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前編












 …突然だが、俺は今きっと天国に来ている。荒唐無稽な話であることは重々承知だが、まともな判断をするには今目の前に広がっている状況があまりにも異様だ。


 まず間違いなく地球上には存在しないであろう淡く黄金に輝く空間がどこまでも広がり、純白の雲が点々と神秘的な光を放ちながら浮かんでいる。その空間の中心、一際大きな雲の上に建っているのは荘厳かつ神聖な神殿だ。素人目に見ても分かる程上質な石で造られた柱はまるで天を支えるように力強く一本一本並び、壁や天井は光をそのまま材料にしたかのように輝きを放っている。


 そんな神話に登場するような場所にいる俺の姿は……人魂だ。四半世紀程連れ添った身体を失い、ぼんぼりのように鈍い光を放つだけの玉っころに成り下がっていた。意識ははっきりしている。しかし手足がなければ頭も、声帯もない。自分たらしめるものが綺麗さっぱりなくなってしまっているのに自我だけは今まで通りというのは何だか変な感覚である。


 さてこの常識では考えられない今の状況。何気ない日常生活の最中、ふっと意識がなくなったと思ったら次の瞬間にはもうこの有り様だったと言ったら信じられるだろうか? 俺は26歳のITエンジニア。残業で遅くなった深夜の帰り道にふとコンビニに立ち寄ったのが最後の記憶だ。そういえば意識を失う直前、暴走した車が俺目掛けて突っ込んでくるのを見たような気がする。年寄りの暴走運転による事故が近年増えているというニュースを見た覚えがあるが、俺もその被害に遭ってしまったのだろうか。


 となるとやはりこの状況は、あっけなく死んでしまった俺があの世に来てしまったということで正しいように思う。あまり善行を積んだ記憶はないが、見たところ少なくとも地獄行きというわけではなさそうで安心だ。


「迷える魂よ…。目が覚めたのですね」


 俺以外誰もいないはずの空間。そこへ不意に女性の声が響いた。鈴の音のように透き通り、柔らかく、慈愛に満ちた声。振り返るとさっきまで誰もいなかったはずの場所に大勢の人が現れていた。

 道の両脇にずらりと美男美女が並ぶ。彼らは主の言葉を待つ兵士のように目を閉じて、じっと同じ姿勢のまま動かない。その容姿も相まって一瞬彫刻かと思ったが、その背中に生えた立派な白鳥のような翼がふわふわとはためいていて、彼らが生きていることを教えてくれる。


 そしてその整列の先にいるのが恐らく先程の声の持ち主だ。間違いなくこの両端に仕える美男美女達の主。一人だけオーラというか存在感が違う。こんな神聖な神殿の中であってもなおも埋もれない、清らかで神々しい雰囲気を醸し出していた。


「…人の子よ、貴方は輪廻の理から外れてしまったようです」


 あ、この人女神様だ。


 その姿を見て、声を聞いて、一発でそう理解した。文字通り魂に刻み込まれたと言っていい。となると側に仕えているこの人達はさしずめ天使か。


 何せこの人、俺により声を届けるために近づいてきてくれたのだが、人間なら絶対に持つことができないであろう圧倒的な美を放っている。

 キトン、というやつだろうか。ギリシャ神話などに登場する女性が身につけている、白い布を巻きつけただけに見えるような服。それを見事に着こなしている。豊満な胸や白磁のような肌が眩しい太ももなど、ところどころ露出した女性らしい部分にドキリとさせられつつも、全体的に整った芸術作品のような上品さに心を奪われる。月光を束ねたような銀髪は右目を隠し、一本の太い三つ編みにまとめられて腰まで伸びている。ミステリアスというかより深く知りたくなるような魅力もあって大変魅惑的だと感じた。


