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神式駆動カーニバル【第二幕完結】  作者: 三枝零一
壱ノ舞

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神話の空で君に出会う⑤

 ……どこかで泣き声が聞こえる。

 かすかな、消え入りそうな声で、少年が必死に謝罪の言葉を繰り返している。


 病室の白いベッドの上には傷だらけの老人が幾つもの管に繋がれて横たわっている。少年はその隣に座って、膝の上で握りしめた拳を震わせている。

 

 主治医の先生が部屋に入ってきて、無言で首を左右に振る。少年が白衣に縋り付いて泣き叫んで、先生が一言だけ謝罪の言葉を口にする。

 先生と看護師さんが病室を出ていって、後には啜り泣く声だけが残される。


 ああ、ってやっと気付く。

 泣いているのは、僕だ。


     *


 神職は量子神道技術の専門家。その中でも僕が教わったのは陰陽道──神卸かみおろしを使って戦う技だ。

 東方神域戦争が終わってからまだ十年しか経っていない日本では田舎の方に行くと誰も管理しなくなって暴走した式神とか半生物の兵器とかが山に住み着いて野生化したりしてて、そういうのが普通の人たちに被害を及ぼすなんてことがよくあった。


 地元の警察とか駐留軍とかが手に負えなくなるとみんなは祖父ちゃんに助けを求めてきた。祖父ちゃんは修行だって僕を手伝いに連れて行って、戦い方のコツなんかを教えてくれた。


 だからそれは、いつもと同じ一日で。

 機械化されたその蛇の化け物の中に埋め込まれた爆弾に僕が気付いた時には、何もかもが手遅れだった。

 

『……宗一郎、泣かんでええ』


 病院に担ぎ込まれた祖父ちゃんの体は焼け焦げて、誰にも手の施しようがなかった。

 火傷よりももっと酷かったのは爆弾の中に仕込まれていたものすごい密度の呪詛で、そいつは祖父ちゃんが長い修行で体にたくわえた神性をあっという間に毒に変えてしまった。


『お前はよう頑張った。そうだろ? あの化け物を一人でぶっ倒したのも、周りの森を焼き払って呪いが広がるのを止めたのも、全部お前じゃねえか』


 祖父ちゃんはかろうじて無事に残った左手で頭を撫でてくれたけど、僕はうつむいて泣くことしかできなかった。


 僕が使えるのは火之迦具土神ほのかぐつちのかみの神威──炎と熱、荷電粒子の操作だけ。

 だから、僕をかばって祖父ちゃんが飛び出した時、その背中をただ見ていることしかできなかった。


 父さんと母さんが死んだ時と何も変わらない。

 あんなに必死に修行したのに、あんなに色んなことを教わったのに、僕は祖父ちゃんに守られるだけで、守ることが出来なかった。


『向き不向きってのがな、人にはあるんだわ。お前はカグツチ様に選ばれた。そいつはお前の天命だ。……良いじゃねえか。あんな見事な神卸は、俺にはとうとう出来んかった。人にあだなす化け物共を荷電粒子砲でぶっ飛ばす。男のロマンだろうが』


 そんなふうに、祖父ちゃんは土気色の顔で笑う。

 だけど祖父ちゃん、僕はやっぱり悔しいんだ。

 もっと色んなことが器用に出来るとか、もっと別な神様の力を借りられるとか、あと少しだけ何かがあったら祖父ちゃんを助けられたんじゃないかって、そんな風に考えないではいられないんだ。


『無い物ねだりってんだ、そういうのは。……人には天命がある。お前が授かったのは倒す力だ。守るだのかばうだの、そういうのはな、別の誰かに任せなきゃいけねえんだ』


 でも祖父ちゃん、僕は誰かを守るとかかばうとか、そういうのが良いんだ。

 天命なんて、誰が勝手に決めたの?

 神様のことだから、神様が決めたの?

 

『神様じゃあねえな。人と神との縁を結ぶってんだから、そいつはもっと、ずっと上。……あめと、つちと。つまりはこの世界そのものだ』


 何だよそれ、ってまた泣く。

 そんなの、どうしようもない。

 僕は神職の見習いだから神様と話は出来るけど、世界に通じる言葉は知らない。

 世界に選ばれるには、どうすれば良いの?


『そりゃあ俺にもわからねえ。世界ってのは気まぐれだからな。……人に出来るのは積み重ねることだけ。選ばれた時に間違えねえように、預かったものを正しく使えるように、自分の中に蓄え続けることだけだ』


 蓄えるって、何を?


