74.逝ける山
ユケル山。
それは王都にほど近い、小さな山だ。
はるか遠い昔には火を噴く山だったと言われているけれど、今ではまったくそんな気配を感じることはない。
春から夏、そして秋にかけては、王都の民が遊びに詰めかけてくるような人気の山だけれど、本格的な冬を前にして人気のほとんどない、寂れた山になっている。
そんなユケル山。
キャナリーの提案で、ショミンダと二人で退院したばかりのアーシュラを引っ張ってやって来たのは、もうすぐ冬休みになる、その直前のことだった。
二人は授業があるだろうから、そう言って断ろうとするアーシュラを力づくで連れてきたようなものだ。
「狼も熊も、猛獣はいないそうですし、野外実習の続きに丁度いいですね」
「だよね! 森の時も途中で終わっちゃったし!」
「二人とも強引だなぁ。病み上がりなんだから、もうちょっと手加減してくれ」
退院したといってもまだ完治には程遠く、アーシュラの顔や腕にはまだ包帯が巻かれている。その姿が何とも痛々しい。
またアーシュラのローブは真新しい生成りの物に変わっていた。三人で一緒に染めたあの赤いローブは狼たちによって激しく切り裂かれ、ズタボロになってしまったのだ。
キャナリーの緑のローブだって継ぎはぎだらけのまだら模様。あの時のままなのはもう、ショミンダの青いローブしか残っていない。
幸先が良いことに、しばらくずっと曇で閉ざされていた空には晴れ間も見えている。
でも三人の笑顔はどこかぎこちない。
「まずはこの山を登るとして、何をして遊ぼう?」
「魚釣り対決ですね! 釣り竿を三本持ってきました」
「私はね、これ!」
キャナリーが取り出したのは木でできた薄いお皿。
「お皿?」
「うん、そうだよ!」
「それで、どうするんだ?」
「えっとね、これをこうして、えいっ!」
キャナリーが勢い良く投げると、お皿はビューンと回転しながら遠くまで飛んで行った。
「飛んだな……」
「飛びましたね……」
「あ、あれ? おかしいな」
「で、どうなるんだ?」
「どうなるんでしょう?」
お皿はブーメランのように戻ってくるはずだった。だけど全くそんな気配はない。
「えへへ……。どっか行っちゃった」
トアール屋敷で試した時はちゃんと戻って来て、ポワポワたちと一緒に遊べたのに。
「リリス、お友達に頼んで……」
「無理モモ」
お皿は遊ぶ前にどこかに行ってしまった。
「あ、ほら! 川がありますよ! ここで魚釣りしましょう!」
「川なら負けないもんね!」
「私だって得意だぞ!」
…………。
……。
「釣れないね」
「釣れませんね……」
冬を前にして川の水はとても冷たく、どうにも魚たちの動きが悪すぎる。
さらに粘ってみたけれど、魚は一匹も釣れないままに終わった。
「あははは、まあ良いじゃないですか、こういう日だってありますよ!」
「だよね! てっぺんまで登ってみようよ!」
「そうだな、上まで行けば何かあるかもしれないしな」
山頂の付近には平らな草原が広がっていた。
春や夏とは言わなくても、せめて秋に来ていれば花が咲き乱れた美しい景色が見られただろう。
しかし今は冬。辺り一面の花どころか虫の声もせず、ただ茶色い枯れ草が寂しく風に揺れているだけだ。
「……どうする? もう帰ろうか」
「いえ、ちょっと待ってください!」
諦めようとするアーシュラを、慌ててショミンダが止めに入る。
「ねえリリス、精霊さんって近くにいないかな?」
「見当たらないモモ。何だかおじいさんのおじいさんみたいな山モモ」
ひゅ~と枯れた野原に冷たい風が吹き抜ける。
失敗。すべてが空回り。
天気は良かったのに。
でもそれだけ。
毎日丁寧に紡いで来た、そう思っていた大切な日常。キャナリーとショミンダの二人にとって、それはただの幻想に過ぎなかったんだろうか。
もちろんアーシュラにとっても。
「二人とも、聞いてほしい」
山を中腹まで下り、とある河原で夕食の支度をしながら、アーシュラが切り出した。
「二人の気持ちは良くわかっているつもりだ。でも私はね、早めに地元に戻ろうと思うんだ」
冷たい風が吹く中で、川が音と立てて流れている。
「ほんとは……。そうだな、地元の山を紹介したかったな……」
キャナリーもショミンダも、何も言葉が出ない。ただ焚火の日を見つめているだけだ、
「びっくりするほど後悔してないんだ。また同じことがあったら、私はまた同じことをするよ。」
アーシュラは強気に笑う。
「何と言っても、私は騎士を目指しているからな!」
この言葉にショミンダが爆発した。
