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神式駆動カーニバル【第二幕完結】  作者: 三枝零一
壱ノ舞

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神話の空で君に出会う③

 操縦室を飛び出した僕の前に、異様な光景が広がっていた。

 船首付近にあるこの操縦室から船尾へと向かう真っ直ぐな道──僕たちが展望デッキから走ってきた白塗りの通路は火で炙った蝋細工みたいにねじ曲がり、いたる所で壁や床が半透明になって、あるいは完全に光に溶けて崩壊してしまっていた。


「な……」


 息を呑む僕の目の前を輝く巨大な何かが横切る。壁みたいに迫る正体不明の存在から身をかわそうとして、すぐにそいつが実体を持たない神性だけの存在だっていうことに気付く。

 視界の上下左右を果てしなく覆う、無数の輝く鱗に覆われた魚類の体表。

 それが、崩壊を始めた船と重なり合うみたいに存在して、悠々と身をくねらせている。


 一際大きな崩落の音があって、通路の天井に大きな穴が生まれる。吹き飛んだ金属のパネルが落下するより早く光に溶けて消滅する。

 見上げた穴の向こうには、澄み渡った青空と白い雲。

 おかしい。天鳥船の構造を考えればこの通路の上には何層か別な区画があるはずなのに、そういう物がまとめて消え去ってしまっている。


「参ったね、これは……」


 隣で呟く先輩の頬を汗が伝う。細い指が巫女装束の袖から神符の束を取り出すと、数十枚の符は一塊になって人の倍くらいもある大鷲に姿を変える。

 先輩は操縦室から出てきた二人のパイロットを振り返って、


「展望デッキの切り離しは?」

「完了しました! ですが、艦内にはまだ見学ツアーのお客様が!」


 リストです、って差し出される紙の名簿に素早く目を通した先輩がうなずき、


「私と御厨君が引き受ける。きみたちはこいつで避難を!」


 小さく敬礼したパイロットたちが鷲に飛び乗って背中にしがみつくと、鷲は天井の穴から空の向こうへと飛び立つ。

 見る間に小さな点になる大鷲のすぐ近くに、馬鹿でかい円形の展望デッキが浮かぶ。

 緊急時には切り離して脱出艇になるっていうのは確かに乗船時の説明で聞いたけど、全然現実感が無いっていうか、祖父ちゃんと見た昔の映画に出てくる宇宙人のUFOみたいだ。


「さあ! 急ごう御厨君!」


 先輩の声に我に返り、後に続いて通路を走り出す。

 展望デッキからここまでやって来たのとは別の、天鳥船のエンジンルームがある中央ブロックに向かう通路。

 壁も天井も床も、何もかもが光に溶けて、立体映像みたいに不規則に揺らめいている。

 

「ど、どうなってるんですか、これ!」

 

 目の前にまたしても光で編まれた巨大な魚類の体表。強引に突っ切ろうとした瞬間、先輩の手に体を引き留められる

 鼻先をかすめる空気のうねり。さっきの神性だけの存在とは違う。この魚の鱗には、所々で確かに実体がある。

 注意してよく見てみれば、光に溶けた壁は少しずつ魚の体表に吸い込まれている。

 間違いない。

 信じられないことだけど、この天鳥船は()()()()に変質し始めている。


「『コン』だよ、御厨君」


 今日聞いた中で一番余裕のない、切羽詰まった先輩の声。 

 顔を向ける僕に、氷川先輩はかすかに強張った顔で、

 

「さっきのパイロットが言っていただろう? 『こん』──中国の神話にある伝説上の大魚だ。頭から尾の先まで実に数千キロメートル。北の果ての海に住むと言われているね」

「待ってください、なんでそんな物が」

こんは魚であると同時に鳥でもあるからだよ」

 

 先輩は周囲に何枚もの神符を飛ばして通路の構造を安定させながら、


鯤鵬こんぽうという言葉があるんだ。こんは大魚、ほうは同じくとんでもない大きさの伝説の鳥なんだけど、古代中国の『荘子』という書物にこの魚と鳥に関する記述があってね。……こんは成長するとほうになって、南の果ての海を目指して飛び立つというんだ」