「申し遅れました。私はセフィア。世界を見守る者です」

『……これはご丁寧にどうも。私は桜井(さくらい) (ゆう)と申します』

「ユウ、ですか。ふふ、素敵なお名前ですね」


 女神_セフィア様の姿に呆気にとられて遅れてしまったが、何とか名乗りを返す。声帯がないからか、合成音声をマイクに通したような独特の声が出てきた。それを聞いてセフィア様が嬉しそうに笑う。うわぁ、笑った顔もすごくいいなこの人。


『してセフィア様。”輪廻の理”とは一体どのようなものなのでしょうか?』

「あら、貴方は随分と冷静な方なのですね。今の状況もすぐに飲み込めていたようですし、素晴らしいですわ」

『むっ』


 セフィア様から情報を得ようとしたところ、そのように返されてしまった。確かに俺は生前から感情より論理を優先する典型的な理系タイプだ。周りの人間、同僚や友人から「お前、ロボットみたいだな」と評されることもしばしばあった。確かに普通このような異質な空間に突然放り込まれたら、状況の分析などできずに動揺するものなのかもしれない。三つ子の魂百までと言うが、俺のこの性分は死してなお付いてくるようだ。


 で、セフィア様は”輪廻の理”と俺の今の状況について丁寧に解説してくれた。

 まず、今いるこの場所は”天界”。セフィア様をはじめとした神々が住まう国だという。人間や動物が死ぬと、その魂はまずこの天界に回収されることになっているらしい。宇宙の星々1つ1つにその世界を管理する神様がいて、回収された魂はその生まれ故郷担当の神様の下へ届けられ、新しい生き物に転生という形でまた同じ星に生まれるシステムになっているのだとか。


 ではセフィア様が地球の神様なのか、といえばそうではない。どうやら今回、この輪廻システムにイレギュラーな事態が発生してしまったようだ。

 地球で生まれ、地球で死んだ俺は本来なら地球の神の下へ届けられるはずだった。しかし、この振り分け処理に何らかのエラーが発生し、地球とは何の関係もない世界の神であるセフィア様のところに俺がふらっとやって来てしまったということだ。こんな例はこの宇宙が始まって以来ほとんど見られない、極めて稀有な現象とのこと。

 26歳にもなって迷子、それも宇宙規模とは…。我ながら情けない。


『…申し訳ありません。ご迷惑をおかけしてしまって…』

「いえ、良いのです。貴方が悪いわけではありませんから」


 魂の姿で落ち込む俺をセフィア様は優しく慰めてくれる。何と慈悲深いお方だ。見た目だけでなく心まで美しいとはさすが女神。

 とまあ、こんな具合に、はぐれ魂となってしまった俺の処遇をセフィア様は決めかねているという状況らしい。死して天界へやって来た魂は生まれ故郷へ戻してやり、命は繰り返す。それが天界始まって以来の原則なので、地球の担当ではないセフィア様がおいそれと手を加えることはできない。流行りのラノベやアニメのように、「あら死んじゃったのね? しょうがない、私が転生させてあげましょ~」「わ~い、ありがとう女神様!」とはいかないらしい。


「ですので、この件の対応について上の者に問い合わせてきます」

『……ん? ”上の者”?』


 なんかセフィア様の口から気になる用語が飛び出た。この神聖な天界には似つかわしくない、会社内でよく聞くようなワードが。


「この案件は他の神々にも影響するため会議の議題に挙がるでしょう。であれば早急に資料をまとめなければなりませんね」

『あの……セフィア様?』

「輪廻システムに異常が起きたとすれば、その原因の洗い出しも必要…。一体どれ程の神員(じんいん)が必要になるのか…。他のタスクとの兼ね合いも……」

『セフィア様? 聞こえてらっしゃいます?』

「ユウさんの魂はどうするべきか…。当初の予定通りガイア様の下へ? だけど異常があったとはいえシステムの結果に背くなんてことが承認されるのでしょうか……」

『あの、もしもし……?』


 ふっと瞳からハイライトを消し、思考を整理するようにブツブツと独り言を続けるセフィア様。どうやら気のせいではなかったらしい。議題だのタスクだの、俺が日々の業務で聞き慣れた単語が次々飛び出してくる。先ほどまでただ美しいとしか思っていなかったセフィア様の顔ばせは、よく見るとうっすら隈が刻まれているように見えなくもない。