『そりゃお前、努力とか、祈りとか、善行とか……とにかく、何か良い物をだ』


 干からびたしわだらけの手のひらが、涙でぐしゃぐしゃになった僕の頬を撫でる。

 思わずその手を掴む僕に、祖父ちゃんは小さくうなずいて、


『難しく考えんでいいし、背伸びせんでもいい。……今日の自分は昨日の自分よりほんの少しだけ良い物であるように。明日の自分は今日の自分よりほんの少しだけ良い物であるように……そうやってな、少しずつ、少しずつ、あめつちに近付くんだ』


 祖父ちゃんがいきなり激しく咳こんで、枕元のモニターが真っ赤に点滅する。主治医の先生と看護師さんたちがやって来て、祖父ちゃんを手術室に運んで行く。

 それが、最後に見た、まだ生きてた時の姿。

 泣いてすがる僕の頬をもう一度だけ撫でて、祖父ちゃんは元気な頃と同じ顔で笑った。

 

『宗一郎……毎日積み上げるんだ。休まず、くじけずにな。……そうしたら、いつかお前にも世界の声が聞こえらぁ。──ここに、お前の天命があるぞ、ってな』


     *


 前触れもなくほとばしった光が、世界を満たした。

 こんの翼が放つ爆発的な神性をはね除けて、眩い光がほとんど物理的な圧力をもって僕の体に真上から叩きつけた。

 

 衝撃に吹き飛ばされそうになり、両足を強く踏みしめて体を支える。

 光の中に目を凝らし、息を呑む。

 見上げた先には、ちょうど僕の両手の間に収まるくらいの、輝く銀色の金属の板。

 タイルみたいに連なったその平らな物体──祖父ちゃんと見た古いアニメに出てくるロボットみたいな装甲板が、振り下ろされた無数のひれを残らず受け止めている。

 

 呆然と見上げる僕の前で、数百枚の神符が空中に整然と列を成す。さっき僕がばらまいてしまった神符が互いを光の糸でつなぎ合わせると、光は薄く広がって次々に新たな装甲板を形作っていく。

 輝く装甲が重なり合うにつれて、巨大な構造が次第に姿を現していく。

 生み出されるのは、僕の身長の数倍はある大きな機械の右手。

 銀色の装甲に包まれた優美なシルエットが、五本の指を滑らかに動かす。


 頭上から地響きみたいな風の唸り。大きくうねったこんの翼が、絡みつく黒い糸の最後の数本を引きちぎる。

 虹色の羽に覆われた山脈みたいな偉容が、今度こそ僕を押し潰そうと容赦なく迫る。

 とっさに黒い足場から飛び降りようとするけど、間に合わない。

 僕は反射的に目を閉じ、無我夢中で右手を頭上に突き出して──


 鳴り響く轟音。

 予想していた衝撃がいつまでたっても襲って来ないのに気付き、僕はゆっくりと目を開けて、


「……な……」

 

 ぽかんと口を開ける。

 頭上には、真っ直ぐ天を示す銀色の機械の右手。

 たったの人差し指一本──それが、空を覆い尽くすこんの翼を真正面から受け止め、微動だにせず支えている。

 

 思わず自分の右手を横に払った瞬間、機械の右手が全く同じ動きを示す。

 輝く指に押しのけられたこんの一キロメートルあまりの翼が、すさまじいスピードで真横に吹き飛ぶ。

 衝撃に半ばでちぎれた翼が、光の粒子に溶けながら彼方へと飛び去っていく。

 苦悶の叫びをほとばしらせたこんが、巨体を激しくくねらせる。


「って、うわ──!」


 激しい大気のうねりに黒い糸が完全に消し飛んで、僕が立っていた小さな足場も消滅する。

 支えを失った体が山脈みたいなこんの体の側面に沿って真っ直ぐに自由落下し──


 ふわりと、体を受け止めるしなやかな感触。

 転がった格好のままおそるおそる視線を巡らせ、自分が輝く銀色の手のひらの上に受け止められているのに気付く。

 慌てて金属の手の中で身を起こし、周囲を取り巻く巨大な五本の指を見つめる。僕を支えているこいつはどうやら左手らしい。こんの翼を吹っ飛ばした右手はまだ頭上の遠い場所にあるし、第一、指の並びが違う。


 右手をゆっくりと上から下に動かしてみると、機械の右手がそれにあわせて滑らかに降下し、僕と同じ高さで静止する。

 と、激しい羽ばたきの音。

 大きな鷲に乗ってものすごいスピードで突っ込んできた先輩が、巫女装束を翻して僕の前に素早く飛び移る。


「御厨君──!」

「先輩! 良かったです、無事……」


 言い終わるより早く、両肩を強く掴まれる。

 目を丸くする僕に、氷川先輩は日本人形みたいな端正な顔を紅潮させて、


須佐之男命すさのおのみことが応えたっていうのかい……? 君に?」

 僕の体を前後に強く揺さぶって、

「御厨君、何をしたんだ! いったいどうやって!」

「せ、先輩! 落ち着いて下さ──」


 自然に声が止まる。

 先輩は今、何て言った?