「騎士を目指してる? 冗談言わないでくださいよ! あなたが騎士じゃなかったら、騎士ってなんなんですか! あなた以上の騎士なんて、いるはずがないでしょ!」
ショミンダだけじゃない。キャナリーの目にも涙が一杯溜まっていた。肩の上のリリスも顔を伏せる。
こんなはずじゃなかった。
今日は一日、三人で楽しく過ごすはずだった。
精霊さん、もしもいるなら、私のこの自慢の友達を見て欲しい。会って話をして欲しい。もしもいるなら……
まるでキャナリーの祈りに応えるように、夕日が山の影に沈み、赤と青の双子の星が優しく輝きだした。
それまで冷たいだけだった風が、優しく河原にそよぐ。
その風に乗って、小さな明かりが一つ、そしてもう一つ、ぽつぽつと川の中に灯る。
「ホタル? こんな時期に?」
十、二十……、明かりはどんどん増え……
百……千! 気がつけば無数のホタルが川岸を埋めていた。
それは熱くも無ければ眩しくも無い。ただ優しいだけの無数の光。
「精霊……モモ……」
ホタルたちはアーシュラの周りに集まり、その柔らかな光で彼女を包み込んでいく。
ぽと。ぽと。
そして一匹、また一匹と地面に落ちて消える。
アーシュラに命を注ぎ込むように。そしてすべてを託すように。
「待て!」
アーシュラが声をかけてもホタルは止まらない。現れては消え、消えては現れてアーシュラの元に向かう。
「だめだ、やめろ! やめてくれ! 私はそんな人間じゃ……ない……んだ……」
ホタルたちはそれでも止まらず、アーシュラのところに飛んできては消える。
まるでホタルたちを慈しむように、ふわっと風が流れた。
それが最後の息吹だったかのように、ホタルの最後の一匹がアーシュラに手にとまって、そしてゆっくりと消えた。まぶたにその光だけを残して。
アキラ……メルナ……。
それは風の音だったかもしれない。しかしアーシュラには確かにそう聞こえた。
「……今のは?」
「精霊だよ……でも消えちゃった……」
最後の光も消え、気づいたらアーシュラの瞳に再び炎の灯りがともっていた。前のままの激しい赤い炎ではなく静かな青い炎が……。
「……アーシュラ?」
アーシュラは自分の両手を見つめる。
「魔力が……戻った……」
「え?」
「魔力が……魔力が帰ってきたっ!」
彼女の髪の色も変わっていた。赤から青へと。
青い炎、それは墓場の火。古戦場を飛び交う死者の魂が映し出す幻の炎、そんな地獄のおぞましい姿。
「そんな……」
ショミンダの口から震えるような声が洩れた
「きれいだね」
何も考えていないようなキャナリーの言葉に、アーシュラは笑顔を返す
「青い炎か。私にふさわしい色かもな」
「そんなことって……」
「……ショミンダ?」
「そんな……そんな……魔力が戻るなんて! 私の決意はどうなるんですか~~~っ!」
ショミンダの全力の叫びが枯れた野原に響き渡った。
一段と強い木枯らしが、小さな渦を巻いて三人の前を吹きぬけた。
その後、河原で寝泊まりした三人の前に、もうホタルが現れることは無かった。
いや翌日の朝近くになってたった一匹だけ、アーシュラの手に止まっているホタルがいた。周りを薄明かりで照らすホタルが。
「何色だ、これ……」
そのホタルは、まるで三人の未来を祝福するようにキラっと虹色に輝く。
再び朝日が昇る。
「その精霊に名前を付けてあげないとね!」
「名前? ホタールだな!」
精霊ホタルはそっと飛んで、アーシュラの鼻の頭に止まる。
「気に入らないみたいですよ?」
「ピカーリンとか、アカルイスとか、良いよね!」
アーシュラも酷いが、キャナリーの名付けセンスも壊滅的だ。
「怒るなって、ちゃんと考えるから。精霊アキラ・メルナ。これでどうだ?」
精霊ホタルがピカピカと点滅する。どうやら気に入ったようだ。
「ホタールとそう変わらない気もしますけど」
「良い名前だモモ!」
朝の河原に冷たい風が流れる。
青に変わったはずのアーシュラの髪も、元の赤に戻っている。
お互い何も言わなくても、三人は同じことを考えていた。
もう二度と、この河原に優しく暖かい風が吹くことは無いだろう、と。
そしてアーシュラは、もう二度と一人で燃え尽きることはないだろう、と。
これで後日談は終了。
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もうどれだけ感謝を言っても言い足りません。
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次話は人物紹介。
ちょっと気合入れすぎたんで、少し休憩……




