ジエンド オブ ザマッチ
ヨーロッパの澄んだ空の下、国際的なチェリストとしてその名を轟かせるようになった水瀬綾人は、今日もまた、戦場のような屋敷の中で朝を迎えていた。
あれから数年——。
かつての音楽院での「グローバル修羅場」は、奇跡的なまでの均衡(という名の飽くなき妥協)を経て、一つの巨大な「家庭」として完成されていた。
郊外に構えた広大な洋館。その住人は、世界的チェリストの綾人と、彼を「飼育」する五人の妻たち。
「……綾人、朝食よ。今日はあなたの大好物、トリュフをたっぷり使ったリゾットよ」
キッチンから現れたのは、かつての幼馴染・琴音。今や、綾人の健康を管理するだけでなく、その胃袋を完全に支配したカリスマ料理家として名高い。
「お兄ちゃん、ネクタイ曲がってる! ほら、私が結んであげるから」
背後から抱きついてくるのは結衣。彼女は今や、綾人のマネージャーとして、彼のスケジュールを秒単位で管理している。
「センパイ、今日のコンクールの衣装、アイロンかけておいたッスよ。……あ、もちろん私が触ったから、いい匂いが移ってるッス♡」
凛は世界的楽団の首席チェリストとして、綾人と競い合い、支え合う最高のパートナーとなっていた。
「水瀬くん、今日の午後の取材の回答案を作成しておいたわ。……といっても、メディアがあなたをどう描くかは、私(編集長)のさじ加減一つだけどね」
執筆業に転身した志乃が、妖艶な微笑みとともに原稿を差し出す。
「……ダーリン、私の家がスポンサーになっている楽団への出演、忘れないでね?」
セシリアは相変わらずの傲慢さと愛らしさで、綾人の背中に頭を預ける。
綾人は冷や汗を流しながらも、完璧な「マエストロ・モード」の微笑みを浮かべた。
「みんな、いつもありがとう。……でも、少しは俺一人にしてくれないか? チェロの練習に集中したいんだ」
「ダメよ」「ありえない(ッス)」「無理ね」「NOよ!」
五人の声が完璧にシンクロする。
平和で、華やかで、しかしどこまでも息が詰まるような、幸福な監獄。
「お父様ぁー!!」
ドタバタと駆け寄ってきたのは、廊下の先から現れた小さな影——綾人と彼女たちの間に生まれた、五人の子供たちだった。
見た目は天使のように可愛らしい彼らだが、その瞳には、親譲りの「異常なまでの執着」の光が宿っている。
「お父様、僕のバイオリンを聴いて! お父様が一番に聴いてくれないと、僕、悲しくて……死んじゃうかもしれない!」(琴音の息子)
「お父様のチェロケース、今日から私が磨いてあげる! 他の誰にも触らせないっ!」(結衣の娘)
「パパ! 私のピアノ、パパの旋律に合わせて弾くの! ずっと、ずっとよっ!」(凛の娘)
「お父様、明日の授業参観、誰がお父様をエスコートするか、私たちが賭けで決めてきたの!」(志乃の息子)
「お父様、私のティーセットでお茶を飲んでくれるわよね? 拒否権なんてないわ!」(セシリアの娘)
「……ッ!!!」
綾人は額に浮かんだ脂汗を拭った。
ヤンデレヒロイン五人を制するだけでも命懸けだったのに、今度はその遺伝子を完璧に受け継いだ、ミニチュア版の「次世代ヤンデレ軍団」まで襲いかかってくるのだ。
「お兄ちゃん、今日の夜、私と子供たちのどっちを優先するの?」
「綾人、家庭内不和は、私が一番許さないわよ」
「センパイ、子供たちには負けないッスよ?」
「水瀬くん、そろそろ教育方針について『夜の家庭内議会』を開く必要がありそうね」
「ダーリン、選んで?」
五人の妻と、五人のヤンデレな子供たち。
合計十人から向けられる、逃げ場のない「世界で一番甘くて、世界で一番重い愛」。
綾人は諦めた。そう、いつの間にか「愛の園」の檻の中で、一生かけてその愛を奏で続ける運命にいたのだ。
「……よし、わかった。全員の愛を、俺のチェロでまとめて引き受けてやる」
チェロを弓で力強く弾き鳴らす。
その音色は、かつてないほど雄大で、狂おしく、そして幸福に満ちあふれていた。
——愛し、愛され、管理され、管理し返す。
水瀬綾人の、愛の檻からの脱出劇は、こうして「最も幸福で、最も抜け出せない家族の絆」という形で、終わりを迎えたのである。
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