 その神の名は、三名家の一つ、氷川家が奉る──


「……三機神、スサノオシステム。東方神域戦争で百万の敵を葬り去った、最強の『神』だ」


 いきなり頭上から声。

 極彩色の鳥の背に片膝をついた狐面の男が、僕と先輩を真っ直ぐに見下ろし、


「葦原の決戦で氷川家より失われたと聞いていたが……何が起こった?」

「さあね! 私にもまるでわからないよ!」

 

 不敵な笑みで叫び返した先輩が巫女装束の袖からものすごい数の神符をばらまく。空中を渡った符が機械の左右の手に貼り付いて、見る間にパーツを継ぎ足していく。

 輝く手首の先に連なる、十メートル以上もある銀色の金属の腕。

 表面を覆う現代的なデザインの鎧には、吹き荒れる嵐を模した精緻な紋様。


「なるほど、まだ肘から先を現界させるだけで精一杯みたいだね」

 先輩は僕たちの足場になっている機械の左手と傍らに浮かぶ右手──二つの手首にそれぞれ繋がる輝く腕を見比べてうなずき、

「けれど十分。……さあ! やろうか御厨君。化け物退治だ──!」

「え……え!?」


 瞬きする僕の正面で、視界を覆うこんの半透明の巨体が激しくうねる。輝く鱗に覆われた山肌みたいな体表が波打つと、無数の巨大なひれが雪崩を打って僕たちの頭上に振り下ろされる。


 思わず先輩を庇おうと右腕を突き出した瞬間、その動きに呼応するみたいに機械の右腕が空を薙ぐ。

 金属の軋む音も、風を叩く音も無く、流れる水みたいにゆったりと宙を泳いだ機械の腕が、間近に迫ったひれの先端に手のひらを添えて上から下へと押し流す。


 ただそれだけ。それだけの動きで、巨大なひれどころかその先に連なる山脈みたいなこんの巨体までもが、物理法則をまるっきり無視して轟音と共に真下に吹き飛ぶ。

 見下ろす遙か先、彼方に広がる真っ青な海を背景に、半透明の大魚が狂ったみたいに体をねじ曲げてのたうち回る。

 

「あ、あの! 先輩! 僕はどうすれば!」

「大丈夫! どうも何も、とても上手くやれているよ!」

 花が咲くみたいに笑った先輩が僕の背中に手のひらを添えて、

「良いかい? 須佐之男命すさのおのみことをイメージするんだ。きみが思う形で良いから、今はまだ存在しない体とか頭とか足とか、その全体像を。……ゆっくりと息を吸って、吐いて。素晴らしいね、その調子だよ」


 先輩の言うとおりに呼吸を繰り返す内に、自分の中には存在しなかった力がどこからか流れ込んでくるのを感じる。

 見える。

 全長数百メートルの輝く巨体が。太古の装束の面影を残した未来的なデザインの鎧が、頭部を覆う仮面の奥に輝く二つの赤い目が。

 今の僕には扱いきることができない途方もない神性のあるべき姿が、確かに見える。

 

 眼下の遠くで甲高い叫び。身をよじって体勢を立て直したこんが、巨大な猛禽の目に黒い憎悪の光をたぎらせる。

 残った五枚の翼で大気を激しく叩き、全長数キロメートルの大魚が砲弾みたいに空を貫いて一直線に突っ込んで来る。


 先輩に向かってうなずき、足元を支える機械の左手をゆっくりと傾ける。

 滑り落ちた僕たちの体を、先輩が生み出した大鷲が受け止める。

 自由になった機械の左腕を動かして、右腕の隣へ。

 左右の手を前後に配置し、祖父ちゃんに習った古武術の、一番基本の構えを取り、


 ──衝撃。

 轟音と共に飛来したこんの巨大なくちばしが、広げた機械の左手のひらに正面から激突する。

 噴き上がった爆発的な神性が大気を激しく鳴動させる。垂直に天を睨むこんの数キロメートルの巨体は空を貫く柱そのもの。それを受け止める機械の手は大魚の前に差し出された小さな一枚の板切れに過ぎない。

