9.神様、出血得大サービス?
決して。痛い思いをしたいわけではなく純粋な疑問からなのだが、一回、二回、三回とまばたきをしても、一向に痛みがやってこないことが不思議だった。
「……?」
ベアトリクスの両親に言いたい放題の後、幸は動揺して階段から足を踏み外した。
だから次に来るのは衝撃と痛みのはずだ。
なのになぜ、誰かの手が自分の肩に置かれているのだろう?
ついでになぜ、その人物に思い切り寄りかかる形になっているのだろう?
そしてなぜ、地元の神社にいるのだろう?
小学生の頃、大好きな幼馴染の男の子と、競争して登った長い階段のゴール代わりにしていた鳥居。
幸はその真下にいた。
元の体に戻ったのだろうか?
だとしたら、ベアトリクスはきちんと元の体に戻れたのか?
彼女が階段から落ちてないか気になるが、そもそも入れ替わりは現実に起こったことなのか自体が疑わしい。
働き過ぎで頭がイカれて、幻覚を見ていたという方が信憑性が高いし現実的だ。
一体どこまでが現実で、どこからが幻覚だったのだろう?
いや、待て。
幸は酔っ払い同士の喧嘩に巻き込まれて死んでいる。
だとしたら、ここは……?
「あぶ、っね〜〜。……あのさ、これ二回目だよ? 分かってる?」
『二回目』が何を指すのかは不明だが、『分かった』。
振り返らなくても分かった。
「……嘘……ほんとに?」
声はほんの少しだけ低くなっていたけど、すぐに分かった。
分からないはずがない。
だって、幸がこの人を誰かと間違えるわけがない。
例え雑踏に紛れていても、見つけることは可能だと断言できる。自信がある。
それは、夢でもいいから会いたくて、なのに、ただの一度も現れてくれなかった意地の悪い人。
それほどまでに嫌っていたのかと、幸をどん底まで落とす酷い人──
──……涼ちゃん。
ああ、ここは天国だったのか。そう思った。
神様は存て、最期に幸を幸せにしてくれたのだ、と。
どうせなら、抱き締めてくれたらいいのに。
ううん、そんな贅沢はさすがの神様も『図々しいぞゴルァ』って怒るかも知れない。
だったら、自分からしてしまおうか。
そうだ、そうしよう。もう後回しにしてうじうじするのはごめんだもの。
「え?」
振り向いて抱き着くと、涼の戸惑った声が頭の上から聞こえてきた。
だけど、そんなの知らない。死ぬ前にしたいことは全部してやると決めたから。
涼は、十四歳の男の子とは骨格が大分違った。
これは当然なのだろうか? 残念なことに初恋を拗らせ、男性との接触がない女にはそれが分からない。
ただ触感がとてもリアルで、どきどきすることだけが隠しようもない事実だった。
涼の鼓動も 幸に負けずに煩いのに、それは更に早くなる。もっと、どんどん早くなるから、神様はなんてサービス精神旺盛! ありがとう、神様! って叫びたいくらい感謝の気持ちでいっぱいだ。
こんなに過多なサービスをして天国は赤字になったりしないのだろうか? そんな疑問が脳裏をかすめるけれど、だからといって特盛サービスを断るはずもない。
くれると言うのなら全部欲しい。
ぎゅっとして、息を吸い込んで、堪能して、忘れないように記憶する。
……なんとでも言えばいい。変態っぽいのは百も承知だ。
だってこんな奇跡、もう二度と起きない。
なのに、どうして、「話は後で聞くから、どっか行ってくんない?」なんて冷たいことを言うのだろう。
酷いよ、神様。そんな酷いこと言うなんて泣いちゃうよ。
大サービスは、時間制限付きだったの? そりゃあ赤字は心配だろうけど、こんなのってない。
心残りなんてさせないで。晴れやかな気持ちのまま連れて行ってくれないと未練でウラメシヤ〜する地縛霊になっちゃうんだから。
これね、脅しだよ? ほら、怖いでしょ?
