼の場所を残したまま前へ進むことはできる。
いつか帰ってきたとき、昨日までと同じ顔で迎えられるように。