「それって……」


 すぐに気がつく。

 魚は海を行く物、鳥は空を行く物。

 ちょっと強引に解釈だけど、確かにそれは「空を行く船」──天鳥船に近しい神性だと見なせないこともない。


「この天鳥船には安全のために何重ものセキュリティが掛けられていてね、操縦室やエンジンルームをいくら乗っ取ったって好き勝手は出来ないんだ。決まった航路を外れるのは不可能だし、出力も大幅に制限されている」


 先輩は緋色の袴をはためかせて床の大穴を優雅に飛び越え、


「けれど、もし天鳥船の神性を別な神性で丸ごと上書きできるなら、そんな制約は全部ご破算だ。主動力である祈願炉のリミッターは無視出来るし、どんな無茶な命令も思いのままさ。……例えば、高天原に突っ込んで自爆しろなんてこともね」


 息を呑む。

 だけど、僕はすぐに首を左右に振って、


「いや、でもおかしいですよ! だって、あの解放戦線っていう人たちは人質を取って政府と交渉するつもりだったんですよね? それが失敗したからって、いきなり天鳥船を暴走させようとかめちゃくちゃ過ぎです!」


 それに、って心の中で付け加える。展望デッキで戦った神格解放戦線のリーダー。あの人は乗客たちを傷つけなかったし、子供を撃とうとする部下を止めようとしていた。

 もちろん、単なる思い込みや希望的観測かも知れない

 だけど、あの人が追い込まれたからって軽々しく暴挙に走る人だとは思えない。


「そう、問題はそこだったんだ。穏健派の解放戦線が乗客の命も厭わずなんておかしな話だからね。……だから私も気がつくのが遅れた。全く、迂闊だったよ!」


 走りながら次々に神符を飛ばしていた先輩がいきなり足を止める。僕もすぐに気がついて、右手側の扉を体当たりするみたいにして押し開く。

 会議室っぽい部屋の隅には、寄り集まって震えている何人かの子供たち。


「やあ、きみたち無事だね? 怪我はないかい? よし!」


 わあっ、って泣き出す小さな女の子の背中を、先輩がよしよしって何度も撫でる。その間に僕はプラズマナイフを一閃、通路の天井に脱出のための大きな穴を開ける。

 先輩が神符をばらまいて大鷲を生み出すと、子供達を乗せた鷲が素早く飛び立つ。


「にしても、御厨君は本当に火之迦具土神ほのかぐつちのかみ以外はさっぱりなんだねぇ」

 それを見送った先輩が唇に指を当てて小首を傾げ、

「もうちょっとだけ手伝ってもらえると私も楽なんだけれど」

「す、すいません!」


 おもわず頭を下げる。祖父ちゃんもけっこうがんばって教えてくれたんだけど、どうも僕は不器用っていうか、低位の式神を呼び出すとか簡単な結界を張るとか体を強化するとか、そういう神職の基本的な技術がさっぱりなのだ。


「い、いや! そんなに深刻にならないでくれたまえ! ただの冗談なんだから!」

 と、先輩はどうしてだかものすごく慌てた様子で、

「人には向き不向きというのがあるのだからね。さあ! 急ごう!」


 駆け出す先輩の後を追って、揺らめく光の通路を走る。途中で出会った乗客を次々に助け、幾つもの扉をくぐってとうとう通路の終点にたどり着く。

 先輩が両手で複雑な印を結び、パイロットから預かった乗客リストの上にかざして「よし」ってうなずき、


「逃げ遅れの乗客なし。……行こうか、御厨君」

「はい」


 目の前には、ここまでに見たのとは全然違う、重厚な白木の扉。

 中央ブロックに通じる隔壁の開閉スイッチに手を触れた途端、開いたわずかな隙間からとんでもない密度の神性があふれ出る。

 先輩と顔を見合わせてうなずき合い、同時に中に飛び込む。

 途端に視界に飛び込む、赤と金に彩られた壁の意匠。

「エンジンルーム」なんて軽い響きとは裏腹に、天鳥船の心臓部である広大な空間は、神社の祭殿みたいな荘厳な空気に包まれている。

 