心の中でめいっぱい神様を脅してやったおかげか、もしくはしつこいクレーマーが面倒だと思ったのか、涼が「怖かった? もう大丈夫だよ」って優しい声で背中と頭を撫でてくれた。
感謝感謝、大感謝。
神様、仏様、涼ちゃん様、ありがとう。
もう思い残すことはありません……少ししか。
「……神様、ありがとうございます。幸は、名前の通り幸せな子でした」
だから、今度は声に出して言ってみた。
やっぱり感謝は口に出さなくてはいけないので。……あとちょっとだけ堪能させてくれたら満足します。
涼はぶはっ、って吹き出して、「やるじゃん」って意味不明なことを言うけれど、涼が笑ってくれるなら何でもいいし、もうどうでもいいし意味なんて要らない。
要らないのだけど……もっと声が聞きたいから「何が『やるじゃん』なの?」って聞いちゃう。
そんな自分を馬鹿だなって思ったけれど、案外悪いものでもない気もする。
「幸が言いそうなこと言うなあって思って」
聞いてもよく分からない返答だったけど、涼がいるからやっぱりどうでもいい。
我ながらチョロい。
「そうだよ? だって幸だもん」
「ツンツントゲトゲは卒業か? こんなサービスしなくても、焼きそばでもりんご飴でも何でも買ってあげるよ」
「じゃあ、金魚すくいがしたい」
「いいよ。射的もする?」
「それ、涼ちゃんがしたいやつじゃん」
昔、涼が射的で取ってくれた大きいパンダのぬいぐるみは一人暮らしの幸の部屋にある。なんなら一緒にいつも寝てる。
もう何度も洗っているからヘタってしまっているけれど、捨てるなんて考えられない幸の宝物の一つだ。
「…………光る腕輪は? あれ、好きだったろ?」
「うん、大好き。両手に着けたい!」
子供っぽいけれど夏祭りの非日常感で許してもらおう。
なんてったって、もそもそした焼きそばも、たこが八個中二個入っていないというがっかりルーレットたこ焼きも、ご馳走に変えてしまうのが夏祭りパワーなので。
「幸?」
「うん? わっ……! な、何、っ?」
べりっという効果音が似合う剥がされ方をして、少しムッとなる。
「……幸だ、本物だ」
「そうだよ、本物だよ!」
偽物だと思ったの? 幸が少し不機嫌そうに聞くと、涼は頷いて困ったように笑った。
「さっきまでな。まあ、偽物も妹みたいで可愛かったけど」
「? 何言ってるのか分かんないよ」
「そういう馬鹿っぽいとこ、ほんっと好き」
「……褒めてないよね?」
「あ、バレた?」
こらー、と言ってグーでパンチ。
大袈裟に痛がって、「折れたー」と笑う涼との懐かしいやり取りが楽しくて仕方ない。
死にたくない。
もう遅いけど、死にたくないと思った。
幸が勇気を出して確かめていたら、こんな未来もあったかも知れないのに。
ドーンという大きな音は、花火が上がったことを知らせる音だ。
行こうと、手を差し出す涼に、視界が霞む。
……どうやら本当の本当に、タイムセール祭りはおしまいのようだ。
「──……涼ちゃん、格好良くなったね」
ごつりとした手を握りながら言う。
「……そう?」
涼の、驚いて目が丸くなっている顔が可愛い。
本気で褒められると咄嗟に反応できないところが愛しい。
「私、涼ちゃんのこと子供の頃からずっと好きだったの。今も好き。きっとこれからも、ずっと好き。大好き」
張り合ってるわけでもないのに、むしろ幼馴染特権でいっつも負けてもらっていたのに……結局のところ、負けるのはいつも 幸の方だった。
「最後に一回でいいから勝ちたかったけど……ううん、もう大丈夫。……もうクレームは入れません! ゴー・トゥ・ヘヴン! ノー・モア・社畜です!」
今度こそ、もう思い残すことはない。
なのに涼は「意味分からん」と言って、 幸を力いっぱい抱き締めた。
「!」
「多分、俺の方が幸のこと好きだよ」
「……? へ?」
「勝ちなんてくれてやる、俺はずっと『負け』でいい。持ってけ、泥棒」
「ま、待っ……、」
ヒューッ! とどこかから飛んできた野次に顔が真っ赤になっていく。
待って待って。こんなことをされたらお代はいくらになってしまうのか。
払えっこない。
それどころか、次に来る言葉はあの世行きへの案内アナウンスのはずなのに一向にそれがない。
「???」
もしかして自力で行くスタイルなのだろうか?
方向音痴とまではいかないが、得意な方でもないので易しい地図が欲しい。
そんな風に思っていた幸が、現状を理解するのはもう少し先の未来の話──
「あ、じゃあさ、ビーちゃん……ベアトリクスも元の世界に戻れたってこと?」
「……え、なんで、ビーちゃんのこと……え? え?」
「こら、頬抓るのやめなさい」
「え、痛い。嘘。……も、もしかして、え? ほ、本物の涼ちゃん?」
「…………はあ……。この子、本当にどうしてくれようかな」
──幸が驚きの声を上げる三秒前の出来事である。