 その板切れが、大魚の渾身の一撃を余さず受け止める。

 五枚の翼を羽ばたかせて必死に身をよじるこんを前に、輝く銀色の手は微動だにしない。


「御厨君! 今だよ!」


 先輩の声に応えて右手を振り上げると、呼応するみたいに動いた機械の右手が大魚に向かって手刀を構える。

 頭の中には輝く巨人──須佐之男命の姿。

 優美な右手に握られるのは、世に災いを成す八つ首の龍を葬ったと謳われる伝説の神剣。

 今の僕にはまだ扱えない尊いその名を、力の限り叫ぶ。


「──天羽々アメノハバキリ──!」


 光よりも早く振り下ろされた機械の手刀がこんの頭部を直撃する。

 輝く一筋の神性が、大魚の頭から尾の先までを一直線に走り抜ける。


 雷に打たれたみたい痙攣したこんが瞬時に動きを止める。不思議な物を見るように動いた大魚の目から光が消える。


 左右に真っ二つに裂かれた山脈みたいな巨体が、光に溶けて消える。

 静寂。

 崩れ落ちそうになった僕の体を、先輩の細い腕が強く抱きしめた。

 

        *


 大慌てで飛び込んだ展望デッキの中は、意外にも落ち着いた様子だった。

 僕は大鷲の背中からひび割れた床に降り立ち、中央に固まる乗客に駆け寄った。


「大丈夫ですか! 怪我をした人は──!」


 いきなり、わあ、っていう歓声。人垣をかき分けて飛び出してきた男の子が、勢いよくジャンプして僕の首に抱きつく。


「兄ちゃんありがとー! かっこいい、すっごいかっこいいよ!」

「うわ! ちょっと! ちょっと落ち着いて!」


 僕が助けたあの男の子だってすぐに気がつく。小さな体をそうっと床に下ろし、嬉しくなってちょっと笑う。


「おやおや、人気者だね」

 隣に追いついた先輩がくすりと笑い、展望デッキを見回してふと首を傾げ、

「けれど、不思議だね。もちろん御厨君は上手くやってくれたけれど、あれだけのことがあったんだから怪我人の一人や二人は……」


 確かに、って僕も首を傾げ、


「──氷川さん、そして御厨君」


 乗客たちの中から、静かな声。

 進み出てくる老婦人──最初にこの展望デッキで話をした人物の元気そうな姿に、僕は安堵の息を吐く。


「良かった、無事だったんで……」

「学園長──!?」


 先輩らしくない素っ頓狂な叫び。

 僕は思わず首を傾げ、老婦人の顔をまじまじと見つめて、


「……あ……」

 

 なんで今まで気がつかなかったんだろう。

 学園から送られてきた資料にあった小さな写真。もちろん服は違うけど、よく見たらパンフに載ってた学園長と全く同じ顔じゃないか!

 

「二人とも素晴らしい活躍だったわね。特に御厨君、本当によく頑張ったわ。花丸をあげましょう」

 柔らかく微笑んだ老婦人──いや、高天原学園の学園長が隣の先輩にちょっと意地悪な笑みを向け、

「ですけど、氷川さんは少し迂闊ね。特にこの展望デッキの守りに残しておいた式神を途中で引き上げてしまったのはいただけないわ。私が後を引き受けなかったらどうするつもりだったのかしら」


 うっ、って先輩が視線を逸らす。困ったみたいっていうかバツが悪そうっていうか、さっきまでのきりっとした雰囲気とは違ってなんだか可愛い。


「……御厨君、失礼なことを考えてはいやしないかい?」

「考えてません!」


 思わずびしっと姿勢を正す。

 と、背後の遠くで幾つもの羽ばたきの音。

 振り返った先、砕けた窓の向こうで、極彩色の鳥の群れが慌ただしく翼を広げる。


 傷だらけの狐面の集団を乗せた鳥が、次々に空の向こうへと飛び立っていく。この展望デッキには先輩が最初に気絶させた連中がいたはずなんだけど、そいつらもいつの間にか脱出したみたいで見当たらない。

 

 最後に残ったリーダーの男が、鞘に収まったままの直刀を挨拶みたい掲げて瞬く間に視界の彼方に消える。


「まあ良いでしょう。ここの乗客を守るのには彼らの手も借りたわけですし」

 苦笑した学園長がいきなり真剣な目を先輩に向け、

「それはともかく……氷川さん、これからが大変よ? ご実家にはきちんと連絡をしないといけないし、御厨君にも説明が必要よね?」

「そ、それは……はい……」


 不承不承って感じでうなずいた先輩が、どうしてだかものすごく困った顔で僕を見下ろす。


「え、どうしたんですか」

「……御厨君。本当に申し訳ないのだけれどね」


 しばしの沈黙。

 先輩は緋色の袴を指先でつまみ、なんだか恥ずかしそうにうつむいた。


「こうなってしまった以上、きみには私の夫になってもらわなければならないんだ」


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