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039:運命の味

 そのお客は、ごく普通のOLさんだった。ただ、ほんの少しばかり倹約家なだけだ。

 名取は一応、どちらも公平に擁護した。

 蜂蜜が大好きらしく、良さを知って欲しい野乃花の気持ちも分かる、と。


「だから! この五種類の内、どれがお得なの?」


 野乃花が二度目の蜂蜜の説明を始めようとすると、女性客はそう口を挟んだ。


「蜂蜜は様々な風味がありますので、お客様の気に入った味のものを選んで下さい」


 懲りずに繰り返し始めた野乃花の言葉を受けて、名取は味見用に用意している蜂蜜を急いで取りに行ったが、これは一悶着ありそうだとゲンナリもした。言っていることは正論だが、客が求めている答えではないし、おまけに、“野乃花”なのだ。つまりは居丈高。

 光にも手短に起きている事態を報告すると、野乃花が対応している席に向かう。


「だからそうじゃなくて!」


 客は食い下がっていた。段々と怒気を帯び始めている。


「私が聞きたいのは、風味が~とか産地は~とかじゃなくて、どれを選んだからコスパがいいか知りたいの。だって、ほら、このマヌカハニーとか言うのにするには、追加料金が必要なのでしょ? しかも結構、高い……。

それは嫌だけど、この五種類の中でも、一番、グラム単価が高い蜂蜜を選びたいの。

分かる?」


 レジと同様に野乃花には分からない。その客の考えも、そして、蜂蜜の値段も。

 日替わりで用意されている五種類の蜂蜜は確かに、仕入れ値に差はあったが、『ティースプーン』の目玉サービスとして、損得勘定抜きで提供してあるものだった。

 それをどれが高いとか安いとか言うのは無粋なのかもしれない。客もなんとなくそうと察していた。だからこそ、もっとさらっと教えてくれればいいのに、という気持ちになっていた。こうもくどくど説明されたら、自分がごねているようではないか。そうではない、と自分を慰めるためにも引くに引けない。

 あくまで杓子定規な野乃花と、意地になってきている客。

 名取は出来るだけ明るく声を掛けた。


「お客さま、試食を持ってまいりました」


 客が何か言う前に名取はアカシア蜜を乗せたスプーンを差し出した。


「どうぞ。蜂蜜は思った以上に味がかなり異なるんです。

いくら高くて珍しい蜂蜜だって、好きじゃない味だと、たくさん掛けられませんよ。その逆で、好みの味の蜂蜜ならば、たっぷりと掛けて食べられます。

この店は、蜂蜜、かけ放題ですから!」


 明らかに、客の表情が変わった。

 なるほど。いくらグラム単価が高い蜂蜜だって、苦手な味のものをそれほど多く食べられるとは思えない。それどころか、これから頼もうとしているパンケーキの味も損なってしまうかもしれない。

 自分にとって美味しいと思える蜂蜜を、好きなだけたっぷりと掛けた方が、もしかしたらお得なのではないか。

 量×金額を考えれば、そのどちらかが低ければ、合計は安くなる。一番いいのは、勿論、単価が高いのをたくさん掛けられれば良いのだろうが……。


「今のが栗蜜です。ちょっと個性的な味ですね。次はリンゴを試してみて下さい。これはフルーティでおススメです」


 間髪入れず、名取は次々と蜂蜜の味見をさせた。不思議なことに、何種類も蜂蜜を食べていると、これだ! と思う一つが、あるものである。それは全体的な味の好み、その日の体調、気分などにもよるのかもしれない。


「……あ、これ! 私、これがいい!」


 ともあれ、その客は瞬間的にそう言ってから、笑った。

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