 艦内の他の場所とは違って、このエンジンルームだけは光に溶けることもなく原型を保っている。

 奥行きはたぶん数百メートル、天井の高さは三階建ての家くらい。

 朱塗りの柱が整然と並ぶ空間の向こうから、爆発的な神性を伴った超高圧縮の祝詞が暴風みたいに叩きつける。

 

「先輩、あれ!」

 

 後ずさりそうになるのを踏ん張ってこらえ、エンジンルームの一番奥を指さす。

 溢れる眩い光の向こうに、黒くて四角い巨大な立方体が浮かぶ。

 あれが天鳥船の主動力装置──「祈願炉」。

 頂点の一つを支えにゆっくりと回転を続ける立方体が、真昼の太陽みたいに輝く。


 量子神道技術で作られたこの船は、もちろん大昔の飛行機みたいに化石燃料を燃やして飛ぶわけじゃない。全長一キロ近い船体に神性を与え、空に浮かべているのはご神体として奉られたスーパーコンピュータだ。

 高密度に圧縮された祝詞を超高速演算回路でぶん回し、得られたとんでもない量の神性を使って船の巨大な船体を丸ごと一つの神に見立てる──そういう大儀式のために用意されたシリコン素子の集積体、それが祈願炉。


 だけど、僕が指さしたのはそれじゃない。

 回転を続ける祈願炉の手前、十人くらいの狐面の集団が、互いの肩を支えて足を引きずるみたいにしてこっちに進んでくる。


「やあテロリスト君! 苦労しているようだね!」


 とっさに身構えようとする僕を手で制して、先輩が一歩前に進み出る。

 驚いた様子でアサルトライフルを構えようとする狐面たち。

 だけど、一番前に立つ男──あの不思議な形の直刀を携えたリーダーが先輩と同じように仲間の動きを制し、


「下がれ! この先は無理だ。もはや人の立ち入れる領域ではない!」

「その口ぶりだと、きみも一足遅かったようだね!」

 先輩は神符を放り投げて狐面たちの背後、祈願炉を取り囲む位置に次々に結界を張り、

「祈願炉のリミッターを解除した連中は? きみが始末したのかい?」

「……お見通しか」


 狐面のリーダーは肩をすくめて、


「神性に呑まれて勝手に消し飛んだ。……どうやら自分達が何をしようとしているのか、雇い主に知らされていなかったようだな」

「操縦室で死んでいたきみの仲間は鯤鵬こんぽうに捧げるためのにえかい?」

「おそらくな。……むごいことをする」


 二人のやりとりを僕はぽかんとただ聞く。

 わけが分からない。祈願炉を暴走させてるのもこの天鳥船を魚の化け物に変えようとしてるのもこいつらじゃないのか?


「御厨君。彼は……と言うより、神格解放戦線は()()()()()んだよ」


 と、そんな考えが通じたのか、先輩の声。

 細い指で周囲に新たに神符の束をばらまき、次々に複雑な印を形作って、

 

「彼らの組織にこの天鳥船の防衛システムを乗っ取る手段を提供して、今回のハイジャックを後押しした誰かがいたんだ。そいつらは同時に組織の中に裏切り者を入り込ませた。……彼らが展望デッキの乗客を人質に律儀に政府と交渉を進めようとしている裏で、祈願炉に鯤鵬こんぽうの因子を注入して天鳥船を暴走させる。最初からそういう算段だったわけさ!」


 叫んだ先輩が次々に新しい神符の束をばらまく。放たれた矢みたいにエンジンルームを駆け抜けた神符が祈願炉を取り囲む位置に次々に貼り付いて結界を補強していく。

 だけど足りない。

 無数の神符は見る間に黒く染まって、エンジンルーム全体が激しく鳴動を始める。


「……手遅れか。これはいよいよまずいね」

 先輩は青ざめた顔に汗の雫をにじませ、

「御厨君こっちへ! 来るよ!」

「え? 来る!? 来るって──!」


 とっさに叫び返した途端、細い腕に強引に抱き寄せられてしまう。

 体に押し当てられる柔らかい感触。

 慌てて見上げる僕を強く抱きしめ、先輩は険しい顔で輝く祈願炉を睨み──


 世界その物が捻れたみたいな、金属質のすさまじい異音。

 視界に映るありとあらゆる物が、光に溶けて爆ぜた。


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