 この顔、社内システムに重要な欠陥があることが発覚した時の女上司の顔にそっくりである。懐かしいな、その時はただでさえ顧客から要望のあったシステムの開発でスケジュールカツカツだったのにそっちの対応にも追われることになって、連日連夜皆で残業したんだっけ。その時の女上司もこんな感じでブツブツ呟いてたな。


 先程までの神聖で神々しい雰囲気から一変、何だか一気に親しみやすくなったように感じる。神様ってもっと全知全能で何でもさらっとスマートにこなしてしまうイメージを持っていたが、その実情は俺達と同じ、タスクを抱えてスケジュールに追われているものらしい。現代人とまったく同じやんけ。


「かの者に祝福を」

『へ? うわっ』


 ふと顔を上げたセフィア様が俺に手をかざした。すると俺の魂が眩い光を放ち、ポンッと姿が変わった。見下ろしてみると生前より小さいが手や足がちゃんとある。身体を与えてくれたらしい。声帯もできたので声も出る。試しに何か喋ってみると、変声期を迎える前の小学生のような可愛らしいソプラノボイスが出た。


「ありがとうございます、セフィア様」

「一時的に貴方に天使の身体を与えました。申し訳ありませんが、対応が決まるまでこの神殿で待っていていただけますか? 地球の暦で言いますと……恐らく1ヶ月程で戻ってこられると思います」


 天使の身体か…。頭を下げた時にピカピカの床に反射して今の姿を確認することができた。美人よりも可愛い系の顔つきで、黒髪という日本人らしい要素を残しつつ男とも女とも取れるような中性的な容姿になっていた。背中に白い翼もしっかり生えていたが、周りの天使に比べて幾分か小さい。子供の見習い天使用の身体といったところなのだろうか、これは。


「1ヶ月…ですか」

「すみません、仕事の報告も同時にしてこようと思っていますので…。何か要望や不明点がありましたら天使達(かれら)にお申し付けください。貴方達、留守を頼みましたよ」


「「「はい、いってらっしゃいませ。セフィア様」」」


 ずっと微動だにしなかった天使達が一斉に頭を下げ、お辞儀した。ちょっと怖い。その様を見届けたセフィア様はキラキラとした光に包まれ、ふわっと消えてしまった。恐らく資料をまとめるなり上へ報告するなりに向かったのだろう。天使達は整列を崩し、あちこちに散っていく。持ち場に戻ろうとしているのだろうか。


「……待っていろと言われてもな」


 見知らぬ場所で見知らぬ身体になって一人ぼっち。スマホや本のような暇をつぶせるものも持っていない。こんな状況で何もせず1ヶ月待つというのはさすがに厳しい。忙しいのはノーセンキューだが、暇過ぎるのもそれはそれで御免被る。人間とは我儘な生き物なのだ。今は仮にも天使だけど。


 たくさんいた天使達はほとんどどこかへ行ってしまったが、一人だけ俺の近くに召し使いのように立って残っていた。いかにも好青年といった雰囲気のイケメン君だ。サッカーとか得意そう。セフィア様が何かあったら天使を頼れと言っていたので、彼がそのお世話役なのだろう。


「……あの、すみません」

「はい、何かご用でしょうか? ユウ様」


 俺が声をかけると恭しく礼をしてくれるイケメン君。俺を客人として丁重に扱ってくれるらしい。申し付けろといっても俺は天界について何も知らないからな…。自分がここで何をしたいのかまったく思いつかない。


「…何か私にお手伝いできることはありませんか?」

「え?」


 そんな状態で口から出たのは、お仕事ください、だった。イケメン君も目を丸くしている。

 手持ち無沙汰になったら周りの人に声をかけて仕事をもらえ。新人研修の時に教わったこの精神は魂にまで染みついてしまっていたらしい。





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