事案3:後輩のひたむきな情熱
放課後の旧校舎。
綾人はチェロの合同練習のため、いつもより少し早く音楽室へと足を運んでいた。
防音扉の向こうから、重厚で美しい旋律が漏れ聞こえてくる。
そっとドアの窓から中を覗き込むと、そこには一人でパイプ椅子に座り、チェロを弾く瀬戸凛の姿があった。
いつものように「先輩の匂いで興奮するッス♡」とまとわりついてくる、あの粘着質で小悪魔的な後輩の面影は、そこには一切なかった。
夕陽が差し込む音楽室で、ただ一人音楽と向き合う凛の横顔は、張り詰めるほど真剣で、どこか神聖さすら帯びている。
難しいフレーズに差し掛かり、凛の眉間がキュッと寄る。
弓を動かすたびに、彼女のしなやかで健康的な体が躍動し、ショートカットの髪がふわりと揺れる。首筋を伝う一筋の汗が、夕陽に反射してキラリと光った。
(……瀬戸さんって、一人で弾いてる時は、こんなに……綺麗だったのか)
綾人はドアノブに手をかけたまま、完全に釘付けになっていた。
いつもは過激なスキンシップばかり警戒していたせいで気づかなかったが、こうして見ると、彼女は息を呑むほど魅力的な、一人の美しい少女だった。
やがて、凛が弓を大きく引き切り、見事に難所を弾き終えた。
「……ふぅっ!」
凛は小さく息を吐き出すと、満足げにパァッと顔を輝かせた。
それは、綾人を誘惑する時の歪んだ笑みでも、マウントを取る時の悪い顔でもない。純粋に自分の演奏に納得できた、年相応の100%ピュアな達成感の笑顔だった。
「あ……」
その飾り気のない、ひたむきで眩しい笑顔を見た瞬間。
ドクンッ。
綾人の胸の奥で、またしても特大の警鐘が鳴り響いた。
(ヤバい……今の瀬戸さん、すげぇカッコよくて、その……色っぽすぎる……っ!!)
一生懸命な後輩の姿。汗ばんだ肌の生々しさ。そして、あの嘘偽りのない無防備な笑顔。
それらが化学反応を起こし、綾人は心臓の鼓動を抑えきれない。
「……先輩? そこで何してるんスか?」
不意に凛がこちらに気づき、小首を傾げた。
その瞳はまだ音楽の余韻に浸っており、ヤンデレのスイッチは入っていない。ただ純粋に、慕っている先輩を見つけた子犬のような、きらきらとした目をしている。
「あ、いや……瀬戸さんの演奏が、あまりにも凄くて……見とれてた」
綾人は音楽室に足を踏み入れた。
理性が溶けて、今は、ヤンデレだからとか、修羅場になるとか、そんな事はどうでもよくなるほど、今の彼女は魅力的に見えた。
「瀬戸さん……」
「……あっ」
凛が、綾人の熱を帯びた瞳に何かを察したようにハッとした。
次の瞬間。凛のピュアだった瞳が、スゥッと細められ、いつもの『限界突破のヤンデレ後輩』のそれに切り替わった。
「あはっ♡ 先輩、顔真っ赤ッスよ? もしかして……汗だくでハァハァしてる私の姿をこっそり覗き見して、欲情しちゃったんスか?」
「——ッ!!?」
凛はチェロを横に置くと、綾人の伸ばした手を両手で絡め取り、自分の胸元へとグイッと引き寄せた。
「センパイもやっぱり男なんスねぇ……♡ いいッスよ、私の汗の匂い、直に嗅いでみます? それとも……ここで私にめちゃくちゃにされたいッスか?♡」
「ばっ、ばか!! 違う! 今のは純粋に演奏に感動して……っ!!」
綾人はバネが弾けたように飛び退き、後ずさった。
(危なかった……! あと数秒あのピュアな顔のままだったら、俺の方から抱きしめてた……!!)
ギリギリ持った理性に綾人は自分で自分を褒めた。
お読みいただきありがとうございました。
もし「面白かった!」「続きが読みたい!」と思っていただけましたら、ページ下部にある【ブックマークに追加】や、【☆☆☆☆☆】の評価を押して応援していただけると、今後の執筆の何よりの励みになります!
次回もどうぞよろしくお願いいたします。




